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第五話 いつから?

いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

楽しんでいただけると幸いです。


また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)


なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。

「調略の状況を聞こうか。」


 やはり調略の時間はあったようだ。いつもの状態と言って良い。つまり、誰でも勝てる状態だ。詳細を上げていくと、こうなる。


 戦場となる武蔵は古河公方方のうち、簗田分家・多賀谷分家・木戸家。扇谷上杉方から太田家二家・千葉家・難波田家・広沢家・大胡家・萩谷家・三戸家。山内上杉方から長尾家・藤田家・成田家・三田家・有田家・本庄家。並びに、全ての国人、鬼窪家・金井家・金子家・平山家・黒沢家・佐々木家・小峰家・小宮山家・永田林家・諏訪家・寺尾家・舎人家・長崎家・奈倉家・山内家・横瀬家・吉岡家。戦に出て返り忠する家と、留守居して旗色を変える家とあるが、だいたいこんな感じ。


 上総の基本方針は海軍からの弾幕による更地化だが、臣従してきた全ての国人、土岐家・飯嶋家・木々土家・芦野家・忍家・高島家・湯浅家・土橋家・村上家・三上家・三谷家の者たちには、死にたくなければ、財物を運んで一旦千葉家か里見家か北条家の領土に行くよう伝達してもらう。土地を離れられないならば、どのみち東海探題家ではやっていけないので死ぬが良かろう。両武田家は知らん。生き残りたければ、各地にいる武田を頼るしかあるまい。安芸か因幡か土佐か山城か若狭か相模か常陸か。何処でも良いから逃げ延びて見せよ。ただし、常陸に逃げたら、もう終わりだろうがな。


 下総は古河公方からは、簗田家・相馬家・豊島家・安西家・小笠原家・大鹿家・町田家・福田家・町野家・高階家。全ての国人は中沢家・山倉家。国人が少ないように見えるのは、千葉・結城・小田の勢力下にある為だ。勿論、それらの国人はこちら側である。なお、高階の祖先を辿ると高師直が出てくる。高氏の本姓は高階なので、本姓を名乗っていただけなのかもしれないが、この時代、高と名乗るには足利家の許しがいる。高氏で、高を名乗っている史実上の人物は足利義輝の側近で、永禄の変で死んだ高伊予守師宣くらいだろうか?


 上野は佐野氏からは赤見家。山内上杉氏からは総社・白井の両長尾家、赤井家、長野家、客将の真田家、羽尾家、客将の海野家、倉賀野家、沼田家、大谷家、斎藤家、安中家、小幡家、白倉家、高田家、膳家、高山家、那波家。国人は全てで、那波家、新木家、浦野家、宇津木家、細川家、小中家、北条家、松井二家。なお、山内上杉に残ったのは二家で、曾我と本庄だけだ。小角衆の話では、長野信濃守の影響力と上杉五郎の不人気さが、如実に出ただけらしい。また、国人と山内にいる那波家は興りは同じでも今は別家だと言う。


 下野は古河公方方長尾家から県家、新居家、浅羽家、大沼家、立木家、南家、小野寺家。公方方の阿曽沼家。宇都宮方からは武茂家、塩谷家、落合家、芳賀家(当主は出陣)、壬生家(弟・鹿沼・大門は出陣)、飯岡家(当主は出陣)、上平家、金枝家、糟屋家、鈴木家、西方家、戸祭家、野中家、祖母井家、石川二家、多劫家、横田家、矢板家、今泉家、小倉家、籠谷家、上三川家、蒲生家、斉藤家、平野家、清水家、高橋家、中村家、長山家、新田家、樋口家、松野家、和気家。皆川方からは中沼家、植竹家、富田家、平山家、長沼家、岡本家、渡辺家。国人は全ての家、つまり渡辺家、高村家、南摩家、熊田家、茂木家である。なんと言うか、宇都宮と皆川は一門から相当嫌われているか、独立性が高いのだろう。宇都宮はまぁ、歴史を知る者からすれば、まぁ、仕方ないのかもしれないが、九割を超える一門・分家がこちら側というのもかなり悲しい。また、壬生・芳賀・多劫と言った、独立した大名家となっていてもおかしくない大勢力の家臣たちも、こちら側というのはさらに悲しいものがある。


 なお、常陸は焼き払う鹿島、臣従した小田、宇都宮から離れたい笠間、当主不在となる佐竹なのだが、笠間と佐竹には鹿島の様子を見て進退を決めるよう使者を送る予定だ。特に佐竹は義篤死去の偽装を解いたあとになる。小角衆の話では、ここも一門・分家が次期当主に愛想を尽かしており、有力家臣も佞臣だけが出陣するようで、どちらかと言えば、戦死を望んでいるのではないかという回答を得た。また、安房は里見が統一しているので、臣従するまでは同盟国として安堵することになった。(戦後すぐに臣従してくるとは思っていない。)


 はてさて、いつから調略を開始していたのやら?頼もしい配下でありがたいばかりである。

簗田本家が誤字だと報告いただきましたが、

簗田を名乗れる家長は

河内守家の高助(左京亮家からの養子)

下野守家の基助

右京亮家の基良

です。


高助はもとは右京亮家の嫡男でしたが、伯父成助の養子となり、家督は弟の近江守基良に譲っています。


なので、本家で間違いないのですが

分家の関宿とか水海とか書いても簗田の分家と分からないかもしれないので

簗田分家と書き直しておきます。本当は本家なんですけど、不本意です。


【追記】出典を聞かれました。

『應仁武鑑 三遍 鎌倉管領所領役考』(一〜三)に系図があります。わたし個人では持ってませんが、図書館にあります(どこのとは言わない)

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