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第二話 瑞祥改元

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

 史実にはなかった、駿河御幸により、さまざまな朝廷行事が実施された。一つは立太子、一つは宮家創設、一つは改元である。前二つは、実はいつでも出来たのだが、年間五万貫の献上に驚いた帝が、御幸を希望し、それに合わせるかのように公家衆が活性化したことで、立太子を御幸に際して、一緒にやってしまおうという流れができた。その後、長勝からの提案で、宮家創設が提案され、一時期は遷都の話まで出てきたが、それを断り、改元を提案したという経緯がある。


 まぁ、時期的に、天文から弘治に改元されたのは、天文二十四年十月下旬であるから、ちょうど良かったというのもある。


 さて、改元とは何かに触れておこう。中国や日本などでは、紀年は、六十年周期の干支の外に、君主の在位期間を基準に定められ、治世途中で再び元年から始めることを改元と呼んだ。元号を使うようになってからは、元号も同時に改められて新元号の元年とされた。元号使用以前について、正史では便宜上、「中元年」「後元年」など、「中」や「後」をつけて記録している。なお、君主の退位により新君主が即位すると、再び元年から始められ、一般的にこれも改元と呼ぶことがあるが、専門的には、治世途中の改元だけを改元とし、新帝王の即位による元年は称元しょうげんと呼んで区別することがある。


 改元には、四つの理由が存在する。君主交代による「代始改元」、吉事を理由とする「瑞祥改元」、凶事に際してその影響を断ち切る「災異改元」、甲子・戊辰・辛酉を区切りと見做して行う「革年改元」の四つである。


 また、新元号の始点でも改元の種類が別れる。こちらは五種類ある。改元が布告された時点で、布告された年の元日に遡って新元号の元年と見なす場合を「立年改元」。改元が布告された日の始まりに遡って新元号の元年とする場合を「即日改元」。布告の翌日から後を新元号の元年とする場合を「翌日改元」または「踰日改元」。布告の年の末日までを旧元号とし、翌年の元日から新元号を用いる場合を「踰年改元」または「越年改元」。布告の月の末日までを旧元号とし、翌月の一日から新元号を用いる場合を「踰月改元」と言う。


 弘治は、史実では災異改元にあたるが、こちらでは瑞祥改元である。戦国時代の元号は、応仁以降だと、「文明」「長享」「延徳」「明応」「文亀」「永正」「大永」「享禄」「天文」「弘治」「永禄」「元亀」となり、元亀以降が安土桃山時代になる。


 史実の改元理由と出典は、「文明」が災異改元で、『易経』の「文明にしてもって健、中正にして応ずるは、君子の正なり」が出典である。「長享」も災異改元で、『文選』の「功を全うし、長くその福を享くるを得んことを喜ぶ」が出典である。「延徳」も災異改元で、『孟子』の「道徳をもって延す」が出典である。「明応」も災異改元で、『易経』の「その徳は剛健にして文明、天に応じて時に行う」が出典である。「文亀」は革年改元で、『爾雅』の「十朋の亀は(中略)五に曰く文亀」が出典である。「永正」も革年改元で、『易経』の「永くその道を正し、みな吉化を受く」が出典である。「大永」は災異改元で、『通典つてん』の「その大なればすなわちもって業を永くす」が出典である。「享禄」も災異改元で、『易経』の「天位におりて天禄を享くるなり」が出典である。「天文」も災異改元で、『書経』の「舜天文を察し七政をひとしくす」が出典である。「弘治」も災異改元で、『北斉書』の「ただ宝命を承け、志して治体を弘む」が出典である。「永禄」は代始改元で、『郡書治要』の「永く福禄を全うする者なり」が出典である。「元亀」は災異改元で、『詩経』の「元亀象歯、大いに南金を賂る」が出典である。


 こう見ると、戦国時代は災異改元が多い。出典はすごいが、元号は熟語とか成語ではないんだなというのがよく分かる。まぁ、令和の毒舌ご意見番が「元号に意味は無いんで、次は平和とかでいいんじゃないすかね」と言っていたのも分かる気がする。


 長々と語ったが、弘治はこんなに気合を入れて盛大に行うが、三年で変わる予定だ。立太子の儀で、東宮期間を三年に定めた。次の元号は永禄だ。もう決めてある。そして、いよいよ、永禄の変が近づく。弑されるのは義昭だが。


 ちなみに、御幸が決まった直後に、将軍家から、元亀に元号を変えたい旨の話が来たらしい。しかし費えが集まらず、「三好と和解して、費えを出してもらったら」と公家側からやんわり伝えられたのに激怒して、そのまま三好との戦に突入、京を追われたらしい。


 何やってるんだろうな?足利将軍の中で追随を許さない阿呆さだわと、しみじみ思った。

元号の出典理由は、字数稼ぎとかではないです。まぁ、無くても良かったと言われればそれまでですが、原文のままで出すと、どこを使ったか分からなくなるので、あえて書き下し文になってます。

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