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第十一話 休みも仕事のうち

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

 これは有名な部類に入るのかは分からない話だが、明治改暦までは週休なんて意識は日ノ本にはない。令和の時代に旧暦と呼んでいたものは、天保壬寅元暦てんぽうじんいんげんれき(通称:天保暦)と呼ばれる、明治改暦までの四十九年しか使用されていない暦だ。この天保暦は江戸幕府天文方の渋川助左衛門景佑(かげすけ)によって作られたものである。助左衛門の家系は日本最初の和暦を作った助左衛門正順(まさより)(渋川春海)の家系でもある。なお、天保暦は太陽太陰暦に部類されるので、一年は三百六十五日ある。もちろん、閏年(閏月)もある。


 暦の歴史では、日ノ本で最初に使われたのは推古十二年のこと。日ノ本で作ったものではなく、中国の何承天かしょうてんが選者となって作った「元嘉暦(げんかれき)」が使用されている。日ノ本で使われた暦で、「元嘉暦」の次は、「麟徳暦(りんとくれき)(日ノ本での名称は「儀鳳暦(ぎほうれき)」)」、その次は「大衍暦(だいえんれき)」、そのまた次は「五紀暦(ごきれき)」、そして「宣明暦(せんみょうれき)」と続く。この「宣明暦」は渡来元の中国では七十一年間の利用に対し、日ノ本では、日本最初の和暦「貞享暦(じょうきょうれき)」ができるまでの八百二十三年間使用されている。だから、戦国時代に使用されている暦は、当然この「宣明暦」である。


 さて、週休の意識がないという話に戻そう。週休の意識というかそもそも「週」の概念は、キリスト教の創世記に由来するため、キリスト教を江戸時代を通して認められなかった日ノ本の時代には無くて当然の概念だ。


 長勝はキリスト教の承認云々をすっ飛ばして、週休制を導入した。ただし、令和の頃のような、週休二日制や週休三日制ではない。昭和の週休一日と半休という概念だ。唐突にある年から週休一日と半休としたわけではない。決まった日に休むという概念をいきなり導入したところで、定着するわけではないと考え、三河時代に七日に一度の娯楽の日を作った。


 娯楽の日には、将棋大会だったり囲碁大会だったり、長勝が導入した異世界転生あるあるのリバーシやトランプの大会を行う。リバーシの名称は、某玩具会社の登録商標に近い「おしいよ」「おしいね」になっている。これは、導入する際に長勝が、負けた方にかけたことばが元になってしまった。トランプは南蛮カルタという名称にしたので、リバーシの時のように、好かれすぎてて引く、なんてことは起こってない。


 どうでもいい蘊蓄うんちくだが、トランプという名称は日本人の誤解から生まれた日本人独自の名称だ。明治維新後に各地で西欧人がトランプゲームをしていた時に「切り札」という意味で、「トランプ」「トランプ」と連呼していたものを見てこれはトランプという遊びだと思ったのが由来らしい。学生時代の歴史の授業中に先生がした雑談で知った。


閑話休題(話を戻そう)


 娯楽の日は初年には、東海探題家(当時の三河守家)主導で行い、翌年から懇意にしている商家四家に委託した。領民を巻き込んで、行うように言っておいた結果、前日に準備のために半日は必要だと認識してもらえた。そして、目論見通り、週休一日と半休の定着に至ったのである。


 その定着を見届けたのちに出したのが、「東海探題家(当時は三河守家) 労働法」である。全てが戦略と言われれば、為政者なので仕方ないだろうと思うが、その通りである。


 この労働法は、労働時間・労働中の休憩・休日・有給休暇についてだけの労働基準法と、労働契約法と、労働安全衛生法と、職業安定法と、最低賃金法と、男女雇用均等法と、労働者派遣法と、有期雇用労働法と、育児介護休業法とを混ぜただけの内容だ。


 育児介護休業法には、妊娠後のことから触れている。子どもは突然生まれるわけではない。お腹の中で育児しているのだと、教え込んだ。特に武家の理解が遅かった。支配階級にいたせいか、民は草木が生えるように、どこからともなく無尽蔵に湧いてくるもののように捉えていた。もちろん、理解が遅すぎる者は、長勝の威圧が待っている。分かったことにしようとしたアホとかは、問答無用で、長勝の威圧により、色んな意味で恥ずかしい思いをすることになったのである。

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