第十三話 信虎の願い
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なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
※2022/10/23から20時更新になりました。
武田陸奥守が「ようやく儂の番か」とのそりと立ち上がり近づいてくる。お前はちょくちょく茶々入れたろうがと思いつつ、厳ついおっさんを待つ。殺傷性の低い武具を使っての模擬戦(木刀・木製ランス)をいつもしているせいか、この厳つい顔にはもう慣れた。最初はあの狂虎と怖がったものだ。
中世欧州の騎馬戦に陸奥守が慣れるまでは、圧勝出来ていたのだが、すぐに慣れてしまい、しばらく負け続けていた。この時代の騎馬戦とは機動力として騎馬を使い、敵将の前で馬を降りて戦うもので、中世欧州のように騎馬に乗ったまま激突はしない。
つまり、居候になったばかりの陸奥守に勝っていたのは、欧州馬vsおっさんだったからというだけで、坊丸が操馬に特に秀でていたとかそんな理由ではない。慣れた陸奥守を相手に、数え年九歳になった私でようやく五戦して一勝を拾うくらいで、まだまだである。
目の前で「よっこいしょ」とおっさんが座った。普段なら、大声を張り上げるこの人が近づいて来たのだ。何かあるに違いない。
「さて、三河守どの、いや、三河守さま。そろそろ儂も家臣にしてくれんか?」
そっちか。この人の忠誠度も私に対して九割を超えたので、構わないかとは思っていたところだ。ちなみに織田家に五割、武田家に五分である。武田家への五分は、色々思うところあっての物だろう。残して来た子息や令嬢に対するものだろうか。実はこっちに何人か居るんだよ?
「良いよ。既に身内みたいなもんだ。」
「真か!?撤回はさせんぞ。」
「そのかわり、其方の息子や孫は死ぬかもしれんが、弁えてくれよな。」
「太郎は構わん。可能なら次郎以下は助けてほしい。」
「次郎は見捨てたんだろ?良いのか?」
「本来優しい子じゃ。兄に遠慮したのだろう?」
「本気で言っているか?それじゃ、この戦国の世は生きて行けんだろ?」
「本音は違うかもしれんが、頼む。」
「分かった。戦功次第としておこうか。」
「それで良い。」
「さて、調略もしてくれたんだろ?話せよ。」
南信濃の調略は陸奥守の伝も使っている。武田が完全に支配している甲斐国と違い、武田・小笠原・木曾・高遠と群雄割拠の様相を呈した南信濃は、ただ攻めるだけの他の三国とは違い、治部方の外交力も必要だった。小笠原には治部方家老の司芭が向かい、木曾家には次席家老の富城が向かった。小笠原は守護家なので、通過願いと中立をお願いする為であり、攻略も調略もしない予定だった。高遠は諏訪分家なので調略対象だ。
木曾に富城を向かわせるのは、東美濃は織田家本家の息がかかっている事を知らしめる目的である。そして、戦後は親織田家と織田家分家に挟まれるけどどうするの?と確認する意味合いがある。上策は三河織田家に臣従、中策は織田家本家に従属、下策は中立だ。まぁ、この戦に木曾家は関係ないので、富城には下策でも良いよと伝えた。ちらっと富城依明を見るに三策以外の返答だったのか、研修に戻らなければならないのか?と呟いている。相当嫌なのだろう。想像だけで死にそうな顔になっている。
「三河守さま、どうしても調略じゃないといけなかったのか?小笠原家を除いて、蹂躙でも良かったのでは?」
「大義名分が弱い。今の三河家では高遠・木曾を攻めるには筋が通らん。それに陸奥守、下条の娘婿は良いのか?」
「よく知っておられる。」
「耳と目は良い方だと自覚している。どうなのじゃ。あれも次郎以下だったと思ったが?」
「ありがたき幸せ。」
「なるほど、調略はしておるのだな。さて陸奥守、ちと左京大夫が心配じゃ。話を一旦切り上げるぞ。」
「そうですな。木曾で何かあったのでしょうな。」
富城左京大夫が末期の病のようにガタガタ震え出した。これ、なんとかしてやらんと死ぬのではないだろうか?
「どうした左京大夫。」
「申し訳ござりませぬ。三河守さまの策とは違う回答を引き出してしまいました。」
戻ってきた時は、意気揚々としていたのに、よくよく考えたら間違っていたのではないかという考えに至るような返答だったらしい。自分で考えて動けている。再研修は必要なかろう。
「良い良い。再研修は無い。話してみよ。」
「ほんまでっか?」
混乱しすぎだ。何故えせ関西弁になっている?そんなひどい内容なのか?




