第十八話 ちったぁ休め!
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楽しんでいただけると幸いです。
また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)
なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
関東攻めの最中に暇になった海軍に、龍造寺一味を攫ってこいと確かに命じた。鹿島上陸と三河からの兵団のピストン輸送が終わったら、確かに合戦に出られないが、戻れば湊の治安維持や交易の護衛艦としての役割もあるので、そこまで暇じゃないだろう。それだのに、仕事を要求してきた。
前世では、田舎に住んでたこともあり、ブラックな企業で給料の良いところに就職しないと、課金・・・げふん、生活できなかった。それを鑑みて、できるだけホワイトな国づくりを心がけているのに、東海探題家の家臣たちは、ワーカーホリック並みに働きたがる。
ちったぁ休めと怒ったが、笑いながら、休んだ後は暇でしょう?と宣われた。そこで、おそらく始まっているであろう奴隷売買に加担している南蛮船に夜間奇襲をかける訓練と称して、九州に向かわせることにした。
だがそれだけでは、大義名分が弱いので、日ノ本の各地に蔓延る海賊衆を平げてこいとも命じた。ついでに、どこどこで、誰だれ首謀の内乱が起こっていたら、一族郎党と領民を何人か連れてこいと言ったのは確かだ。
目的は龍造寺隆信と龍造寺四天王、並びに、鍋島直茂である。だいぶ以前に前世では北条と島津が好きだった旨に触れた。陸続きで間に三国しかないことと、「三子の魂百まで」の約束で東は自身で統一したかったから、北条とは文のやり取りをしていた。しかし、島津は西なので、文を送ったりしなかったが、龍造寺をどうにか取り除いて、島津による九州統一の一助になればとはずっと思っていた。
目的は半ば達成と言って良いが、まさか、島津からも人が来るとか思っていなかった。しかも島津四兄弟の半分も。あの兄弟は智と武が半々で、智は又三郎忠良と又六郎歳久(幼名:長千代)、武は又四郎義珍と又七郎家久である。まぁ、又三郎と又四郎は元服済みではあるから来なかったのは分かる。が、長千代くん、なぜ来ちゃったの。そして、修理大夫の側室さんよ、身重の身でなぜ船旅をしようと?死ぬ気なの?
なんだろうな。龍造寺の一件もだいぶ問題点があったが、島津による九州統一は無理じゃないかと思えてきた。又三郎の智はどちらかと言えば、統率とか内政に偏った智謀である。平和な時代なら有効だろうが、貧困時代の内乱には厳しかろう。現にこちらからの支援は領民に向けてのもので、支援物資を戦に繋げられていない。
そこをいくと、長千代は超優良だ。「米の価値は金より重い」とは言い得て妙よ。東海探題家で島津家を興させたいと思ってしまう。信濃にいた島津もいるが、それはいいや。片諱を与えて薩摩守も名乗らせて、うん、それでいこうじゃないと思ってしまう。本人が薩摩に帰らなければそうしよう。
あとは、修理大夫の側室さんも、だいぶ問題だ。なんだろうな。子ども(史実の家久)が生まれたら、いろいろな福利厚生を受けられるから、居心地が良いのか、薩摩に帰りたいという意思を感じられない。それどころか、来た当初は単親院に入院していたのに、いつの間にか父親とか兄弟を呼び寄せ、武家屋敷に移り住み、いつの間に薩摩の諸豪族(島津派でない者も含む)を家臣として呼び寄せ、そこそこ大きな勢力になりつつある。まぁ、長千代が厚遇されていると知って、次期当主扱いなのはどうかと思うが、君の夫はまだ生きてるよね?何してんのさ。
まぁ、本田さんに集められた薩摩衆も、本田さんとこの家臣じゃなくて東海探題家の家臣にしているけれども、もう島津伊作家が九州統一どころか薩摩の内乱を抑えるのも無理じゃないかね?最初から来ていた樺山は仕方ないにしても、それ以外が綺羅星すぎるんですけど。
それと、どこぞの人妻(都雅姉妹)を見習わないでください。その人妻は悪い人妻です。この二人、なんで旦那さんや息子さんについて行かずに遠江に残るのかね?そして、本田さんや、なぜ、奥女中になりたがる?一応、大名家の奥方さんなんだから、館から出ないで!そう言いたいが、娯楽が少ないもんな。お茶会みたいなことしてるだけだよね?そうだよね?そうだと言って、あ、目を逸らされた。
閑話休題
島津が薩摩を追われそうになったら、先代も今代も次代も家臣も領民も連れてきてと、海軍に追加で命じておく。が、領民は龍造寺の時ほど、全力でかき集めなくて良いからと付け加えることを忘れない。まぁ、貧困だから、助けたいと思う領民は助けてあげてとは言ったが、なんかフラグになりそうだ。
そう海軍の連中は、龍造寺山城守孫九郎家兼について行きたいと言う領民を連れてこいという、命令をどう解釈したかは知らないが、根こそぎ連れてきた。そう、関東攻めの際のピストン輸送を使って。この根こそぎは比喩表現ではない。遠江には二万ほどしか残してないが、その十四倍は来た。それらは、人口の減った関東に散らばせたが、減ったのはせいぜい八万なのだよ?なんで三倍に増えるの?
龍造寺とその家臣団の約五十家が治めていた、三根郡、佐賀郡、養父郡、小城郡、藤津郡の百六十五村の総人口とその辺りにいた令外民を根こそぎ連れて来んじゃねーよ!戸籍の用意と住処の用意と教育の準備で東海探題家の家臣団が大変だったらしいじゃねーか。千賀地勘蔵が喜んで報告してきた日にゃ、ドン引きしたよ。
お前ら働きすぎだ!ちったぁ休め!