第九話 海軍衆への恩賞(名誉)
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なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
日ノ本各地の海賊衆を麾下に置き始めたのは、関東を制したあとくらいからだろうか。初めは大友の奴隷貿易を阻害しつつ、こちらの交易のついでくらいに各地の島々を制覇させて、海賊衆を下し、配下にしていった。まぁ、超大型戦艦(黒船)が接岸できる湊は、東海探題領にしかないものの、大型和製南蛮船と共に湊に近づけば、大概の海賊衆は戦わずして降伏した。一応、一当てして降伏した者たちもいるが、全員に共通するのは、降伏後目をキラキラさせながら、「いずれはこの舟に乗れるか」と問うてきたらしい。生かすか殺すかは海軍衆に任せていたものの、戦国時代を代表するような海賊衆たちは、ほぼ全員配下におさまった。
長勝が直接会ったのは、研修中の期間に、東海探題領にいた者たちだが、嫡子を小姓にあげてきた者たちもいる。名目は人質だが、そんなものいてもいなくても裏切る者は裏切る。だが、長勝は情報と経済を制することを優先し、それらの者たちを優遇してきた。もちろん、それ以外の者たちの不満はできるだけ抑えつつであるが。
海軍衆に与えていた権限は、東海探題領が発する交易防衛以外の渡海料や護衛料は懐に入れていいこと。もちろん、東海探題領で発する交易での護衛料などは、年間十二回行ったことを前提に支払っている。もちろん、十二回も行かない、というか、往復の期間を考えれば年間四回が限度であろうことは、承知の上で支払っていた。それを支払っても余りある利益を東海探題家では受け取っている。
さて、ここまで話して、誰が麾下にいるか気になるところであろう。関東征伐以前から配下であった土屋右衛門尉昌遠(武田信虎配下)、佐治対馬守為次、同左馬允為平、伊丹権大夫雅勝、千賀孫兵衛為親、向三太郎忠綱、間宮左衛門尉信次、同兵庫頭信俊、同兵庫助信吉、小笠原摂津守安元、同安芸守広重、岡部豊前守貞綱を除くと、湊五右衛門晴秀、九鬼宮内少輔定隆(天文二十年死去、跡目は同宮内少輔浄隆が継ぐ)、松木修理亮隆正・間柄千助隆知、白主左衛門隆克、津守摂津守国秀、小浜孫三郎広景(天文二十一年死去、跡目は同民部左衛門勝広が継ぐ)、岡本左京亮通輔、安西又助清勝、清水太郎左衛門綱吉、富永三右衛門政範、鈴木兵庫助繁朝、三浦五郎左衛門尉茂信、堀内安房守氏虎、森志摩守元村、後根壱岐守盛道、宇賀島十郎左衛門忠重、久米安芸守慶村、河村平太夫慶通、賀屋和泉守景頼、櫛部藤蔵人良正、沓屋東市正景頼、桑原掃部助隆祐、斎藤加賀守高利、宇多津讃岐守頼清、末長左近太夫景道、末長常陸介景盛、長崎左近将監元康、野間刑部大輔隆実、福井出雲守元信、福島大和守元長、福間彦右衛門元明、堀立壱岐守直正、光井兵庫允兼種、山本弾正忠房勝(天文二十二年、嫡子左近将監賢勝に跡目を譲る)、村上掃部助義忠、村上新蔵人尚吉、村上出雲守通康、能島左近将監隆泰、池四郎左衛門頼定、佐賀関若狭守鑑為、浜田隠岐守宗綱、熊谷出羽守直義、安宅大炊助晴長、菅平右衛門達政、宮本伝太夫意満、高原久右衛門次虎、金光備前守宗友(天文二十四年死去、跡目は同備前守宗高が継ぐ)、伊香賀十郎左衛門尉房弘、磯兼又三郎直綱(跡目は、婿の末長左近太夫景道が磯兼姓に替えて継ぐ)、白井越中守房胤(天文二十三年死去、跡目は同助四郎 吉胤が継ぐ)、奈佐 日本之介 致興(天文十九年死去、跡目は同日本之介 勝致が継ぐ)、忽那式部少輔 通乗(弘治元年死去、跡目は同式部少輔通著が継ぐ)、宇久左衛門尉盛定(天文十八年死去、跡目は同淡路守純定が継ぐ)、松浦源三郎隆信、志佐対馬守純次、深江大隅守純忠、桃野兵庫之助純治、世知原壱岐守定治、松浦丹後守親、波多壱岐守興(天文十七年死去、跡目は同壱岐守盛が継ぐ)、若林越後守鑑興、櫛来新右衛門鑑定、杉若藤七郎景宗、深堀大膳大夫賢光である。
東海探題家による東日ノ本統一後は、樺太・国後・択捉・根室・釧路・北見・天塩・石狩・十勝・日高・胆振・後志・渡海・陸奥・陸中・羽後・羽前・陸前・磐城・越後・佐渡・常陸・下総・上総・安房・武蔵・相模・伊豆・駿河・遠江・三河・越中・能登・加賀のいわゆる海に接する各国所属の海軍大将として再配置した。そして、各国の二ないし四箇所ある海軍砦(湊または島)を任せている。東海探題領外の海賊衆たちは、名義上、先ほど挙げた各国のどこかに所属にはなっているものの、現地で活動してもらっている状態だ。
なお、北海道の各国と島国については、北海道新設を先取りした「五畿八道移行への申請」を朝廷に提出した際に、詔勅も出してもらって、それぞれを一つの国として扱っていただいている。それに伴い、守・介・掾・目の官位も創設していただいた。さらに今回、琉球と高砂を国として扱っていただくことになり、もちろん官位も創設していただいた。
閑話休題
今回の朝敵討伐に際して、一部の海軍大将たちが、備後国 鞆浦湊に集まっている。もちろん、今から安芸を攻めるための海軍衆だけで、水窪の軍に追従している元赤間関水軍や元丹後水軍・元五島水軍・元松浦水軍や、島津勘六郎の軍に追従している元坊津水軍や元豊後水軍・元門司水軍・元土佐水軍はいない。ここにいるのは、駿河・三河・熊野・志摩・淡路・塩飽・木津・下津井・村上などの元水軍衆で、現在の東海探題海軍の一部であった。
もちろん、恩賞は全員分ある。元々、与えている各国での海軍大将の権威に加えて、先述の新設官位を海軍大将に配布することで、これまでの恩賞(名誉)とした。
今後も水軍の将を見つけたら、追加していきます。