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【500万PV】織田勘十郎異伝〜自重しなかった結果、別家を立てて生き残ります。〜  作者: 八凪 柳一
第二章 三河侵攻

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第一話 数え年で五歳になりました。

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。

 虎姫らが尾張に来てから一年半が過ぎ、数え年五つとなった。年が増える毎にステータスが上がっていき、元服する十二歳で最上になるようだ。実は謀略と政治活動(生産活動)をしまくったせいか智力と政治の上限が上がってしまった。その為、ステータスは一番多いものだと五十になっている。何処ぞの凡庸な武将より政治力のある男、坊丸です。


 ステータスと言えば裏もある。転生者も二人見つけた。いや、正確には一人はまだお腹の中にいる。中村村に小出甚左衛門(じんざえもん)という小者こものがいた事を覚えているだろうか?その甚右衛門の妻が身籠みごもり、「どうか熱田明神の加護を」とか言われたので、仕方なくお腹を触らせて頂いたら、鑑定結果が出た。母体に影響出たらまずいと思っていたらお手紙男神(天照大神)が《大丈夫》と言うので、奪取済だ。もう一人は荒子の前田犬千代だった。勿論奪ってある。二人とも覚醒してなかったし、犬千代くんは抱っこしてる間に寝てしまったということに出来た。


 さて、織田家の現状だが、大した戦もしてないのに石高が五割増になった。これは、私が織田弾上忠家一門の領地を魔改造した結果である。まぁ、時間はかかるかもしれないが正条植えはどこの国でも出来ることなので、周辺諸国に広まりつつある。流石に塩水選は防諜を施しているので、他の国まで五割増とはいかない。せいぜい一割増だろう。


 椎茸・硝石しょうせき生産も開始した。椎茸栽培については、大峰衆が成功したようで、再度接触を取ってきた。まずは尾張の山々で椎茸を栽培してもらい織田家が買い取る。それを熱田津島を通して全国に売る事で莫大な富をもたらした。こちらの防諜ぼうちょうは大峰衆がきちんとしてくれている。そもそも山伏集団なので、その手の事も得意中の得意なのだとか。そして、来たる鉄砲伝来に備えて、硝石生産もとなった。椎茸栽培の知識授与が功を奏してか、いずれ必要になると言っただけで実施してくれるのがありがたい。実際、火薬を作って少し爆破実験のようなものを見せたのも効果的だったのだろう。


 他には、石鹸せっけん生産だ。石鹸は魔改造した村々で冬の仕事としてさせ始めた。狩をして油を取ったり椿から抽出したりと油座が扱わない油を集めて灰汁はいじると配合する。それらを混ぜて混ぜて煮詰めて煮詰めて型に入れ、カチカチになるまで乾燥させたらちょっと柔らかいけどある程度固形の石鹸が出来上がったのだ。動物性脂肪の場合は臭いがきついので、香草こうそうなどを一緒に煮詰めて臭いを緩和した。これも織田家で買い取り、商人に売り出した。本当は関所を廃止した方が良いのだけれど、尾張の完全支配までは出来ない。


 まだ出来ない産業もある。真珠の養殖と綿花栽培だ。真珠の養殖については知多郡の佐治さじ為景ためかげの懐柔にその知識を使っているがやや分が悪い。養殖なんて出来やしないと信じきっている。南蛮船製造の知識を出して、懐柔した後にさせた方が良いかもしれない。綿花栽培は干鰯がまだふんだんに手に入れられないので、保留中だ。


 自身の話をしよう。素養教育は快川かいせん和尚の持ってきた書籍と美作守に都度都度つどつど集めてもらった書籍、それから銭屋から購入した書籍を只管ひたすら書き写したおかげで四歳になる頃には、鑑定を使わずに読み書き出来るようになった。算術は九九をそらんじたせいで、教えることはないと言われた。虎姫や家臣の子供たち、拾ってきた親族たちの教育が始まる際には、相談もされたので、九九の表に「いんいちがいち」で始まる読みまでつけた。流石に行書平仮名で書いた。武の修練は体捌たいさばきと歩行訓練のみを行なっている。三歳で肉食を始めたが四歳ではそこまで大きくはなりはしなかった。まぁ、他の四歳児に比べれば大きいし、織田家の遺伝なのか身長も高い。それでも、本格的な修練はしていない。忍び衆と木の上での追いかけっこはしている。今のところ全敗なので、元服までにどうにかしよう。


 昨年増やした家臣は下総にいた、工藤兄弟。工藤の父親が下総守しもうさのかみ受領じゅりょうしていたので、ダジャレかいと思ったのは内緒。この二人のうち弟の佑長すけながは武田四天王の内藤修理亮(しゅうりのすけ)昌秀まさひで。武田復帰は永禄二年、二十年後の事だからと探してもらったのだ。武田四天王のうち、山縣やまがた昌景まさかげ(現在は飯富おぶ昌景)と馬場信春(現在は教来石きょうらいし景政かげまさ)は武田家臣団なので今は諦め、もう一人の高坂昌信(現在は春日村の農民の子、五郎くん)を次に狙っている。この五郎くん、天文十一年頃に父親が亡くなり、姉夫婦と相続を巡って訴訟を起こす。一説には姉夫婦に騙されて、武田家に身売りされたというから、武田家に売られる前に買い取ろうという算段だ。


 最後に身内の話だが、母はめっきり私に近寄らなくなった。勘助を怖がった事に叱責しっせきした時以来か?吉法師さまは相変わらずだが、坊丸とそっくりでいたいという可愛らしい理由で、肉食も修練も怠っていない。まぁ、傅役や沢彦和尚からは逃げ回っているようだが。父は朝廷に献金や椎茸・石鹸などの献上を行って備後守を頂いていた。「三河守にすれば、良い大義名分になりましたのに」とボソッと言ったら今度は伊勢神宮にそっちも取りそうな勢いで献金や木材献上の準備を始めた。今上帝は金額で官位をくれるような方では無いので、伊勢神宮を通して行うのだろう。今月(一月)半ばに、三郎太さぶろうた兄上と次郎佐じろすけ兄者が元服する。次郎佐は例の拾った子だ。一緒にいた孤児たちから「じろすけ」と呼ばれていたので、漢字を当てて武家の子らしくした。拾った孤児は、年齢順に、次郎佐・三助さんすけ四郎丸しろうまる傳五郎でんごろう新七郎しんしちろう新八郎しんぱちろうの六人だ。


 三郎太兄上と次郎佐は一つ年齢が違うが、これは単に三郎太兄上が優柔ゆうじゅう不断ふだんなだけだ。武家になろうかそれ以外になろうかギリギリまで悩んでいたので、「兄や姉が先に生まれてくるのは、弟妹を先導しながら守るためですよ」と言ったら、武家として生きてくれることになった。史実でも庶長子しょちょうしとしてある程度活躍するのだし、歴史を変えた訳ではなかろう。

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