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第十四話 朝敵処刑とその他もろもろ

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

 朝廷に朝敵どもを形式上引き渡し、改修済みの三条大橋たもとにある、三条河原で処刑した。


 この三条大橋が最初に造営されたのは室町時代に入ってからだが、詳しい年代は分かっていない。ただ、度重なる戦乱によって、みやことともに荒廃していった。前世で知る史実でここを改修したのは、天正十七年に豊臣秀吉が増田長盛に命じたもので、本来この時代にはまだまだ荒廃したままなのだが、東海探題家には建設業者がいる。すでに三条大橋は改修済みなのだ。


 この建設業者、何だか最近某宗教とずぶずぶの関係にあるようだが、金銭のやり取りというよりも、仕事の依頼主と請負会社という関係であるだけのようなので、放置してある(某宗教に関わりたくないだけとは言わない)。


 閑話休題それはさておき


 三条河原の処刑場と言えば、たくさんの歴史的著名人が処刑されたイメージだが、石川五右衛門と豊臣秀次と石田三成と近藤勇くらいのもので、そこまで多くはない。しかも、三条河原で処刑されたのは石川五右衛門と石田三成だけで、他の二人は晒し首にされたのがここというだけだ。


 ともかく、朝敵なのだからということで、大友と大内と陶の一族郎党(一部)が処刑・晒し首となった。晒し首になった理由は、足利義昭への嫌がらせ、もとい、牽制にもなるからだ。足利義昭に効かなくても、幕臣には効くだろうから、あの莫迦が何か騒ぎ出しても、戦になるまでのことにはならないように取り計らってもらいたいものだ。


 今世での織田家は、足利義昭にはそこまで深く関わっていないし、どちらかと言えば忌避している。そのため、副将軍の話もなければ、堺への矢銭の話もない。もちろん、未だ三好筑前守が健在だからという理由もあるが、公家同様に幕臣たちにも、山科内蔵頭を通して子弟の職業斡旋をしてもらうつもりなので、銭で幕臣を縛っていくつもりだ。もちろん、少額(生活維持費程度)の献金をし、足利義昭の目を三好に釘付けする予定でもある。


 予定通り朝廷から、朝敵討伐の領地配分や報酬を受け取った諸侯は領地へ帰ることになる。残念ながら、尼子修理大夫は、領地配分から石見銀山が除かれたことに、表向き不平不満を述べなかった。仕方ないので、息子たちの誰かに策略をかけるしかない。本家鉢屋衆もすでに小角衆に組み込まれているので、策略をかけるのは簡単だが、どうなることやら。せめて内乱くらいは起こってもらいたいものだが・・・。


 東海探題軍も各領地に帰って行き、正月にできなかった諸行事や家族サービスを行う。できなかった諸行事の一番重要なものは、庶子四人の元服式だ。美濃攻めの際に初陣を飾った四人で、予定通りの名前になる。つまり、小笠原都の子は小笠原左京亮彦太郎勝茂に、鵜殿雅の子は鵜殿兵庫助藤太郎勝持に、諏訪胡衣の子は諏訪信濃守四郎勝頼に、武田夏の子は武田甲斐守太郎勝信となった。


 長勝の子は現在、本家(信長の子として育てられている)男子六女子四と、東海探題家男子八十二女子五十七と子沢山だ。多いわ!と思うだろう。某もそう思う。別段、ハーレム的活動はしていないし、なんなら、関東征伐以降側室は増やしていないが、子を五人産んで褥をともにしなくなった者たちから、追加の側室候補の推挙もある。それは、一応、どうにか逃げ回っているのだが、五摂家はおろか帝からも話があるらしい。恐れ多いと、これも逃げている。


 まぁ、それは良い。


 子どもだが、五人産み終えた家は、諏訪・渋川・岩松・武田・村上・高梨・岩井・那須・小田・里見・結城・桐生・佐野である。嫡子だけにすると、本家男子三女子二、東海探題家男子六女子五である。元服したら、各国に国守として配置するつもりではいるが、移封という形でその国に固定するつもりはない。五年を一期として二期ほどその地で県知事のように政治活動を行い、配置換えをしてゆく。理由は簡単で、三河・信濃・関東の一部地域に側室たちの出身地が固まっており、ある家だけを固定などと不公平なことは出来ないからだ。なお、固定される子もいるが、それは嫡二男の虎千代で、長尾家の跡取りになることが決まっている。


 国守を十年おきに配置換えする構想は、それだけには止まらない。日ノ本六十六国も令和の頃のように五十以下の国数にすることができれば、織田家だけで、過半数以上の国の支配は続けられるだろう。海軍支部が置ける、対馬や壱岐、隠岐、佐渡のような島国は直轄地にしてしまえば、確実だろう。それで数百年は織田政権が保てるはずだ。


 例えば豊前豊後のように、前後または前中後がつく国を一つにするだけでだいぶ減るはずだ。ただなぁ。ネーミングセンスが壊滅的だからな。そこだけどうにかすれば、なんとかなるか?

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