第十七話 三河百万石を目指して
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
楽しんでいただけると幸いです。
また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)
なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
※後半の役職は読み飛ばしても大丈夫。
三河国は戦乱に次ぐ戦乱のせいで、徳川家が三河・遠江・駿河を制するまで二十万石程度の石高しかなかった。それが明治期の石高制最後の記録では約四十七万二千四百石となっている。さらに大正期の経済状況では約七十一万石ほどの生産力を有していたようだ。これは正条植えや塩水法が正しく機能していた結果であり、他にも経済力が上がった結果でもある。つまり、他にも殖産興業を行なっていけば、百万石が見えると坊丸は踏んでいた。勿論、坊丸の特殊特性抜きにである。
「論功行賞は終わった。これより三河における行政体制を周知する為の大評定を行う!」
「ははーっ」
「まず、三河の最終目標は百万石だ。」
「え?可能なのですか。」
「すぐには無理だぞ?少なくとも八年はかかる。それも戦乱なしにな。これから今川からのちょっかいが始まる、十五年は見ておけ。」
「戦乱がなければ八年。あっても十五年。ははは。坊丸様について行きます!」
「良い返事だ、高力与四郎。そちは農政に詳しいと聞いたが間違いないか。」
「元は兄が詳しく、それを引き継いでおりまする。しかしながら甥の新三右衛門の方が詳しいかと。」
「分かった。農政方の家老はお前だ!」
「ははーっ。」
「百万石に向けての方針の一つになるが、今後、三河織田家は農民兵を禁止する。」
「無、無茶な。」
「まぁ聞け、本多彌八郎。応仁の乱より八十年が過ぎた今でも日ノ本から戦乱が消えぬのは何故だと思う?彌八郎答えよ。」
「足利家の力が弱まり、武家同士の戦いが絶えぬからでは?」
「それもあるが、それだけではない。戦に農民兵が使われるからよ。」
「それはどういう・・・。」
「戦が終われば、農民兵が全て田畑に戻れるわけでは無かろう?死んだり怪我したりと生産力が落ちるわな。それを補おうとまた戦が起こり、また農民兵が負傷・死亡して生産力が落ちる。謂わば、負の連鎖がずっと続いているから、誰かが天下を統一して平和になるなんて事ができないのよ。」
「なるほど。それで、農民兵を禁止すると?しかし、常備兵では忠誠度が。」
「そこは、考え方よ。流れの傭兵を使うから忠誠度が気になるのだ。なら領地の三男以降の子たちを使えば良くないか?」
「あっ。」
「私が村を作った通り、流民でも土着してしまえば、その土地に愛着を持つ。その子らが家族を守る為、志願兵になってくれたぞ。」
「志願兵!」
「勿論、怪我や死亡はある。だから、保険も用意した。向こう十五年は家族が幼子を保育できるようにな。勿論、詐欺などを行えば罰則があるが、そうする事でさらに志願兵は増えた。三つの村々は百五十戸しかないのに、それぞれ四百ずつ志願兵が出た。常備兵も志願し易い政策と運用でどうにかなると思わんか?」
「浅慮、申し訳なく。しかし、すぐに今までの兵力に値する数は・・・。」
「何、すぐにとは言わんよ。三年だ。三年以内に揃えれば良い。それに主らは、私の家臣だ。兵力を揃えるまでの費用は私が負担する。揃った後の維持費をその後賄えば良い。先ほどの米金はそういう意味もある。」
「あ、なるほど。」
「他に異存のある者は?」
「ございませぬ」
「宜しい。では・・・。」
その後、行政体制を発表する。政務分掌の内容は下記の通りである。
経済方・作事方と連携し、各領地の生産力を高める活動を行う「農政方」。家老は高力与四郎重長。
商品開発・特産品の発掘など、各領地の経済活動を支援し、必要とあらば融資を行う。また、流通に於いては作事方と連携し街道整備を実施する。ほかにも農政方と連絡を密にし、水路設置・堤防増設など、各領地の農業改善に努める。これが「経済方」だ。家老は本多吉左衛門忠豊。開発部門付次席家老堀田勘左衛門正貞。流通部門付次席家老加納五郎左衛門久直。
築城・造砦・敷道・河道拡張・築堤など作事に関わるもの全てを担う。常備兵「堤衆」「水路衆」「街道衆」「築城衆」「造砦衆」などが含まれる。これが「作事方」だ。家老は木下弥右衛門昌吉。堤衆大将 戸田孫三郎尭光。水路衆大将 内藤弥次右衛門清長。街道衆大将 土井小左衛門利昌。築城衆大将 井上半九郎康正。造砦衆大将 板倉八右衛門好重。
政策の発布。礼務方で考案された人事の決定、その他事務を行う「中務方」。家老は竹谷玄蕃允清善。
文官人事の考案、礼式・行賞を司り、基礎教育学校ならびに商業・工業・軍事の各専門学校を統括する「礼務方」。家老は林美作守通具。
戸籍・訴訟・武家同士の婚姻・労災や保険の考案・外交を司る「治部方」。家老は空席(初年は坊丸が兼任。翌年以降は司芭喜宗が就く)。戸籍担当は形原右京三郎親忠。訴訟担当は岡崎七郎昌久。婚姻担当は五井弥九郎信長。保険などの担当は深溝又八郎好景。外交担当は快川紹喜。
戦時に必要な兵站の考案、治部方から上がった労災や保険考案の実施、政務に必要な出費の出納、各地からの年貢の精査などを司り、兵糧蔵・金蔵の管理をする「財務方」。家老は浅井源五郎充秀。兵站担当は能見次郎右衛門重吉。保険などの実施担当は長沢源七郎親広。出納担当は大給源次郎乗勝。精査担当は滝脇監物乗遠。兵糧蔵担当は福釜三郎次郎親次。金蔵担当は桜井與一清定。
軍務を司り、各家の兵力を管理し、各師団に適宜分配する。軍団長・各士隊長もここに属す。また、戦時に於いては軍略方・刑部方と連携し、速やかなる出陣を促す「兵部方」。家老は津々木蔵人秀保。各武家兵力担当は青野甚九郎嘉春。常備兵担当は藤井彦四郎利長。刀士隊長 塚原土佐守、槍士隊長 長坂彦五郎、弓士隊長 内藤弥次右衛門。騎馬隊長不在(武田陸奥守予定)、鉄砲士隊長不在。
各地の揉め事を取り上げ治部方に訴訟案を提出したり、各地を警邏し治安維持活動を行う。盗賊・山賊などが発生した際は速やかに排除する。また、警邏隊は戦時に於いて、防衛軍を担う「刑部方」。家老兼警邏大将は津々木次郎介秀常。各郡担当は碧海郡が、合歓木与十郎信孝、上矢田甚六郎康忠、郷藤之助信吉、岩津弥九郎永勝の四名。加茂郡が鴛鴨和泉守親久、宮石加賀右衛門元次の二名。幡豆郡が上和田右近将監忠倫、西端豊後守親良の二名。額田郡が榎前隼人佐親長、中条常陸介親隆の二名。設楽郡が和泉和泉大夫親春。八名郡が酒井左衛門尉忠親、酒井雅楽頭清秀の二名。渥美郡が酒井将監忠尚、酒井摂津守忠俊の二名。
情報方から上がって来た情報を精査し、侵攻・防衛に於いて、自軍の有利・有益となる方策を提案する「軍略方」。家老は山本勘助秀幸。次席家老は宇佐美駿河守定満。
各地の地理・民生・政策・策略・軍政・動向・武将らの不平不満などを集め、軍略方と相談の上、謀略・流言などを実行する「情報方」。家老は千賀地半三保長。次席家老は山中橘内為俊と鉢屋弥四郎勝久。
政務分掌全てを統括し、三河織田家の行く末を決める「評定方」。坊丸が指揮する。所属は各分掌の家老。五の付く日に月評定を行い、十五日に大評定(分家独立するまでは二十日)を行う。尚、一月の大評定は二日から三日かけて行う(14〜16日)。まず、前日に前年の行政上の論功行賞および元服式を行う。そして、十五日に大評定。必要なら翌日にも続きがなされる。合戦時の論功行賞は合戦月翌月の大評定で行う。
後半の役職ですが、氏+通称(または自称官位)+名の通称にルビをふったのは、氏名を分かりやすくする為であり、読者さまを見下しているわけではありません。
おそらく通しても読める人物もいるとは思いますが、あくまでも区切りのためだとご理解頂ければ幸いです。




