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第七話 足利義昭調子に乗る

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

 永禄六年正月、三好家の凶事が足利家に齎された。将軍義昭はところ構わず、三好追討の御教書を飛ばした。


 とは言え、周囲は織田領か三好領なわけで、届く相手は織田家臣特に元大名の多い東海探題領と三好の譜代ではない家臣たちか不満を持ちそうな一族となるわけである。なお、三好の譜代ではない家臣や一門の重鎮は親織田である。つまりは、お手紙将軍によるほとんどの御教書は長勝の手元に届くのだ。


 ちなみに、三好家内で反織田もいる。東海探題長勝の恐ろしさを肌で感じたことのない若手世代である。肌で感じると言っても戦場とは限らない。謀略であったり交易であったり外交であったり、長勝と直接会わなくても感じてしまう畏怖があったのであろう。前当主の生きていた頃はまだ良かった。精神的に問題があったにしろ、強い三好の印象は前当主に集約されていた。しかし、前当主は死んだ。その為、重鎮や長老世代の者たちは織田にきっかけを与えれば、三好が滅ぶという意識すらあったが故の親織田である。


 御教書を未開封の状態で、添え状をつけてさらに封をして、長勝の手元に届くようにするのは簡単な理由である。家臣の場合はその忠誠を示す為であり、親織田三好家の者たちの場合はきっかけを作らない為である。


 百数通にも及ぶ御教書の山を見ながら、長勝は近臣や小姓たちに「彼の方はマメな方よ」と呆れたり、「あやつらは律儀よな」と呟きながら、直筆ではないものの返書を送って、安心させるよう努めていた。将軍義昭に対しては、三好に対して兵を起こす大義がない(御教書を大義としないという不敬)ので、兵を発すならこちらをお使いくださいと金一千貫を納めるに止めた。


 さて、先ほど、ほとんどの御教書は東海探題長勝の下に届いたと述べたが、届いていないものもある。どこに行ったかと言えば、三好家にいる細川や三好家の若手一門に届いている。お手紙将軍のいやらしいところは、三好家内にあって三好家当主に不満を持つであろう者たちに的確に送るところだ。


 史実の三好三人衆は親織田なので、以前にも述べたかもしれないが、ある程度の権力を持ち、かつ、当主に近い存在が永禄の変を起こす必要がある。ターゲットになったのは、細川掃部頭・三好阿波守・安宅神太郎の三人。


 細川掃部頭と三好阿波守は異父兄弟ではあるものの、掃部頭の方は三好家自体に恨みを持ち、阿波守の方は、十河孫六郎が筑前守の庶長子であることを知らない世代の為、現当主が三好家惣領となったことに不満があった。安宅神太郎は言わずもがな、父の仇として三好家に恨みを持っている。三人は一応一門衆ではあるし、現当主に年齢が近いという理由で近くに置かれていた。


 だから、お手紙将軍も御教書を送ったというわけだが、将軍義昭の誤算は、三人は三好に不満・恨みはあるものの、三好が負けることは望んでおらず、三好の当主になりたい、三好の重鎮でありたい、三好の現当主を言いなりにしたい程度の野望しかなかったことだ。つまり、三好討伐には立ち上がらないものの、不満を蓄積させることになった。


 つまり、三好からも足利からも兵はおきなかった。三好は分かるが、足利も?と思うかもしれない。将軍義昭は前々から述べている通り猿なのだ。それは性欲に限らない。目の前に金子があれば、使ってしまう浪費家でもあった。兵を発すなら発したら?と出された金子を宴などに使い果たして、数日もすれば困窮する。その繰り返しを続けていた。


 永禄も五年を過ぎた頃には足利家には佞臣を除くほとんどの家臣がいなくなっていた。山科様による文官斡旋や東海探題家による引き抜き(穏便に致仕させている)で、将軍さる義昭の下には太鼓持ちのように阿る者しか残っていない。その佞臣の懐も東海探題家が握っているという徹底ぶりで、東海探題家に滅ぼされたはずの若狭武田や一色・山名ですら致仕していた。


 そもそも、東海探題領には足利姓を捨てた淵名や小弓がいる。足利ではなくなっても足利流の藤原氏か源氏である。直接長勝に仕えたくない者は、どちらかに属した。もちろん全員、研修があるので、長勝に対する絶対的な畏怖と、織田家に対する最低限の忠誠度が刻み込まれることになったのだが、困窮した足利家に戻る者はいなかったという。

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