第二十話 北陸への大義名分
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なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
約半年に及ぶ作事作業が終わり、坊丸は遠江に帰ってきた。まぁ、宮益丸(諏訪胡衣との子)や武央丸(武田夏との子)の出産立会いにちょくちょく帰っていたので、そんなに久しぶりな感じはしない。この二人はそれぞれ諏訪家と武田家を継ぐ。あと、早く子どもが欲しい虎にだいぶせがまれたが、二年は待ってもらいたい。
既に年の瀬で、すぐにでも尾張に行かなければならないという理由もあるし、虎には、来年の田植えが終わったら、越後に外征してもらう必要がある。坊丸が行っても良かったが、虎の不満解消のためにも、坊丸は行かないほうが良いと判断した。
そう、坊丸が作事に明け暮れていた頃の十月、史実通り黒田和泉守秀忠は長尾家に対し謀反を起こし、虎の兄二人を殺害、春日山城を占拠した。虎のもうひとりの兄で、越後長尾氏の現当主である長尾左衛門尉は、たまたま春日山城を離れていたため難を逃れたが、この時点では、虎のいない越後に和泉守を止められる者はおらず、史実と違い和泉守の勢力は拡大し、左衛門尉も左衛門尉の猶父で越後守護の上杉玄清までも殺害する。これは、左衛門尉を倒す目的で起こした合戦での事故であったが、和泉守の勢いを急速に衰えさせるには十分な出来事であった。
不本意ながら、越後守護を倒したという意味で下剋上を成功させた和泉守であったが、越後での求心力は失ってしまう。長尾左衛門尉討伐で味方をした中条弾正左衛門尉や大川駿河守、本庄弥次郎、鮎川信濃守、色部修理進、黒川備前守、小島慶之助、柿崎弥次郎、甘粕近江守、飯盛摂津守、唐崎右馬之助、斉藤下野守、鴨山周防守、神藤出羽守、永井丹波守、安田越中守、金津新兵衛、新津丹波守、新発田伯耆守、長沢筑前守、加地安芸守、神余安房守、竹俣美作守、山本寺伊予守、千坂藤右衛門、小国修理亮、山岸民部少輔、直江大和守、吉江木工助、志駄左近将監、北條安芸守、登坂藤左衛門、長尾越前守、安田但馬守、水原壱岐守、平子周防守らが離反・独立した。
この人数でお分かりいただけるとは、思うが、坊丸ならびに小角衆が関与している。離反独立した者たちは、来年の六月を過ぎれば、東海探題家の正室で、長尾信濃守の子であり、越後守護の上杉玄清の姪である虎千代が、東海探題軍を率いて北上してくることを知っており、たとえ和泉守が何をしようとも、求心力が戻ることはない。
和泉守は天文の乱で戦乱の続く奥羽の諸大名とは勝てぬと判断したのか、離反・独立した者たちに包囲されているという理由か、はたまた別の理由かは分からないが奥羽の諸大名と和睦し、越中・加賀・能登方面へ転進する。これは、越後にまで迫ってきている一向衆をどうにか払い除けて、求心力を回復させたかったと推測される。これは半ば成功してしまう。なんと、越中では椎名氏・遊佐氏・神保氏を下した。その後、七月に畠山修理大夫を失って、息子の左衛門佐が失態を繰り返している能登に入り、伊丹宗右衛門・平荘左衛門・長九郎左衛門尉・温井備中守・三宅備後守・遊佐信濃守・遊佐美作守を味方に引き入れ、史実より二十年以上も早い能登畠山氏の追放を実行してしまう。
※能登遊佐氏と越中遊佐氏は縁戚ではあるものの、別勢力です。
これによって、越後長尾の信濃守とならぶ、二守護への下剋上を成立させたことになる。本来、古河公方を滅ぼし、坊丸が背負うはずだった下剋上に関する悪名は和泉守が違う形で背負うことになった。これは、一時期とは言え、室町幕府から討伐対象となった関東公方を滅ぼすことよりも、討伐対象になったことのない越後上杉氏と能登畠山氏を滅ぼしたことも大きな要因だが、小角衆の働きでもある。
和泉守は求心力を回復させようとして、幕敵とまではいかないが、次の討伐対象になったと言わざるを得ない。ここで、少しでも汚名を返上しようと、兵も休ませず、加賀に入る。さすがに兵たちも疲れを見せたか、加賀全土を切り取ることはかなわなかったが、一向衆から富樫氏を救い出し、手取川以南まで一向衆を退けてみせた。
しかし、越後を離れすぎだと言わんばかりに、中条・本庄・甘粕・斉藤・新津・直江・柿崎・北條連合軍によって春日山城を奪われてしまう。これは虎千代の下知と騙った坊丸の指示によるもので、長尾越前守を入れなかったのは、上田長尾氏に支配させないためでもある。和泉守は越後の領土を奪われたことで、和泉守が欲した越後での求心力は永遠に失われてしまった。
しかし、こんなに上手く国盗りがいくものか?と疑問に思われることだろう。こんなことは当然できはしない。坊丸らによる小角衆を使った謀略によるものだ。和泉守を煽てたおし、椎名らを調略し、伊丹らを調略し、越中・能登・加賀から数万もの流民を山越えさせて、成功した攻略である。
それは、黒田和泉守らの命運を少しだけ延命したに過ぎない。