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第四話 一旦戦を始めると翌年も戦をしている気がする件

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

 昨年(弘治元年)に引き続き、今年(弘治二年)も、総大将として合戦に参加することになるとは・・・。内政したいな。とか考えてしまう長勝であるが、長勝が動くと天変地異のような出来事が各国で行われることになるため、家臣団、特に評定衆や農政方・経済方・流通方の面々はあまり長勝に動いてほしくはない。長勝が内政を好むことは知っているため、絶対口にはできないが、皆がそう思っている。チートな内政をしてくるが故に、調整が大変なのだ。まぁ、某宗教の普及率が上がって、民忠が爆上がりするので、その点だけは、良しとしているが。


 弘治元年に出兵しなかった兵二十万で西進する。三河→尾張→美濃に進み、三郎様にご挨拶し、北近江の琵琶湖を反時計回りに周回して、京に入って帝にご挨拶。錦の御旗などを受け取り、各地の諸大名の兵を吸収しながら、安芸に向かう。


 錦の御旗と聞くと、江戸幕末期の錦の御旗が思い浮かぶ人も多かろうが、錦の御旗の歴史は長い。朝敵の最初の人が『日本書紀』に出てくる長髄彦ながすねひこであることは先述の通りだが、歴史書に出てくる錦の御旗は、『吾妻鏡』にある源頼朝による奥州合戦であろう。なお、官軍を象徴する旗ではあるものの、初めから定まった形があるわけではない。江戸幕末期の錦の御旗は、赤地の錦に金色の日像・銀色の月像を刺繍したり、描いたりした「日之御旗」と「月之御旗」のついの旗であったが、『吾妻鏡』の奥州合戦では、「伊勢大神宮」「八幡大菩薩」の神号と鳩の意匠が入ったものが用いられ、『太平記』の後醍醐天皇の三笠山立て籠もり時には、日輪と月輪の意匠が入ったものが用いられている。『梅松論』にある室町幕府側の錦の御旗は「伊勢大神宮」「八幡大菩薩」の神号と日輪の意匠が入ったものである。


 ちなみに、錦の御旗を用いるには、天皇・上皇の治罰綸旨が下されることが必要だが、錦の御旗は綸旨を受けた側が自分で用意する必要がある。島津勝歳が遠江に亡命した時点から、大友を朝敵にする構想があったので、「いずれ必要になるときのために」と、東海探題領内で作った錦(二色以上の色糸や金銀糸を使って、きれいな模様を織り出した、地が厚い高価な絹織物)を朝廷に献上していた。意匠は、前世で博物館かどこか見た江戸幕末期の「日之御旗」と「月之御旗」のついの旗である。


閑話休題それはさておき


 官軍に対して攻撃を仕掛けてくれば、そのまま朝敵にできるので、尼子が来ないかな?とか期待したが、合流されてしまった。尼子の総大将は右衛門督えもんのかみ義久。おいおい、当主来ねーのかと思ってしまったが、尼子の次期当主はこちらの軍様と、長勝に気圧されている。晴久に何かあれば、すぐに降伏するかもしれない。そのほかの地域の豪族・小名たちも同様に東海探題軍に気圧されている。


 なお、六角家からは兵が合流していないが、足利・三好からは形式的な合流があった。六角家から合流がなかった点には、北近江を反時計回りに京に入った理由にも繋がっている。史実ではあり得なかったことなのだが、六角亀寿丸(のちの義弼)と浅井猿夜叉丸が仲が良い。そして、二人とも反織田感情が強すぎる。猿夜叉丸は父を含めた親族衆が織田家によって死滅したことが理由だが、亀寿丸は理由の分からない反発精神のようだ。


 六角家の次期当主も側近候補が、元服前にも関わらず、強く反対し、幾つか理由をつけて、兵を出していない。長勝から言わせれば阿呆の所業だ。三好や足利のように、五十とか百とかの少兵だとしても兵を出すべきだ。これもまた、朝敵に出来る口実になるし、良い大義名分になる。先代定頼の頃なら、こんなことにはならなかったであろう。左京大夫義賢が、先代と比べて劣ると歴史的にも言われていた理由の一端を見た気がした。


 母の養実家だし、正室つまの養実家のある六角家だったから、これまで遠慮していたが、美濃に凱旋する前に蹂躙するのもいいかもしれない。小角衆・大峯衆を使って、いつもの用意をしておこう。司笆や富城に朝廷工作もさせておこう。逃げ場は足利義昭のところで良いだろう。ともに永禄の変で死んでくれ。

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