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第十六話 本気で分からない

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

 論功行賞も終わったことだし、各国を巡りながら、砦や湊や田畑を作っていく。ちなみに、常備兵ではない志願兵は三河に帰した。彼らには彼らの生活がある。減った分は、常陸の鹿島辺りまで行ったところで、三河で戦後休暇を楽しんでいた連中と合流する。常備兵はその性質上、転勤族のようにあちこちの砦に赴任することがあるため、いつでも、配置変換できるように研修で口酸っぱく教えている。もちろん、雇用契約なのだから、拒否権はあるが、拒否されたことはない。常備兵はあちこちを巡って作事をしながら、出来た砦に着任する。いきなり五千置いたりはしない。前回は連れて行った人数の割に造る砦が多かったので、五百にしたが、今回は千五百置いておく。鉄砲は百挺置くが、今後、今回までに使った鉄砲は修繕して売り物になる。その後、最新式の銃が配備されることになるだろう。まぁ、売り物用も作り続ける予定だから、すぐにというわけではない。最新式は四国攻め前にようやくできたばかりで、今は数がないため、しばらくはこのままだ。


 以前、常陸→下野→下総→上総→安房→武蔵→上野→信濃→甲斐→遠江と移動すると述べたが、それはあくまで、村や田畑、道を整備する順番で、信濃から遠江はただの帰り道だ。まぁ、麻積砦と長久保砦の取り壊しや新しく信濃と越後の国境に砦を造ることも含んでいるが。だから、最初から常陸には向かわない。下野の塩原・大田原・黒羽に砦を造ってから常陸に向かう。下野は陸奥と接している、陸奥は現在伊達による天文の乱の真っ最中なので、砦は造るができるだけ刺激はしたくない(あんな大きな砦が一夜でできたら刺激になるとか言わない)。


 その後、常陸の袋田にも砦を造り、常陸北側を作事して行きながら、安良川付近にも砦を造る。この五砦で完璧とは言わないが陸奥からの兵を食い止める。のちのちのことになるが、上野の宮野にも砦を造る。こちらは越後対策で、ほかにも信濃の桑名川や野尻湖あたりにも砦を造る予定だ。信濃を統一できたからこそ造れる砦でもある。


 半月ほど経ち、北常陸の作事が終わった頃に、遠江から連絡がきた。前々から連絡のあった山科内蔵頭一行が曳馬に来たらしい。来ることは分かっていたので、現在地を伝えて来てもらおうと、千賀地新蔵に伝えると、何やら困った様子でいる。ちなみに、この新蔵は半三保長の長男で、半三が引退したら半三保元となる男だ。父親が家老として働いているからか、千賀地を継ぐ保元が現場を率いている。ちなみに徳川信康の切腹時に介錯を担当したと言われている服部半蔵正成は半三の六男である。そもそも、服部姓は、松平(徳川)家に仕えていた時の名乗りで、千賀地の分家ではあるものの本姓ではない。


 名付けは親または親族の権限だし、とやかく言うことはできないが、自称官位や受領官位・拝領官位でもないのに、こんなに身近で名前被りは勘弁願いたい。しかもそれぞれ理由が違うのに、綺麗に漢字まで被りおって。ちなみ津々木新蔵は蔵人の新しい息子だからという幼名で、千賀地新蔵は、次期当主が元服から家督を継ぐまでの間に名乗る通称だそうな。なお、坊丸が殺してしまったあれは代々嫡男が名乗る幼名だったらしい、覚えていないが。


「どうした新蔵。」

「はっ、それが、内蔵頭様には随行員がおりまして・・・」

「ああ、三条右閤殿下と近衛太閤殿下と近衛門下侍郎様であろう?」

「坊丸様!唐名で言わないでください。混乱します!」

「混乱はするが、理解しておるではないか。さすがは、わしの未来の右腕よ」

「あうう、褒めすぎです。」


 新蔵は、子どもの頃から、褒められると俯いて照れてしまう。まぁ、良い。たぶん、来たのはそれだけじゃなさそうだし。


「他にもいると?」

「新大樹がおりました。」

「え?はっ?はぁーー?!」


 なんか、最近、驚いたらこれしか言ってない気がする。語彙力の無さを痛感する。ここでいう新大樹は、次期征夷大将軍を意味し、足利菊幢丸のことを指す。剣豪将軍と渾名される人だし、来年はあの人も元服する。最後の武者修行かもしれない。そうであって欲しい。


「それで?」

「はっ、武家屋敷群に近いところで、大きめの民家を幾つか借り、連れて来た家臣たちと分かれて住むようでございまする。」

「幾つか?何人で来た?」

「はっ。新大樹と約五十名ほどの者たちです。」


 武者修行であって欲しかった。たぶん、五十名の半数は永禄の変で一緒に死ぬ者たちかその親だろう。本気で何しに来た。しばらく、放置したいが、菊幢丸が抑えきれなければ、厄介な火種になるぞ。


「全員とは言わぬ。名が分かる者を挙げよ。」

「はっ。進士弥九郎・美作守親子、荒河又次郎、彦部雅楽頭、細川万吉・・・」

「待て、細川万吉だと?三淵弥四郎はおるか?」

「はっ。おりまする。」

「ふむ。和田某は?」

「歳の頃十五の者がおりまする。」

「存念を聞き、東海探題家に永住するつもりがあるなら、館を手配してやれ。空いてる武家屋敷で構わん。」

「え、永住?!武者修行では?」

「おそらく、亡命よ。足利でない名乗りも考えられよと伝えておけ。」


 本気で何を考えている。弟の覚慶や周暠がおるとは言え、幼い頃から交流なぞ持つのではなかったわ。剣豪将軍になってもらうため、土佐守を派遣したのが間違いだったか。そのため縁ができたのだから。


 まぁ、良い。永禄の変では、義昭に死んでもらおう。そうすれば、平島公方以外の足利が絶えよう。二十年あるのだ。どうにかすれば、起こるであろうよ。

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