第二話 兄二人の元服
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なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
元服。「げんぶく」とも読み、古代中国の冠礼・首服・加冠に値する。和風には初冠・初元結と呼ぶものである。古代中国の儀礼に倣った男子成人の儀式で、公家・武家を通して行われた。「元」は首の意、「服」は冠の意とされるように、儀式の中核は元服以前は童と呼ばれて頭頂を露わにしていた男児に、成年の象徴としての冠を加え、髪型・服装を改める事にある。これを期に社会的に一人前の扱いを受ける。
日ノ本での元服が初見されるのは、『続日本紀』の和銅七年の皇太子(のちの聖武天皇)の元服であろう。元服の年齢は十五歳から二十歳までと一定ではないが、武家だと十二歳から十六歳くらいが常識の範囲内とされる。勿論、例外はあって当主討死などの理由により前倒しされる事もある。元服の儀式は、身分によって作法、諸役奉仕の者に軽重があるが、貞観の頃に大江音人が唐礼によって制した定式が範とされる。諸役とは加冠・理髪を指す。また、元服を期に童名(幼名)を改めて実名を名乗るが加冠や貴人の一字を賜る事もあった。
武家においてはもっぱら冠の代わりに烏帽子を用いる。元服する者を冠者、加冠にあたる者を烏帽子親と言う。冠者と烏帽子親の間柄は親子関係を擬して重んじられた為、有力者が行う事が多かった。安土桃山時代以降は、元服の儀式も簡略化されるとともに、下級武士も行うようになった為、月代を剃り、袖止を行うようになる。さらに時代を経て江戸中期には将軍をはじめとした上級武家にも波及したが、今は戦国時代。きっちり定式に従って行われた。
三郎太兄上の烏帽子親は、三郎太兄上の実母が織田 逵広の養女だった関係から、織田大和守広信(のちの織田信友)が行った。三郎太兄上の実母は元は正室であった。織田大和守家よりも家格の高い六角氏庶流土田氏から六角氏綱の養女となって正室が来たので、三郎太兄上の実母は側室に落とされた。つまり三郎太兄上は嫡子から庶子に落ちた不運な人でもある。ともあれ、三郎太兄上は織田五郎三郎信広となった。信広兄上の五郎も大和守家歴代の通称である。現段階で、大和守家には広信の娘しかいない(父・祖父は存命)為、大和守に何か有れば、信広兄上が大和守家を継げる(暴論)位置に立った事になる。
続いて、次郎佐兄者の烏帽子親は、織田備後守信秀が務める。親らしいことはしてないのだから、「烏帽子親くらいしてください」と吉法師からきつく頼んでもらったら、割とすんなりとしてくれた。津々木家の養子の為、織田家の通字である「信」は与えられないとしながらも、自分の片諱である秀を与えるあたり抜け目ない親父である。いつか私の片諱を与えるつもりではある。幼名をつけたのが割と最近の為、通称は字を変えただけの次郎介。津々木次郎介秀常となった。
元服の儀式は、戦乱・謀叛の可能性の無くなった江戸時代からは昼間に行われたが、戦国時代までは夜に行われる。これはそのまま酒宴になるからという理由ではなく、翌朝戦陣に向かう為の決意表明の意味があるのではないかと思っている。おそらく、明朝何かあるのだ。そんな事をつらつらと考えていたら、津々木蔵人と次郎介が揃ってこちらに来た。こちらでは酒が飲めないのだから、あちらで楽しめばいいものを律儀な事だ。
「次郎介兄上、元服おめでとうございます。津々木家は継げませぬが、これからもよろしくお願いします。」
「坊丸様、これからは呼び捨てでお願いします。今までも恩人である坊丸様に兄と呼ばれるのはむず痒かったのです。これから明確に家臣となります。どうぞよろしくお願いします。」
「分かりました。公式の場ではそうしましょう。蔵人、これで良いか?」
「ははっ、若。若が身内思いであり、身分差を好まないのはこれまでの事で存じておりますが、身贔屓と思われれば、坊丸様の害になります故。」
「分かっておる。だが、身内のみの時は兄を敬う事は譲らんぞ。」
津々木義親子はそこは認めたものの、蔵人の実子の前では元服するまでやめてほしいと願った。次郎介兄上は、津々木を継がない事は決まっている。あくまで育て親としての養子に過ぎない。いずれ私も国守となれば、蔵人の実子が元服した後か蔵人が死ぬか隠居した後に、津田姓になってもらうつもりだ。それでも、津々木家の息子たちは突然現れた兄が津々木を継ぐのではないかと気が気ではないだろう。そんな事はないと知らないのだから、配慮する必要があろう。




