表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
201/219

第十三話 朝敵を京に連行するまでにつらつらと考えること

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

 朝敵討伐も終わり、今回の西征で得た領地は九州全土、長門・周防・石見・安芸、伊予・土佐、備中・備前・播磨となった。


 伊予・土佐は大友征伐時の敵対勢力、つまりは大友に協力した一条や西園寺を滅ぼす際に、以前から東海探題家に降っていた海軍衆や河野家を除く、武家を滅ぼした結果である。西園寺や一条は公家の流れを汲むため、殺しはしないものの、本家のある京に送り届けるという形で追放した。家臣団や周辺の国人衆たちは、臣従したり滅びたりしている。土佐有名どころである長宗我部や安芸氏は滅びた。


 伊予や土佐を落としたことは、今後あるであろう三好討伐に対して大きな意味を持つ。三好氏はその氏が示す通り、阿波国三好郡を本貫地とする武家である。出自を詳しく語れば、河内源氏(清和源氏)の信濃源氏(小笠原氏)の庶流で、承久の乱で後鳥羽上皇方についた宇多源氏の近江源氏(佐々木氏)に代わって阿波守護となった小笠原氏の末裔を称している。最初に史料に名を出すのは、三好式部少輔ではあるが、三好筑前守家とは違う三好の嫡流と言われている。


 三好式部少輔が誰なのかについては、系図を見ても当時の史料を見ても定かではないが、寛正六年に細川兵部少輔成之の奉公人の中にいる。なお、筑前守家の当時の当主は三好之長であり、智勇兼備の良将と謳われた。之長の諱は、細川成之に偏諱を受けたものであり、之長は管領・細川勝元に従い、応仁の乱に東軍として参加している。


閑話休題(話を戻そう)


 ちょっと脱線してしまったが、伊予・土佐を押さえるということは、三好氏の本貫地をいつでも取れるぞ!という威圧になる。織田弾正忠家では、先々代の織田月巌の代から拠点を転々と変える(津島→勝幡→木ノ下と移り変わる)のが通例となっているが、他の武家はそうではない。特に国人衆は一所懸命の言葉通り、本貫地から動かない。まぁ、長勝はそれを知っていながら、あえて石高制から貫高制に移行して、場所に囚われない教育を施していたのである。


 さて、本貫地をいつでも攻められるぞとは言っても、これと言った大義名分がなければ、攻めることは出来ない。今のところ、三好に対する大義名分は表向きには無い。そう、表向きには無いが、本願寺勢力を傘下にしていることを明かせば、いつでも攻められる。今のところ、明かすつもりはないが、ひょんなことから当代の筑前守が正気に戻り、このことに気づいたとしても、いつでも戦える準備をしているという意味にはなる。


 今連行している大友や大内や陶などの朝敵処刑が終われば、目下の敵は尼子氏ただ一家だ。六角亀寿丸と浅井猿夜叉丸が何か目論んでいるようだが、今のところ六角家とも事を構えていない。何かあるとしても、家督を継いでからだろう。元服は来年だろうが、すぐには何も出来まい。あるとしたら、現当主の左京大夫が突き動かされて、手切れになるくらいだろうが、左京大夫義賢は先代の雲光寺殿光室亀公と比較すれば、劣るかもしれないが、次代の四郎義弼ほど阿呆ではない。亀寿丸が元服し、四郎義弼が当主になるまでは何もないと思いたい。


 ただ、たまたま運良く六角にいて助かった浅井猿夜叉丸と側近衆たちにだいぶ担がれて、六角亀寿丸が調子に乗っているようだという点が気になる。史実では、猿夜叉丸が六角家にいた頃は、だいぶイジメ抜いていたという逸話があるほど仲が悪かったはずだし、猿夜叉丸も脳筋突撃を得意とする猪だったはずだから、参謀は猿夜叉丸くんの側近四人の誰かだろう。


 浅井氏の話はもしかしたら、以前に触れたかも知れないが、譜代は四家しかない。それ以外の家臣たちは京極家配下だった頃の同格の武家か国人衆だ。猿夜叉丸くんのそばにいるのは、のちに遠藤喜右衛門尉直経になる子どもと、田辺式部丞信頼になる子どもと、矢野(なにがし)と保多(なにがし)だ。史実の功績から考えるに遠藤が参謀だろう。つらつら考えたところで、今は六角家の庇護下にある。何か起こるまでは、何も出来ないだろう。


 他の勢力は、山城の足利、河内の畠山、備後の三村くらいか。三村は火種があるし、何か起これば滅ぼすとして、やはり、目下の敵は尼子だな。石見銀山を朝廷に献上し、掘削と採掘作業は東海探題家で行い、それ以外の石見を尼子に渡すか。一応、一国配分はある、旨味は無いが。石見銀山を盗る動きをすれば、良い大義名分となろう。朝敵にするのも良い。


 まぁ、それが無くても、因幡入りの際に、小競り合いが起きた。武田三河守ともどもすり潰したが、その遺恨もあろう。尼子修理大夫がどう反応するかだが、修理大夫が飲み込んだ場合は、右衛門督を焚きつけよう。でもなぁ、かなりビビってだからなぁ。右衛門督が無理なら、九郎兵衛尉倫久か四郎兵衛尉秀久でも良いか。修理大夫が生きているうちは無理でも、奴は永禄三年年末には死ぬ。原因は知らんが、編集で見る限り永禄三年は間違いなさそうだ。あと五年か。内政していれば、すぐだろうて。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ