第六話 織田家は公家の味方
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なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
播磨を平定した頃になって、ようやく大舘たちが合流した。家臣は主君に似ると言うが、きゃんきゃん吠えてて煩い。
「そもそも論として、将軍家からの報せが届いておれば、赤松も攻めてはこなかったのでは?」
「だからだと言って我々に計りもせず。」
「攻められて五日も経って合流なさる方々を待てと?」
「うぐっ。それにしても赤松が誰も残っておらんではないか?」
「ほぉ?赤松を助けたかったと?ああ、足利家を将軍家にした名門ですもんねー。観応の擾乱でも、等持院様をお味方した重要な一族ですもんね。それで?朝敵になった赤松を助けて、足利家も朝敵になりたいと?」
「いや、そんなことは言っておらんではないか。」
「助けるとはそう言うことですよ?錦の御旗を見ても何も考えず、突っ込んでくるような愚か者ですよ?朝敵になりたかったとしか思えません。それを助けたいと言うことは、足利家も朝敵になりたかったと捉えられても仕方ないのでは?」
「うぐっ。いや、しかし。」
いやいや、そこで詰まるな。本当に文官か?あー、もー。面倒くさい。本意気の威圧かましたろか。とか思ってしまうが、相手は文官なのでほんのり威圧し、状況を説明して納得させた。威圧を消してもまだガタガタ震えているし、地面に染みができているが、見ないことにするのも武士の情けだ。
ついでに、一緒に合流した三好日向守や三好下野守、石成主税助らも震えているが、知ったことではない。割と混同されて名字を岩成と間違われるが、石成で間違いない。氏族としては、大和国山辺郡石成郷の神職(石成神社がある)か、備後国品治郡石成郷の豪族かどちらかの出身と言われているからだ。誰かに仕え始めてからは「岩成」となっていることから、上司が同じ読みだからと間違えられてしまったのだろう。当時の上司のことは『史略名称訓義』(細川配下時代)と『東寺百合文書』(三好配下時代)とに書かれている。
さて、播磨の赤松は全て滅ぼした。飾磨も上月も丸山も龍野も石野も。石野は別所の家臣だったのだが、都合よく敵対となったので、なんの気兼ねもなく、滅ぼした。陪臣にまで落ちていたとしても赤松は赤松。足利幕府設立に大きく貢献した家柄、つまり名門だ。またぞろ、将軍家に泣きついて、大名として復活されてはたまらない。ならば、赤松と名乗れる一族はこれを機会に滅ぼすべし。というのが、長勝の魂胆だった。良かったよ。別所が敵対してくれて(意味深)。
その分、赤松家臣団はだいぶ残った。主君が朝敵になった時点で、だいぶ離れたのも大きい。降伏した物たちは以下の通り。在田筑前守、福原主膳正、伊王野土佐守、岩崎源兵衛、魚住右近大夫、内海弥四郎、安積平次郎、小林三河守、下村丹後守、赤鵜野弥太郎、淡河弥三郎、江見又治朗、大谷新左衛門、太田新兵衛、梶原平三郎衛、糟屋内膳正、神吉民部少輔、衣笠豊前守、櫛橋豊後守、櫛田左馬助、甲府寺左近太郎、笹倉平左衛門、島津彦兵衛、島村弾正左衛門、世良田肥前守、曾根宗太郎、高田丹後守、孝橋新五郎、田尻大和守、垂井中務丞、得平能登守、鳥居安芸守、長井四郎左衛門、中西兵助、中村修理亮、難波備前守、早瀬帯刀、藤田河内守、眞嶋新左衛門尉、三宅肥前守、吉田伊賀守、依藤太郎左衛門、渡瀬修理大輔。
ちなみに、播磨国に住んでいる公家の冷泉為純殿は、最初からこちら側なので含まれていない。下冷泉家の方だが、京の冷泉家に避難してもらっている。史実では江戸時代に入ってから、孫に勅命がおりて、復興する家だ。こんなところで潰して良い家ではない。