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【500万PV】織田勘十郎異伝〜自重しなかった結果、別家を立てて生き残ります。〜  作者: 八凪 柳一
第八章 西へ征く

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第十七話 三好の屈辱(二度目)

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

 長勝の持つ「編集」の良いところは前にも述べたが、どこにいても編集ができるところだ。今までは、その能力ちからを行使することは、あまり無かったが、三好の目を逸らす為、頑張ってくれている者たちの拠点に使っている。三好の攻撃は熾烈を極め、毎日のように石山本願寺の耐久度が半減している。本来なら、数日くらいで壁に穴が空き、侵入を許していたことだろう。


 その耐久度を毎日回復するために、編集を用いている。蔵の中にある城壁も元となる資材が見るからに目減りしているが、これも編集すればすぐに回復するので、気にせず毎日の夜のルーティンに組み込んでいる。


 ただ、そのことにいち早く気づいた顕如が、寺内にいる信者たちの布教活動に活用しているようで、士気が異様に高い。しかし、それよりも気になるのは、信者の割合が変わっているところだ。初めは当然浄土真宗が九割五分を超えていた。今ではあの宗教と半々だ。たった三ヶ月でである。


 なお、本願寺には仏旗が掲げられている。もちろんこの時代には無かったはずのもので、世界的に見てもこの時代には無かったものだ。仏旗自体、第二次世界大戦の終結から五年後に制定され、日本でも導入されたのは、さらに四年後のことであるから、実に四百年早い導入となっている。


 織田東海探題家に属し、尚且つ、あの宗教の傘下に入った仏教勢力は全てこの旗を掲げている。つまり、高野山も比叡山もそして本願寺もこの旗が掲げられている。旗の配色は緑・黄・赤・白・紫(L字)最初の四色は長方形で、紫の右側の余地に正方形で縦に先ほどの四色が並ぶまさに未来の仏旗そのままだ。


 それらの色にはそれぞれ意味が込められている。緑は仏陀の頭髪の色で「定根」をあらわしている。黄は仏陀の身体の色で「金剛」をあらわしている。赤は仏陀の血液の色で「精進」をあらわしている。白は仏陀の歯の色で「清浄」をあらわしている。紫は仏陀の袈裟の色で「忍辱」をあらわしている。縦の四色は「輝き」をあらわしている。


 比叡山を下したあと、それぞれの寺社にこの旗を贈り、意味を説明すると、泣くほど喜ばれた。あの宗教の中にあっても、仏門徒であることを隠さないで済むと。長勝は、政治に関わってさえ来なければ、宗教の自由を認めている。だから、民の心に安寧を齎す宗教を蔑ろにするつもりは元々なかった。


 世の中は、理不尽に満ちている。それをできるだけ解決に導くのはまつりごとだとは長勝も思っているが、政が心の安寧を崩すことだってあるのが、戦国の世だ。そういう時に民の心に寄り添うのは、宗教だとも思っている。だから、政治に口出しさえしなければ、弾圧などしない。宗教を弾圧することは民の心も同時に踏み躙ることになるからだ。まぁ、今では諦めかけているが、あの宗教による長勝に対するお祈りを見ると踏み躙りたくもなるが。行動には出さないだけだ。


閑話休題(話を戻そう)


 三好は足利との戦を講和で終わらせてから、そのまま本願寺との戦に、怒りの感情に合わせて突入した。三好が押さえていた京を手放してまでだ。例え、十数万が籠る石山とて、連日連夜攻め立てれば、落とせると思っていたのだろうが、そうは問屋が卸せない。


 織田信長ですら、十年以上かかった石山本願寺攻めだ。三好がどんなに頑張ろうと冬が来て雪が降ってくれば、厭戦的になるし、士気も下がるし、将兵の不平不満は累積する。そういう時こそ被害は甚大化するもので、阿波衆のうち、堀江・大寺・西条・塩田・三橋・乾・伊沢・東条・桑野・土肥・清原が討死した。また、讃岐衆からも、池内・前田・神内・三谷・由良・由佐・安富・六車・羽床・新居・滝宮・財田・奈良・金倉・中村・飯尾・太平・牟礼・長尾が討死した。ほかにも、淡路衆の田村や摂津衆の入江・茨木・塩川・能勢も討死している。


 三好は本貫地のある四国勢がガタガタになってしまった。こうなれば、流石に引かざるを得ない。三好はまたしても屈辱感に満ちた和睦を強いられることになった。おそらく、筑前守はまたもや血の涙を流したことだろうが、ここから数年は領国の立て直しに奔走することになる。そして、そのまま鬱となり、どこで捕えたか分からない細川六郎を惨殺し、六郎のはらわたを牢獄内に投げつけ、そのままぷつりと倒れ、帰らぬ人となるのである。


 三好筑前守の未来のことは、さておき、弘治二年に一時的におさまった三好と本願寺の諍いは、織田東海探題家にとっては、またとない好機となる。弘治二年に朝廷より賜った朝敵討伐の詔をもとに、大友(豊前・豊後)・大内(筑前・長門・周防)を平らげ、それらに協力したと嘯いて、石見・安芸・備後・伊予・土佐を切り取ることになる。


 いよいよ、天下の静謐が近づいてきた。

そろそろ終わりが近いです。別視点を1・2話挟んで、次章開始ですが、永禄の変がちょっと早まった感じで始まります。(予定)

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