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別視点 敵対出来ない理由

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

〜松井新三郎side〜


 当代(の将軍)様にお仕えするようになってかなり経つが、本当にお仕えしづらい方だ。まだ、ご先代様の方が仕えやすかった。こんなことを言っては詮無いことだが、出奔されて苗字名前を捨てられた淵名壱岐守殿の方が理知的ではなかったか?元服前の印象しかないので、実際に家督を継いだら変わっていたのかもしれないが、ついそう思ってしまう。


 なんで、わしも連れて行ってくれんかったかなぁ。まぁ、無理か。兄ならいざ知らず、部屋住のわしでは無理か。わし、あの頃、菊幢丸様付きでも御台所様付きでもない、ただの雑用だったし。次の兄上みたいに書にも嗜んでおらんから、右筆にもなれぬし、良く言えば文官、悪く言うと雑用係じゃしな。武芸も微妙じゃし。


 こんなことを言ってはなんだが、当代様は本当に気まぐれなお方よ。そして、流されやすいお方。神輿としては軽いとも言える。武家の棟梁としての、なんと言うか通っているべき筋というものを持ち合わせておられぬ。普広院様や慈照院様も還俗されて将軍となられたが、仕える者たちをこのように振り回しておられたのであろうか?


 願わくば、慈照院様のように長きに渡り足利の世を続けていただきたいと思うが、普広院様のようにならぬようにあっても欲しい。この気まぐれさが吉と出るか凶と出るか。今のところ分からぬ。それにしても、気まぐれなところもそうじゃが、還俗して禁欲な生活から解放されたからとは言え、猿ではないのだから・・・、げふん。将軍として子を成すことは大切よ。


 それはそれとして、この度、三好と不可侵協定が結ばれた。まぁ、当代様の気まぐれでいつ破られるか分からんが、一応の和平が結ばれた。三好に勝ったとかそんな喜ばしい理由ではない。三好との合戦で、突如本願寺が参戦し、三好の二柱と言える弟二人が討死した。筑後守は怒り狂っているらしい。当代様が笑っておられた。このご時世だから討死は仕方ないとしても、憎き三好の兄弟だったとしても、表向きにでも悼む気持ちを顕してはどうかと思う。


 そのことが原因で、三好は本格的に本願寺を滅ぼしたいようだ。そういう理由で、こちらと三好あちらとで、和平講和が結ばれたのだ。じゃが、我らとて痛みがなかったわけではない。負けたら逃げれる朽木を失った。別段、朽木が滅びたわけでも、朽木の御所を焼失したとかでもないが、今まであてにしていた、かと言って参戦はしてくれなかった、朝倉武田一色山名の領地をかの大大名に奪われた。畠山も河内だけになり、逃げ込む先がなくなってしまった。


 しかしながら、かの大大名の言い訳と莫大な献金により、当代様はホクホクしておられる。もっと違う着眼点を持って欲しい。もうあとがないと分かっておられるのか?いや、合戦などごりごりじゃが、こちらには細川の六郎様がおられる。三好を滅ぼしたい病がいつ発症するとも限らん。協定破りをすれば、今度こそ、殺されるとも限らん。


 だからと言って、かの大大名に仕掛けろとは言えん。先に述べた通り、あちらには名前を変えたとは言え、兄君がおられる。剃髪したとは言え母君もおられる。義理とは言え、ご正室の養父様も時折りお遊びに行かれる。ましてや帝の別内裏の地もある。はぁ。わしらもどうにかして、あちらに行けんかのぉ。まずは、兄上らに相談してみるか。


〜松永彦六左衛門side〜


 わしは元々、摂津国五百住の土豪の跡取り息子でしかなかった。しかし、このご時世、戦火に見舞われれば、親も土地も一瞬で失うなぞ、よくある話。わしも例に漏れず、弟四人と共に孤児となった。あの頃の生活なぞ思い出したくもない。


 天文九年に、殿に見出されるまでは、なんでもやって、生きながらえてきた。わしは弟ほど武芸が達者なわけではないから、商人の真似事もしたし、雑兵として合戦にも出た。土豪の子なんぞ、そんなもんよ。


 殿について行けば、天下(畿内)人の家臣になれると思うておった。しかし、雲行きが怪しくなってきた。確かに、わしが仕える随分前に先代様が本願寺の信者ともに殺されたのは何度も聞いた。それが細川六郎の策であったことを含めてな。


 本願寺が突如参入したのには、何かの策があろう。そう思う。どこが策を弄したか。少し考えれば、細川六郎でないことは分かる。はずだったが、殿は弟二人を殺された事で、血が頭に行きすぎたのか、血涙を流してお倒れになり、考えれば分かるはずのあの大大名に答えを結びつけられなんだ。


 本願寺との戦など不毛の極みだ。土地は手に入らぬし、狂信者どもは殲滅せねば、いつ一揆が起こるか分からぬ。その際にこちらの兵もどれだけ摩耗することか。どこぞの大大名のように農民を使わぬ兵ならば、そこまで心配はせぬが、我らの常備兵は少ないからのぉ。


 ん?何故詳しいか?民部大輔殿とは、交流がある。殿もご存知よ。まぁ、同盟なんぞは結んでおらなんだが、そろそろ三好が邪魔ということか。いや、こちらに直接仕掛けて来ないということは、まだ、何かあるのか?まぁ、良い。もしもの時は、なんとしてでも生き残るようにしておくか。弟たちにもそのように伝えねば。ただなぁ、甚介は頑固者ゆえ、どうなるかなぁ。

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