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第十九話 東海探題家領内にある社会福祉施設

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

 地面に大の字に寝転がり、ぜーはー言っている菊幢丸以下五名を見下ろしながら、坊丸は「まだ準備運動の段階で、体捌きと唐竹か袈裟斬か逆袈裟からの寸止めしかしてないのだけれど、やはりお坊ちゃん剣術でしかなかったか」と、見損なっていた。そもそも、体格差があり(坊丸のほうがかなり大きい)、体力差がある。数ヶ月に及ぶ外征経験のある坊丸と、今まで剣術修行と称して、素振りしかしていない若武者とでは、体力に隔絶した差があって当たり前である。


 その上、この世界にはステータスがある。坊丸以外でまだ自身のステータスすら確認できた者を知らないが、能力値の武勇は、体力・腕力・持久力・耐久力と武術の熟練度などの平均値で決まっている。内政・謀略がやや高めの能力傾向にある坊丸だが、武勇も百三十ある。武を誇る武将(最大値百)よりも三割ほど高い。坊丸と元服前の菊幢丸とでは、ステータス的にも勝ち目がないのだ。


 ふと、視線に気づき振り返ると内蔵頭様が、手を叩きながらこちらに近づいてきた。「お強いお強い」的な御所言葉で褒めてくるが、まだ皆伝で、極伝には至っていない。腕力・体力的には土佐守を上回っても技術面では、足元にも及ばず、今の菊幢丸のそれと同じ状態になることの方が多い。


 聞けば、幾らかの巧言やおだてはあるものの、これでも京の元服前の若武者の中では強者に入るらしい。それを軽くいなした坊丸を褒めてくれているようだ。やや翻訳に手間取るが、本物の公家に褒められると悪い気がしない。


 その後、作事衆の仕事内容などの質問を受け応えし、先日の話を詰めた。内蔵頭様は、業務委託を了承してくださり、公家の次男坊以下で他家に養子・猶子になれない者もこちらに斡旋してくれるらしい。その紹介料も話しておく。紹介料は武家の浪人も含むかと聞かれたので、構わない旨を伝えると、この時代にもいるらしい毒親のせいで身売りをさせられている地侍の子なども紹介してくれるらしい。ならばと、身分を問わず孤児などは、現在三河のみで、今後は東海探題家領ならどこでも、養童院で元服の年齢まで教育を施しているので、こちらに来るような流れを見繕って欲しい旨も伝える。


 養童院に興味を持たれたので、近くに控えている小角衆に声をかけ、曳馬城城下町で視察できるように手配をする。ほかの社会福祉施設についても聞かれたので、養老院と特支院と技支院と生保院と単親院とを紹介し、こちらも視察手配を行なった。


 これらの社会福祉施設は、元々は一向宗対策で始めた事業の一環である。一向宗は、生活の苦しい貧民や被差別者の心につけこむ形で信者を増やし、死ねば極楽に行けると煽って一揆を起こしてきた経緯がある。ならば、死ななくても苦しい生活はしなくていいと、領民に思わせるつもりで、幾つかの施設を作った。まぁ、ここまで規模が大きくなるとは思っていなかったのだが、領民を思えば仕方ないと坊丸ら為政者側は納得している。


 さて、養童院・養老院・特支院・技支院・生保院・単親院のそれぞれ解説するとしよう。


 養童院とは元服前(十五歳以下)の孤児に食事を与え、宿泊が出来る施設で、ここに在籍する者は、六歳になると三年間基礎学校に通い、九歳からはさらに三年間の専門学校(職人・商人・農民・兵士のいずれか)に通う。なお、六年間の教育期間は無料で学ぶことができる。各専門学校卒業後は、一年間の徴兵期間を経て卒院となる。ただし、兵士学校から修練場へ行きたい者(武士に取り立てられたい者)は、徴兵免除の上、修練場で二年間鍛錬をすることになっている。修練場にいる期間は、三ヶ月ごとに鍛錬と実地研修(警邏けいら隊か作事衆に所属)を繰り返すことになるため、徴兵されたことと同じと見做している。また、無料で学んだ学費については、育英奨学金制度と同じで返還義務があり、一割増しの年貢を納めて、数年かけて返還していく。


 養老院とは老人のための介護施設・養護施設の二部門からなり、六十一歳以上で入院可能な施設となっている。今のところ、介護施設には在籍があるものの、養護施設は在籍がない。これはこの時代の農民・職人・行商人の平均寿命が三十歳くらいであるということと、長寿の多い屋号持ち商人やわりと長寿な武家の者が入院しないためである。


 特支院とは聾学部・盲学部・養護部からなる元服前の子ども用の特別支援学校としての役割を持つ施設で、教育は施設内で基礎学(基礎学校で学ぶ内容)を三年または六年かけて学び、それぞれの進路に進む。また学部によって元服後の進路が大きく異なる。聾学部の卒院者たちは、坊丸の作った印刷所で、見本となる書物を見ながら、活字を並べて印刷をして書籍を作っていく。ひたすら墨を作る部門と活字をひたすら手本通りに並べる部門とひたすら印刷をする部門に別れて作業をする。盲学部の卒院者たちは、この時代ならではと言えばそうだが座頭となり、小角衆の一員となっている。養護部の者たちは少し毛色が違う。六年の基礎学学習ののち、さらに三年間、農民学(農民学校で学ぶ内容)または職人学(職人学校で学ぶ内容)または商人学(商人学校で学ぶ内容)を施設内で習得し、農家・商家・工房に就職する。雇い主からは「仕事は遅いが丁寧で正確」と評価を得ている。ここでの無料教育も養童院と同じ手法で返還することになっている。


 技支院とは、合戦や不慮の事故などにより手足が欠損した者に、職業訓練をさせて社会復帰させるための施設である。対象が養童院・特支児院と違い、元服後の大人であるため、基礎学がなく、欠損した状態でも働けるための技術を身につけて、元の職場や坊丸が用意した実験農場・実験工房で働いたり、各国の下級士官(書類整理や商人との対応)として雇用される。


 生保院とは、身寄りがなく身体的精神的理由で日常生活が難しい者が対象となっている。流民・浮浪者が戸籍を取得し、基礎学を修得するまで共同生活を行う長屋である。ここは流民の子どもまではひとつの家を使え、各国から小角衆・神楽衆・歌舞伎衆が連れてくる者たちが一時的に住まう宿泊施設である。ここでしか受けられない東海探題家領内での生活指導や生活訓練もある。また生保院の入院者しか受けられない医療機関も併設されている。もちろん、共同の風呂や雪隠もある。また、軽犯罪(かっぱらいや脅迫行為、掏摸行為など)の更生可能と判断された者たちもここに住んでいるが、流民や浮浪者に伝播させないため、別区画となっている。


 単親院とは、寡婦保護・母子家庭保護・父子家庭保護を目的とした社会福祉施設で、寡婦・単親ではなくなった場合は退院してもらう。寡婦などにはいくつかの生活技術を習得してもらい、職業斡旋まで行なっている。しかし、この時代ならではなのか、父子家庭での入院者は今のところいない。この単親院と特支院・技支院・生保院は、養童院と養老院と違い、設立時期が遅い(構想は話していたが、根回しに時間がかかった)ため、まだいないだけだと思っている。


 これらの施設は、為政の一環であり、転生前の倫理観で施行されてはいない。あくまで織田家が天下統一するまでの領民管理でしかない。統一後は、そのまま継続なのか、形を変えて継続するのか、撤廃するのかは未だ決まっていないのだ。

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