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【500万PV】織田勘十郎異伝〜自重しなかった結果、別家を立てて生き残ります。〜  作者: 八凪 柳一
第二章 三河侵攻

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別視点 古渡に向かう者たち(大人編)

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

〜安藤家重side〜


 某、安藤彦兵衛と申す。三河のしがない土豪の一人でござる。さてこの度、尾張と三河で大戦おおいくさが起こるよし。大恩ある安祥殿に付くか、勢いのある織田家に付くかいささか迷い申した。今は亡き善徳院(松平清康)さまには、大変お世話になったのでござるが、今代の次郎三郎さまは頼りなく思い、半三殿の誘いもあって、織田方に付く事に致し申した。


 え?忍び衆に偏見がござらんかと?ござらぬよ。土豪も忍びもさして変わらぬ。過去を辿れば、大体は同じところに行き着くでござる。勿論、没落して土豪になった方々もおられるでござろうが、安藤家はいつまで農民でいつから土豪だったか忘れた家にござる。それに忍び衆が三河から消えてこんなに困るとは思わなんだ。半三殿は、大したお方だったのだとしみじみ思いまする。


 それを考えると善徳院さまは、凄いお方だったのでしょうな。半三殿を手足のように使い、瞬く間に三河を一つになされた。惜しむらくは、あの若さで亡くなった事にござる。半三殿も他国に行っておいでで、避けられぬ事態だったとか。その後の次郎三郎さまの事も。それをいちいちめくじら立てて責めるのは些か器が小そうござる。


 此度、お味方に付く熱田明神さまは、まごうことなき大器であらせられる。半三殿のような大したお方を四十人も従えておられるのだ。半三殿もそうでござるが、そのほかの三十九人も数百人の忍びを率いてござる。日ノ本全ての情報を捌くとは、某には出来申さぬ。


 三河ですら、情報がままならないだけで、二進にっち三進さっちもいかないのでござるよ?そうならないように、努力するのは主君の務めだと言って、熱田明神さまは三歳の時に半三殿を直臣にされたのだとか。安祥の次郎三郎さまは当時十歳を越えていたのでござるから、同じ事をとは言いませぬが、やりようがあったのではないかと思うのでござる。


 さて、今は息子を抱いた乳母を連れて、熱田明神さまがお住まいの古渡に向こうておる。家は嫡男の彦四郎と老臣に任せてき申した。数日の不在くらいは誤魔化せるでござろう。この子の母も産後の肥立ちが悪く、明日をも知れぬが、子の幸せを願うてござった。熱田明神さまにお頼みすれば、立派なとなるでござろうよ。


 さて古渡に着いたが、あの一際大きな館が熱田明神さまのお住まいの館でござろうか?城より大きくござらんか?そんな事はござらんよな。ふむ。竹谷様や藤井様、鴛鴨様や宮石様もお越しか。ご挨拶をせねば。


 ええ?同僚になるのだから様付けはやめよ?本気で仰せでござろうか?え?熱田明神さまに諭された?え?威圧もされた?怖かった?善徳院さまの比ではないくらい畏れ多い方でござると?な?!庶家の方々は側室を入れるのでござるか?そ、某も・・・。え?二十二人も来るからもう要らないとも言われた?五歳児でござろう?色々な意味で畏れ多い方のようだ。


「お初にお目にかかりまする。某、安藤帯刀家重と申しまする。」

「織田弾正忠が一子、坊丸にござる。そちらに控えておるのは、そちの女房か?」

「あ、いえ、抱えておる五男の乳母にござる。」

「ふむ。側近候補には些か幼すぎんか?母はどうした?」

「産後の肥立ちも悪く、明日をもしれませぬ。もしやしたら、戻った時には・・・うう。しかし、子の為になると連れて行けと言うのです。そ、それゆえ。」

「お、すまぬ。おぬしに怒ったわけではない。いずれ、どうにかせねばならぬ問題と思ったのよ。気にするな。」


 熱田明神さまは、妻に早く会えるよう帰るように仰せでござった。それと気休めかと思うがと「坐月子ズオユエズ」の書き下し書をお渡しくださった。唐の風習だそうな。これは家宝になるでござる。妻に実践させねば、ぬぬ。肉を食うのか?いや、熱田明神さま直々に書いてくださったのでござる。間違いがあろうはずがござらぬよ!


 それに我が子を「三河武士のかがみ」に育てねばと小さくつぶやいておられた。熱田明神さまには、そのように見えるのでござろうか?それならば、父親として更なる()(謎)にならねばならんでござるよ!

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