第一話 弾正尹と民部卿
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
楽しんでいただけると幸いです。
前々話で、次は永禄の変みたいなこと言ってましたが、忘れてください。毛利潰し(大友・大内はついで)の年表をすっ飛ばしてました。
また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)
なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
織田弾正忠家の官位官職は、上がっても弾正大弼までであろうと思っていた。大弼の上に弾正尹はあるけれど、歴史的に親王が任官されることが多く、弾正尹宮と呼ばれる官職で官位にして従三位に相当する。公家どころか皇族の官位なのだ。ゲームじゃないんだから、そういう背景無視した官位が来るはずないと。この世界が「変なところだけゲーム」だと忘れていた。
東海探題領の駿河に外内裏を作ったとは言え、織田家は武家だし、藤原の流れを汲むとしても、皇族の血は流れていない。いや、配偶者としては薄く薄く流れているかもしれないが、太古の昔から、藤原氏は家臣であり、家臣の姓の一つ「朝臣」は戴いていても、姓を「君」または「公」にしたことはない。だから、朝敵の詔を戴くにあたり、本家に弾正尹の任官がくるとは思っても見なかった。
そして、某に民部卿の任官があるとも思っていなかった。まぁ、民部卿じたいは、藤原北家魚名流であれば、任官されてもおかしくはないのだが、魚名流の中の利仁流(織田家の祖と言われる藤原氏)だと微妙だ。民部少輔任官の際にも大臣らに聞いたが話を濁された。
今回の任官は、東海探題海軍のおかげと言っても過言ではない。南蛮からの侵攻を日ノ本本土に上陸させないようにするため、高砂(史料によっては高山)と琉球を落とさせた。高砂は、首狩り族が住まうような文化度の低い島だったので、高砂を落とす際には島の周囲を黒船を含む和風南蛮船などをぐるぐると巡回させながら、鉛玉の弾幕で焦土としたようだ。もちろん、駐屯していた阿蘭陀・西班牙などの南蛮諸国の兵もろとも。
具体的にどこがいたかは、よく分からない。上陸後は、火炎放射器もどきの兵器を使って、完全に焼き払ったそうだ。密林にいる蚊や様々な虫たちに病原菌があるかもしれないから注意するようにと言ったことがきっかけで、それなら、そこにいる原住民・南蛮人を含めて焼いてしまえば、問題なかろうという結論に至ったようだ。問題しかないわ!と言いたい。
まぁ、誰一人として逃さなかったようだから、南蛮諸国が高砂に駐屯地が無くなったのを知るのはだいぶ先になるだろう。豊臣秀吉が朝鮮半島に攻め入ったのは「南蛮人の悪を放置したら、日本国が無くなる」という危機管理の問題であったという説が令和の頃にはあった。
ここでいう南蛮人の悪は奴隷売買を指すのだろうが、奴隷売買が日ノ本になかったかというと、ありはしたものの、他国に売り出すことは、南蛮渡来が起こるまではなかったようなので、南蛮への奴隷売買を悪と断じたのであろう。
織田三郎様がどういう思考をするかは今のところ不明だが、長勝としては、朝鮮・明に対して攻め入ろうとは思っていない。まぁ、愛新覚羅氏を使って、朝鮮も明も滅ぼしてもらうつもりではあるが、日ノ本から援軍は出しても侵攻はしないと決めている。もちろん、三郎様が攻めよう!と言い出したら攻めますよ。今のところその気配は無いので、愛新覚羅に全てお任せだ。
閑話休題
朝廷に奏上していた、大友による南蛮への日ノ本の民を奴隷売買していた件に対する仕置きと、大内(陶尾張守)の大寧寺の変における公家大宮左大史殺害に関する仕置きへの返答として、両氏への朝敵討伐の詔が発せられた。
この勅は、諸大名に対して送られたが、まともに兵が出せるのは、織田のみである。大友に与し小名たちも、大内に与し小名(内藤・毛利含む)たちもまとめて討伐される。毛利などはとばっちりだと喚くだろうが、現当主を生かしておいて、何の得があろうか。戦国武将・戦国大名としては好きな人だが、相対するには老獪すぎる。潰しておいて損はない。
【公と真人について】
[本文]太古の昔から、藤原氏は家臣であって、姓を公にしたことはない。
この部分、誤字はありません。ありませんが、家臣では意味が分からなかったようなので、「家臣の姓の一つ「朝臣」は戴いていても、姓を「君」または「公」にしたことはない。」に変更します。
[解説]まず、変更したくだりは、家臣である朝臣なので、朝臣は省略した形しておりました。次に公ですが、八色の姓では天皇家は真人になっておりますが、竹内東京大学名誉教授の『史淵』43巻にある「天武「八姓」制定の意義」によれば、真人が授けられたのはすべて公姓を持っていたものであり、応神天皇の子孫を称した息長公・羽田公・山道公のほかは、継体天皇以降の天皇の子孫を称した、五世以内に天皇の先祖を持つ氏族であったようなので、本文中では、「君または公」にしています。