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第六話 農具開発と肉食に向けてのあれこれ

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


9/9 12時頃のランキング

【歴史(文芸)】

日間2位、週間2位、月間6位、四半期26位

【総合】

日間112位、週間117位


名作が1つ完結したので、日間が一つ上がりましたが、それはそれで寂しいものです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。


ただし、誤字報告だけで、お願いします。感想を受け取らないにしているせいか、感想込みの誤字報告が見受けられます。誤字が修正出来ない事もあります。(そのまま適応させると、感想ごと適応されるので。)悪質だと思った場合は、ブロックする事もあります。悪しからず。


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

 中村村に行くに当たり、この時代の農具を知らねばならない。そこで、美作守に頼んで、農具を取り寄せた。鉄製の農具が生まれたのは、古墳時代と言われている。勿論、全てが鉄ではない。柄の部分は木製で、土に当たる少しの部分だけが鉄製なのだ。博物館などで見かける木製の農具は弥生時代のものを復元したものだ。


 想定した通り、農具は鉄製だった。ある程度種類はあるが、当然令和の頃の円匙シャベルはない。近いものはあったが、過去のように語るが、前世みらいの記憶だ。前世の一般的なシャベルの規格は昭和二十九年に制定され、昭和六十三年に改定されたもの。ちなみにざっくりとした規格だが、足がかけられる物がシャベルで、それ以外がスコップと言う。また、備中鍬びっちゅうぐわも無い。近い物で二股の股鍬またぐわだろうか。まぁ、二股の鍬から六本の鍬に改良された「備中鍬びっちゅうぐわ」は文化文政時代に普及した物なので当然か。


 さっそく、円匙えんし備中鍬びっちゅうぐわを作ってもらうよう津島の鍛治師に依頼する。大凡おおよそ、十日で出来るという。中村村の戸数を考えて全戸ぜんいえに行き渡るよう注文する。また、今後 作事衆さくじしゅうという名の常備軍じょうびぐんを作る構想もある。随時注文する旨を伝えておくのも忘れない。全て揃うのにひと月はかかりそうだが、中村村に行く頃にちょうどいい。数も全部と言わず、半数有れば開墾も良い具合になるはずだ。


 ほかに、中村村に赴く前に、『日本書紀』『尺素せきそ往来』『拾芥抄しゅうがいしょう』を揃えられたので、父信秀に肉食の許可を貰いに行った。ちなみに、許可を得ようと言ったのは、大学允・美作守の両名だ。大学允自身は、狩に行けば普通に獣肉を食べるらしい。美作守は滅多に食べないが、食べた事がないわけではないようだ。だから、本来なら許可は必要ないのだが、常識として「肉食は禁忌」だと思われているし、間違いなく母が反対する。しかし、父信秀が許可してしまえば、いくら母が反対したところで意味はないのだ。


 残念ながら、父は一人ではなかった。政務を終え、寛いでいるだろうところに押しかけのだから当然と言えば、当然か。最近、母が積極的らしい。言うことを聞かない吉法師に馴れ始めた坊丸ではなく、自分の言う事を聞く男の子が欲しいらしい。史実では、あと2年くらいで喜六郎きろくろう秀孝ひでたかが生まれる予定だ。一年くらい頑張っていれば出来るよ、と言いたい(言わないが)。一時期は、吉法師に近いせいでおかしくなったと騒いだらしい、女中連中がこそこそ話していたのを知っている。


 結論から言おう。肉食は許可された。母があーだこーだ言った事を一つ一つ書物を使って論破したらそうなった。書物に関係ない事もあった。仏教に関するものだ。そこは簡単だった。お釈迦しゃか様とは、元々は釈迦しゃか族の王族の呼び名であり、当然王子だったガウタマ・シッダールタもそう呼ばれていた。それは悟りを開く前からそうらしい。悟りを開いた事により、仏陀ぶっだと呼ばれるようになり、仏教として中国を経て日本に来るまでに、仏陀ぶっだ=お釈迦しゃか様と誤解されて定着したようだ。そもそも僧は食べ物を作ってはいけない。食べて良いのは、お布施として頂いた食べ物だけだ。それが肉だろうと穀物だろうとお布施なら食べられる。肉を禁忌とするのは、お布施を否定する事にもなり、本末転倒なのだと。


 それでも、いくつかの動物については、反論し続けた。こちらが折れたと見せる為に食べないと決めていた動物たちを伝える事で満足してもらい、母の許可も得た。食べるのは卵を産まなくなった雌鶏めんどり、無精卵、年老いた牛、猪・鹿・羚羊かもしか・熊・兎である。有精卵と無精卵の作り方には父信秀がかなり食いついたので、その方法は伝えておいた。いずれ、卵産業が生まれるだろう。


 さて、ようやく中村村に向う準備が整った。勝幡しょばたから中村村まで、歩いても一刻から一刻半。馬で半刻ほどだろうか。勿論、一人では行けない。近いとはいえ治安も良くはない、悪いわけでも無いが。ほどほどに盗賊は出るし、父信秀には敵が多い。だから、傅役もりやく大学允だいがくのじょうと家老の美作守みまさかのかみは当然として、家来衆の津々木や浅井がついてくる。津島衆も合流した。なお、中村村代官の稲熊は中村村に住んでおり、出迎えてくれる。ちなみに家来衆の津々木の奥さんが乳母だ。史実の信勝若衆、津々木蔵人はこの人の息子だ。津々木氏当主代々の通称が蔵人らしい。父親も息子も蔵人、分かりづらい。まぁ、史実通り増長して、謀反首謀者になりそうなら、乳兄弟とは言え排除するが。


 何故こんな道中に関係ない事をつらつら考えているかと言うと、中村村に着くまでに、見つけてはいけない、いやいけないわけでは無いが、そんな子どもを六人も見つけてしまった。フラグを回収した気分だ。二年ほど経ってはいるが、幼児のうちに回収して良いフラグではない。まだまだいそうで怖い。死ぬまで子作りに励み、死んだ後にも子どもが生まれた話は本当だったのだなとしみじみ思う中村村までの旅路だった。


 その子らは、全員が孤児だった。追従している傅役もりやく・家老と家来衆の津々木・浅井・稲熊には、私が鑑定する事を父信秀から「神の目を持つ」という雑な説明で知っていた。だから、理由を説明すると、勝幡しょばたに戻る際に引き取る事に拒否はなかった。しかし、津島衆で本日より合流した者たちはその雑な説明さえしていない。その為、山川 民部みんぶ、鈴木 右京うきょう、真野 式部しきぶ、光賀 大膳たいぜん、宇津宮 兵部ひょうぶ、宇佐美 兵馬ひょうま、開田 隼人はやとの七名にはまだ説明しない事にした。


 そうこうしている間(坊丸は馬に相乗りしているだけ)に、中村村に到着した。

最初の構想では、津々木蔵人(息子の方)、増長させて誅殺予定でしたが、展開により未定となっております。

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ご愛読ありがとうございます。

これからも本作品をよろしくお願いします。


また、『ブックマーク』と『いいね』をよろしくです。


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