第二話 東海探題家での元服式
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
楽しんでいただけると幸いです。
また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)
なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
天文十五年、遠江曳馬の大評定が始まる。今年の大評定は元服者が多い。理由は、長勝が元服したら片諱を与えたい準一門の者たちや本多菊丸のようなお気に入り(いじり要員)の元服を待ってもらっていた。ちなみに本多菊丸以上のいじり要員はまだいない。ほかは真面目が取り柄なだけの(本来、小姓に求められる姿)面白みがない者しかいない。その中で既に小姓ではないものの酒井小五郎と本多菊丸の振る舞いは燦然と輝く天然ものである。ややいじり甲斐のありそうな者はいるものの、今のところ北条からの友好の証のため小姓をしている、いじり要員にしにくい西堂丸くんというのもいるが、外交上それは難しい。春は好きにして良いと言ってくれているが、本当に良いものだろうか?
さて、話を戻して、今年の元服者の紹介といこう。官職は「自称せよ」という意味で長勝が与えているので、官位はない。出来るだけ史実に沿ってはいるが、和泉とか榎前のように、西福釜松平だったはずの分家の官職やこの時期滅んでいるはずの岩津松平(分流はいたかもしれないが分からない)の通称や官職とか覚えてないので、それぞれの初代の自称官職や通称を捩ったりそのまま使ったりしただけの者もいる。
では、紹介に戻る。まずは連枝衆(長勝が幼少期に拾った者たちの最後の二人)から。塚原新七郎と山本新八郎の二人だ。塚原は元服してはいないものの、長勝の一つ歳上だし使者や警護の者として活躍中なので、通称の新左衛門だけは与えていた。新七郎は幼名だ。新八郎は二〜三ヶ月生まれが早いだけの兄なのだが、長勝と勘助の薫陶を受け、見事な軍師思考な男に成長している。いずれ、軍略方の家老になって欲しいものだが、今後、竹中半兵衛とか黒田官兵衛とか出てくるだろうし、負けないでほしいとは思うものの、どうなるか判らん。
二人はそれぞれ、塚原土佐介新左衛門勝幹、山本上総掾勘之助勝幸となった。
次は準一門衆。ここはほぼ長勝の側室の実家だ。対外的には、家臣として扱っているが、それ以外では義実家みたいなものなので、それなりに気を遣っている。だからか、公正明大でないといけない論功行賞の場で、国守任命は本来賞与の一環のはずが、各地の目代発表と功績に対する賞与の授与式は別物扱いとなっている東海探題家である。
なお、今まで生まれた四人の子どもが全員男子だったせいで、それぞれに側室を送り込んでいる家と西堂丸くんの中では、それぞれの家を継ぐのはうちの子らしい。この時代、初めての子は男の子が良かろうと、医療研究所と共同開発した産み分け薬(男の子用)を行為前に注入した結果である。産み分け薬の話は、元服の話から大きく脱線し、開発秘話やら話し出すと長くなるので、別の時にでも語ろう。
さて、準一門衆は、元服年齢の幅が大きい。武家の元服年齢の上限(ようやく血縁者が見つかったとかではない限り、だいたい二十歳)は超えてはいないので、よしとしよう。
準一門衆は年齢順に、長沢兵庫助源七郎勝親十七歳。形原薩摩守又七郎勝家十六歳。合歓木蔵人頭九郎右衛門勝孝十六歳。岩津修理亮八郎五郎勝則十六歳。和泉刑部大夫壮之助勝剛十六歳。小弓左衛門尉義太郎勝淳十六歳。岩津修理進源三郎勝算十四歳。五井大炊助太郎左衛門勝次十三歳。榎前刑部少輔甚三郎勝正十三歳。ちなみに、○○大輔や○○少輔の読み方だが、律令制に則った読み方なので、大輔は「(の)すけ」と読み、少輔は「(の)しょう(じょうに当たる)」と読む。当て字の大夫・太夫はそのまま「たゆう」で良い。
今回、本多菊丸も元服させた。父が吉左衛門なので、通称は吉右衛門とすることは決まっていたので、対外的(北条に行った時)には吉右衛門を名乗らせていたが、本日から正式な通称となる。本多肥後守吉右衛門勝豊十二歳。
続いては、津々木新蔵である。いつも雑用ばかりをこなしてはいるが、長勝の乳母子であり、長勝にとっては心の双子であるこの男を恩赦してやらねばならぬ。これは、津々木家全体にも言えるのだが、あれも含めて長勝を幼少期から支えてきた一族である。父の蔵人も家老でありながら、あの事件より腰も低く、他の重臣たちからも人気のある男だ。さすがにすぐに三河で筆頭家老は無理だが、いずれはそうするつもりでいる。さて、新蔵に官職と通称と片諱を与える。この元服式でこれだけの待遇を得るのは、この男だけだ。つまり、それだけ大事な家臣だということを示すことになる。願わくばあれのように傲慢で傲岸不遜な男にならないことを祈る。
「津々木新蔵!」
「え?あ、・・・はっ」
呼ばれると思っていなかったろう。式次第にないものな。式次第にない者はもう三人いるが、同じように、面白い反応を期待している。
「津々木新蔵。そなたを赦す。津々木家にも言えることだが、これからも某を支えてくれるか。」
「天地神明に誓って!」
---重いよ、新蔵
---そこまでは言ってない
「では今後、津々木民部蔵人勘右衛門勝保を名乗れ!」
津々木蔵人(父)が泣いている。近くにいたほかの家老たちも「良かったな」と肩を叩いて喜んでいる。もちろん、民部蔵人も。蔵人には元々秘書官という意味合いがある。長勝は従五位下民部少輔となった。これにより勝保は「長勝の秘書官」という、長勝が創作した官職になったことになる。また勘右衛門の「勘」も長勝の「勘」であり、片諱「勝」も与えられた、長勝の筆頭家臣となったと言える。もしかしたら、東海探題家内では、誰よりも羨望を集める存在となったのかもしれない。
続いては三人いる。小角衆で表舞台によく立たされる三忍の息子たちだ。千賀地新蔵、山中新内、鉢屋新四郎。ほかの面子は表舞台に出たがらないか、横目のように武田禰々を娶って、ほかの重臣との繋がりから情報方家老を辞退している。そう言えば、小角衆の次代当主は新○○と名乗っている。全員そう(横目の息子は新半左)なので、そういう通例なのかもしれない。
「続いて、千賀地新蔵、山中新内、鉢屋新四郎、出でませい!」
「「「・・・」」」
---自身を指差すな
---音で表現しろよ
---三人同じ動きで面白いけども
「千賀地新蔵、山中新内、鉢屋新四郎!」
「「「は、ははっ」」」
「そちらは、我が東海探題家の情報方次期家老!東海探題家の耳であり、目であり、鼻である。よって、それぞれの家を評する為、通称を与える。」
「「「ははぁー」」」
「千賀地新蔵は今後、千賀地勘蔵を名乗れ」
「はっ」
「山中新内は今後、山中勘内を名乗れ」
「はっ」
「鉢屋新四郎は今後、鉢屋勘四郎を名乗れ」
「はっ」
なお、通称をつけた理由は、千賀地新蔵に初めて会った時に、脳内で「ござーるござるよ、○ッ○○くんは〜♪」と流れたとか関係ない。別にどんぐり眼にへの字口でもない。頬にぐるぐるした落書きもされてない。なのに、何故か少年忍者の新蔵と引き合わされた時に、「山を飛び〜、谷を越え〜」とか脳内再生され・・・ていないったらいない。山中と鉢屋は巻き込まれ事故でもなんでもない。