第十四話 若狭・丹後・但馬・因幡のこと
すいません。15分くらい遅れました。次も頑張って書きます。
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
楽しんでいただけると幸いです。
また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)
なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
弘治元年のこの年、越前・若狭に攻め入ったのには、実は理由がある。西国の諸々も確かに理由の一つかもしれないが、弘治二年には若狭で内乱が起こる。だが、この頃にはすでに若狭は二つに割れており、ただでさえ狭い国土で、二つの勢力が鎬を削りあっていた。義統は言わずと知れた足利家の娘婿。外敵はあっても攻められまい、殺されまいと思っていたに違いない。そこに鉛玉が飛んできた。
なお、足利義晴の娘は、当日なぜか城にはいなかった。親族が死んでも里帰りのなかった時代に珍しく、室町第にいたのである。不思議なこともあるものだ。
閑話休題
若狭でこちらに応じた国人は、青井右京亮、青左近将監、池田越中守、一宮壱岐守、井上下総守、大草三河守、片山新次郎、多田伯耆守、土屋六郎右衛門、曾根又六郎、知見出雲守、鳥羽右兵衛尉、鳥羽左衛門尉、沼田上野介、本郷美作守である。
若狭武田氏一族と主な家臣団(粟屋・内藤・武藤・逸見)は討死した。武田氏当主の血縁で生き残ったのは、養子に行っていた山懸下野守くらいだろう。先の四家老は家臣助命のための切腹みたいなもので、身分の軽い家柄の者たちや陪臣は降伏となった。助命または降伏した者たちは、以下の者たちである。広野孫三郎、梶又左衛門、菊池治郎助、柿本五郎左衛門、団又兵衛、団又左衛門、仲平太夫、大谷丹後守、川上主水、武藤金吾、新田式部守、松尾豊後守、宮川新左衛門、市川山城守、上野陸奥守、大塩長門守、大野右京進、小原帯刀、香川右衛門大夫、梶又左衛門、兼田帯刀、熊谷弾正大夫、桑原九郎左衛門尉、小嶋与吉、沢村大学丞、山東民部丞、白井石見守、竹原源八兵衛、田辺玄蕃允、包枝備後守、寺井兵部少輔、寺川左馬助、永井伊賀守、中津海兵衛尉、南部石見守、温科弥五郎、野瀬日向守、野田甚太夫、畑田加賀守、久村信濃守、藤山右兵衛尉、松宮玄蕃允、安田大膳亮、山本豊後守、吉田藤三郎である。
いつも通り多い気がするが、東海探題の合戦方式は、誰でも勝てる戦であり、降伏した者は基本的に処さない。なので、今回珍しく助命嘆願に応じたが、内藤やら武藤あたりは死ななくても良かった気がする。まぁ、死にたいと言ったので腹を切ってもらったらしい。
行けたら行くで攻めた丹後は、一色の勢力下だったので、応じた国人衆以外は鏖殺となった。平氏に改姓するかも知れないが、今のところは藤原氏織田家に足利氏は要らないとばかりに、過激に攻めたのだとか。続く但馬・因幡も同じであった。そこまでしなくてもとは思ったし、今回の侵攻軍の将の中には淵名もいた。また、東海探題家の配下には足利氏は当然いる。まぁ、だいたい改姓しているので、面影はないが。
ひとまずまとめると、丹後の国人は赤尾但馬守、石川左衛門尉、小倉播磨守、伊賀右京亮、井上佐渡守、江木豊後守、大谷刑部左衛門、近藤玄蕃頭、小国若狭守、金谷伊豆守、刑部玄蕃亮、河島越前守、香久山勝右衛門、駒沢主水正、白杉主税助、高岡出羽守、松本内蔵助、千賀兵太夫、野尻隠岐守、野村将監、春延修理進、疋田孫太郎、藤田左衛門尉、三上近江守、三富豊前守、三野対馬守、矢野藤一郎、由利助之進である。
続いて但馬の国人は、赤木丹後守、で長越前守、西村丹後守、大坪又四郎、篠部伊賀守、安積美濃守、足立備前守、居相肥前守、石津甲斐守、石坪若狭守、板倉修理頭、伊津二郎四郎、井上丹後守、小代大膳亮、山本右兵衛尉、坂本出雲守、上田若狭守、毛戸備後守、西垣伊賀守、伊野左衛門、井原将監、大森飛騨守、岡本孫左衛門、小野木玄蕃允、粕屋五郎左衛門、河越大和守、河崎石見守、上道左京之進、黒坂因幡守、久谷源衛門、佐々木兵庫助、宿南修理太夫、白岩九郎左衛門尉、高木因幡守、天谷伯耆守、滝川源之丞、田和豊後守、栃尾源左衛門、内藤孫左衛門、中井三郎左衛門、長越前守、中村左京進、奈良右近将監、丹生美作守、橋本丹波守、羽尻左馬助、馬場豊後守、久下孫次郎左衛門尉、藤井左京亮、松堀隠岐守、三方大蔵丞、三宅左京進、村岡新左衛門、安木大和守、安田紀伊守である。
最後に因幡の国人は、荒神谷七郎左衛門、石田主膳、逢坂與十郎、岡六郎左衛門、北村弥四郎、荻原吉十郎、目黒伝之助、大熊治郎右衛門、隠岐土佐守、小畑出羽守、景石勘解由左衛門、木戸豊後守、木原駿河守、久世兵庫助、小山美濃守、小宮備前守、佐藤十介、篠部周防守、丹比孫之丞、懸樋孫左衛門、中原次郎右衛門、西尾伯耆守、伊田下野守、風坂左衛門尉、波多野民部大輔、広田民部大輔、村井治郎左衛門、矢部山城守、山田安芸守、小椋太郎兵衛、吉見兵部少輔であった。