第十話 軽い気持ちで船の旅(黒船来航)
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楽しんでいただけると幸いです。
また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)
なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
今回、信濃路から上野には武田陸奥守と形原佐渡守のコンビが四万を率いて上野入りする。今、軍団は再編成の過程にあり、主将が陸奥守、副将が佐渡守となっているが、前のような佐将の配置ではない。流石に鉄砲隊は千人いるので、植松が率いているが、それ以外は以前の三軍四軍の寄せ集めだ。上野から下野を経て川越に向けて南下する。臣従・内応の諸侯には、戦に参加させず、兵糧米などの供出に留めた。「死にたくなければ」という伝言付きで。
そして、こちら本軍は八万。上陸地は江戸と鹿島である。上総は江戸湾と太平洋側から挟んで砲撃の雨が降る。そのうち、江戸湾から上陸するのは主将竹谷玄蕃允と副将五井弥九郎率いる四万。北上しながら、古河などを落として、川越に向かう。
陸奥守らと玄蕃允らが協力して、川越に集結した関東軍を包囲殲滅する。もちろん、小角衆が防諜しながら、蟻の子一匹逃さない。まぁ、確実に戦死させるようにと伝えているのは、足利左兵衛督・足利幸千代王丸親子と上杉(山内)五郎・上杉龍若丸親子と上杉(深谷)左衛門佐・上杉左衛門三郎親子と上杉(扇谷)修理大夫と七沢刑部少輔・蔵人七郎親子。まぁ、おそらく、生き残れるのは少ない。鉄砲隊の面々には、多段撃ちのあと、ある程度数を減らしたら、馬に乗っているか旗を立てている大将首だけを狙って撃つように伝えてある。
鹿島蹂躙後、鹿島から上陸するのが坊丸率いる本陣四万。こちらは上総に寄ったり、佐竹・笠間を脅したりと遊軍のように動きながら、常陸→下野→下総→上総→安房→武蔵→上野→信濃→甲斐→遠江と移動する。もちろん、作事をしながら、常陸の北側、下野と陸奥の国境、上野と越後の国境に砦を築き、高梨の城を大きくしたり、麻積・長久保を更地にしたりする予定だ。
今回はあまり山を削ったりしないように注意したい。もちろん、鉱山があるところは少し編集するし、各街道の分岐点になるところには、できたばかりでは無人になるが、最初に造った中村村規模の村落も造る。南信濃や甲斐で造った村落には三十戸(約四割)ほどの住民が住みつき始めたと報告もある。もちろん、三河などの戸籍のある人間だけだ。
流民たちも住みたそうにしているらしいが、小角衆や大峰衆、歌舞伎衆(河原者たちで組織された舞踊集団)や神楽衆(改宗済の元一向宗やその他寺社仏閣の信徒たちで組織した集団)が三河に誘導して、戸籍を作り、学校に入学させているらしい。
そうそう住民誘致だが、そろそろ南蛮貿易の弊害、奴隷売買が九州で始まりそうだと聞いている。貧民たちが泣く泣く子どもを身売りすることは、この時代に生まれたのだ、悲しい事だが仕方なく思うこともある。その者たちは、主に大峰衆や歌舞伎衆や神楽衆を使って買い取っている。しかし、為政者が率先して奴隷狩りをして、南蛮の交易品(主に硝石)を手に入れる為に、行うことに坊丸は怒りを覚えた。
---そうだ
---こちらが落ち着いたら
---奴隷の乗る南蛮船を襲わせよう
---日ノ本の民を救い出すのだ
令和の頃もそうだったが、収入格差がどの時代でもある。特に天候に左右される農民はもろにその影響を受けやすい。だが、それは為政者の手腕いかんで、なんとかできる時代でもある。天候に左右されない作物の考案や産物・産業の発明など、この時代だからこそできることも多いのだ。
まぁ、前世の記憶という、時代を先取りしたチートがあるからできるというのは否定しない。なんの知識もなく、この時代に生まれていたら、おそらく自分もできてはいなかったろう。それでも、自分はできるのだからと奮起する坊丸であった。
さて、軍備が整ったようだ。進軍式をして海に出ようか。
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別視点 織田海軍怖い
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