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【500万PV】織田勘十郎異伝〜自重しなかった結果、別家を立てて生き残ります。〜  作者: 八凪 柳一
第一章 幼少期

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第十九話 虎姫現る

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。

 土佐守・勘助を傅役として、半年が過ぎようとしていた。魔改造した中村村は大豊作となりそうである。天候が良かったのもあるが、塩水選と正条植えが功を奏したようだ。それによって、不本意だが熱田明神の呼び名も尾張中に広まり切ってしまった。


 この半年間で起こった事と言えば、那古野城が織田家の居城となり、那古野城改修の後、引っ越しをした。勘助の知識が大活躍だった。


 他には、大峰おおみね衆を名乗る山の民からの接触があった事だ。大峰衆には椎茸栽培の方法を伝えておいた。うまく育ったらまた声をかけて欲しいとだけ伝えてある。


 あとは、父信秀の庶子しょしたちを明るみにした事だ。中村村までの道中で見つけた者たちだ。他にもいるかもしれないが、今は数名兄が増えたとだけでも良しとしよう。あの時の父の困りようはひどかったが。この者たちは、私の支配下に置くことになった。傅役は辞したが、護衛の位置付けにいる大学允や津々木の養子。男子のいない美作守・稲熊の娘婿。尾張塚原家を興す為の土佐守の養子、山本勘助の養子だ。美作守や勘助はまだ三十代だし、勘助に至っては新婚さんだ。まだ養子を持たなくても良いと思うのだが、二人とも頑として譲らなかった。


 そうそう勘助が嫁をもらった。那古野改修で遺憾なくその力を示したところ、幾つか婚姻の話が上がり、香川かがわ七右衛門しちえもんの娘をめとった。那古野でいつも握り飯を作ってくれて、見た目など気にせず居てくれると惚気のろけられたのは記憶に新しい。嫁も出来た人で、養子入りを反対するように促したところ、夫が決めたことなら従うと。実子が出来て元服する時にまた決めれば良いと言われてしまった。流石は香川七右衛門の娘と言ったところか。


 この香川七右衛門、本人は無名であるが、嫡子が有名人だ。のちの播磨国姫路池田家筆頭家老の伊木いき清兵衛せいべえ忠次である。清兵衛の滅私めっし奉公ほうこうを体現した活躍を考えれば、姉か妹かは分からないが夫を立てる姿には納得出来る。


 さて、収穫期を前にした秋口の頃、越後に人材確保の為行ってもらっていた弥四郎が帰ってきた。矍鑠かくしゃくとされた老人と七八しちはっ歳くらいの女の子、それから何処どこの浮浪者かと思うような風体の輩を四五しご人連れている。


---え?来れたの?

---城主じゃなかったの?


 聞けば天文五年の三分一原さんぶいちはらの戦いののち、その才覚をおそれた長尾信濃守(しなののかみ)により春日山かすがやま林泉寺りんせんじに留め置かれたらしい。信濃守が隠居したと同時期に預けられた虎姫(通称は虎千代)を住職の天室てんしつ光育こういくと共に教育を施していたようだ。しかし、信濃守は自身のおとろえを感じ、また家督を継いだ凡庸ぼんような息子が虎姫の才覚を恐れて、暗殺者を仕向けるようになったのに憂慮ゆうりょして、この男に虎姫を連れて越後を出て行くようお願いしていたらしい。そこに弥四郎が現れ、渡りに舟と影守の五人を連れて尾張に流れてきたそうだ。


 私は宇佐美うさみ駿河守については、正直来ないと思っていた。そもそも実在が不明な人物でもある。まぁ、そんな事を言ったら山本勘助もあんまり変わらないが、歴史書にしろ創作物にしろ登場頻度が勘助に比べて駿河守は極端に低い。駿河守の父とされる枇杷島城主宇佐美房忠は三分一原の戦いの二十年前に討死し、子は母に連れられて逃げ出したという。三分一原の戦いは父の居城枇杷島を取り戻す為の参戦だった。しかし負けてしまう。次に歴史書に名前が出るのは長尾景虎元服の天文十七年だ。そして永禄七年には歴史書から姿を消し、次に現れるのは創作物『北越軍記』である。この創作物で軍師宇佐美定行は駿河守の子という事になっているが、江戸時代初期の小早川能久の記した『翁物語後集』によれば、かつて謙信に仕えた畠山義春は駿河守は子を成さず没したと語ったという。


---寺に押し込められてたら

---歴史書には出てこないか

---どうしようか


「わざわざのお越し、ありがとうございます。某は織田弾正左衛門尉が一子、坊丸と申します。」

「ほぉ、これはご丁寧に。宇佐美駿河守と申します。姫さま、挨拶とはこうするのですよ。」

「うーっ、虎千代じゃ」

「姫!」

「まぁ、良いではないですか駿河守殿。姫さま?そちらで遊んでおいてください。しばらくしたら、兄が参ります。よい遊び相手になると思いますよ。」

「そうか?!良いのか?」

「はい。」

「じい!良いと言っておるのじゃ、遊んでおる。」

「はぁ、坊丸殿、姫を甘やかさないでいただきたい。」

「だいぶ窮屈な生活をされていたのでは?ここにいる間は楽しんでも良いのでは?」

「まぁ、そうですけれども。」


 今後どうするかを駿河守と話し合う。今越後に帰ったところで城もなく、そればかりか晴景に追われる事になり、血縁者たる柿崎家にも迷惑になると言う。


---正直、柿崎かきざき景家かげいえは欲しいが

---猿毛城さるげじょうの後継だろ?

---今は無理か。


 しばらくは那古野城下の新築した快川和尚の寺で生活しながらゆっくり過ごしてもらおう。


 一緒に来た伏齅ふせかぎたちは戻るつもりは無いようだ。まだ長尾信濃守の時はましだったが、晴景には人どころか生き物としても扱われないらしい。それよりも弥四郎が羨ましいとも言っていた。それならと、越後やその近隣の忍びたちをこちら側に引き込んで貰う。どうせ父の考えでは、吉法師の影として情報方を任せたいようだし。そんなふうに岩室の爺様が言っていた。

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