第六話 農具開発と肉食に向けてのあれこれ
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9/9 12時頃のランキング
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【総合】
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名作が1つ完結したので、日間が一つ上がりましたが、それはそれで寂しいものです。
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中村村に行くに当たり、この時代の農具を知らねばならない。そこで、美作守に頼んで、農具を取り寄せた。鉄製の農具が生まれたのは、古墳時代と言われている。勿論、全てが鉄ではない。柄の部分は木製で、土に当たる少しの部分だけが鉄製なのだ。博物館などで見かける木製の農具は弥生時代のものを復元したものだ。
想定した通り、農具は鉄製だった。ある程度種類はあるが、当然令和の頃の円匙はない。近いものはあったが、過去のように語るが、前世の記憶だ。前世の一般的なシャベルの規格は昭和二十九年に制定され、昭和六十三年に改定されたもの。ちなみにざっくりとした規格だが、足がかけられる物がシャベルで、それ以外がスコップと言う。また、備中鍬も無い。近い物で二股の股鍬だろうか。まぁ、二股の鍬から六本の鍬に改良された「備中鍬」は文化文政時代に普及した物なので当然か。
さっそく、円匙と備中鍬を作ってもらうよう津島の鍛治師に依頼する。大凡、十日で出来るという。中村村の戸数を考えて全戸に行き渡るよう注文する。また、今後 作事衆という名の常備軍を作る構想もある。随時注文する旨を伝えておくのも忘れない。全て揃うのにひと月はかかりそうだが、中村村に行く頃にちょうどいい。数も全部と言わず、半数有れば開墾も良い具合になるはずだ。
ほかに、中村村に赴く前に、『日本書紀』『尺素往来』『拾芥抄』を揃えられたので、父信秀に肉食の許可を貰いに行った。ちなみに、許可を得ようと言ったのは、大学允・美作守の両名だ。大学允自身は、狩に行けば普通に獣肉を食べるらしい。美作守は滅多に食べないが、食べた事がないわけではないようだ。だから、本来なら許可は必要ないのだが、常識として「肉食は禁忌」だと思われているし、間違いなく母が反対する。しかし、父信秀が許可してしまえば、いくら母が反対したところで意味はないのだ。
残念ながら、父は一人ではなかった。政務を終え、寛いでいるだろうところに押しかけのだから当然と言えば、当然か。最近、母が積極的らしい。言うことを聞かない吉法師に馴れ始めた坊丸ではなく、自分の言う事を聞く男の子が欲しいらしい。史実では、あと2年くらいで喜六郎秀孝が生まれる予定だ。一年くらい頑張っていれば出来るよ、と言いたい(言わないが)。一時期は、吉法師に近いせいでおかしくなったと騒いだらしい、女中連中がこそこそ話していたのを知っている。
結論から言おう。肉食は許可された。母があーだこーだ言った事を一つ一つ書物を使って論破したらそうなった。書物に関係ない事もあった。仏教に関するものだ。そこは簡単だった。お釈迦様とは、元々は釈迦族の王族の呼び名であり、当然王子だったガウタマ・シッダールタもそう呼ばれていた。それは悟りを開く前からそうらしい。悟りを開いた事により、仏陀と呼ばれるようになり、仏教として中国を経て日本に来るまでに、仏陀=お釈迦様と誤解されて定着したようだ。そもそも僧は食べ物を作ってはいけない。食べて良いのは、お布施として頂いた食べ物だけだ。それが肉だろうと穀物だろうとお布施なら食べられる。肉を禁忌とするのは、お布施を否定する事にもなり、本末転倒なのだと。
それでも、いくつかの動物については、反論し続けた。こちらが折れたと見せる為に食べないと決めていた動物たちを伝える事で満足してもらい、母の許可も得た。食べるのは卵を産まなくなった雌鶏、無精卵、年老いた牛、猪・鹿・羚羊・熊・兎である。有精卵と無精卵の作り方には父信秀がかなり食いついたので、その方法は伝えておいた。いずれ、卵産業が生まれるだろう。
さて、ようやく中村村に向う準備が整った。勝幡から中村村まで、歩いても一刻から一刻半。馬で半刻ほどだろうか。勿論、一人では行けない。近いとはいえ治安も良くはない、悪いわけでも無いが。ほどほどに盗賊は出るし、父信秀には敵が多い。だから、傅役の大学允と家老の美作守は当然として、家来衆の津々木や浅井がついてくる。津島衆も合流した。なお、中村村代官の稲熊は中村村に住んでおり、出迎えてくれる。ちなみに家来衆の津々木の奥さんが乳母だ。史実の信勝若衆、津々木蔵人はこの人の息子だ。津々木氏当主代々の通称が蔵人らしい。父親も息子も蔵人、分かりづらい。まぁ、史実通り増長して、謀反首謀者になりそうなら、乳兄弟とは言え排除するが。
何故こんな道中に関係ない事をつらつら考えているかと言うと、中村村に着くまでに、見つけてはいけない、いやいけないわけでは無いが、そんな子どもを六人も見つけてしまった。フラグを回収した気分だ。二年ほど経ってはいるが、幼児のうちに回収して良いフラグではない。まだまだいそうで怖い。死ぬまで子作りに励み、死んだ後にも子どもが生まれた話は本当だったのだなとしみじみ思う中村村までの旅路だった。
その子らは、全員が孤児だった。追従している傅役・家老と家来衆の津々木・浅井・稲熊には、私が鑑定する事を父信秀から「神の目を持つ」という雑な説明で知っていた。だから、理由を説明すると、勝幡に戻る際に引き取る事に拒否はなかった。しかし、津島衆で本日より合流した者たちはその雑な説明さえしていない。その為、山川 民部、鈴木 右京、真野 式部、光賀 大膳、宇津宮 兵部、宇佐美 兵馬、開田 隼人の七名にはまだ説明しない事にした。
そうこうしている間(坊丸は馬に相乗りしているだけ)に、中村村に到着した。
最初の構想では、津々木蔵人(息子の方)、増長させて誅殺予定でしたが、展開により未定となっております。
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