最期の会話
あの日は、姉が家に来ていた。
学生時代はあまり仲が良くなくて、ほとんど喋ることもなかった。
社会人になりさらに疎遠になったと思ったら、数年前からよく電話してくるようになり、最近ではほぼ毎週のようによく来るようになった。
なんでも、愚痴りたい事がたくさんあるらしく。
会う度にその顔は生気を失い、やつれて。
今日なんかまるで死人のようだ。
愚痴といっても、ほとんど前の恋人の話。
本当ならもうとっくに別れているはずだった。
姉にはもう新しい恋人がいるのだから。
今の彼氏。それは、彼女の愚痴を聞いていた幼馴染の男。
それまでたいして仲良くも無かったのに、久々にたまたま再会して相談相手になった……そんな都合の良い話、とても偶然とは思えなかったけど。
ともかく、今の彼女には元の彼氏に対する愛情なんてもう無いのだ。
だから、どうにか別れ話を切り出したいのだが……その流れになるとなかなか聞いてもらえないのだと言う。
何でもよく喋る姉だが、どんなに聞いても別れ話ができない理由だけは頑なに話そうとしない。
何やら答えられない訳があるらしかった。
それ以上は深く追求しなかったけれど。
かといって、相手の方もそれに気づいている感じはあった。
もう彼女の心が離れているという事にも。
でも、別れる気は一切無いようだった。未練でもあるのか。
浮気女なんて諦めて、さっさと次へいけば幸せになれるのに。
もっと大切に想ってくれる人が他にいるだろうに……
結局今もズルズルと平行線のまま。
元彼の家で同棲を続けつつ今の彼と付き合う……そんな異様な関係のまま、月日が経っていった。
しかし、そんな危うい関係性はとうとう破綻した。
今の彼氏……苗字は忘れたが、確か『樹』とか名乗っていたか……が昨日亡くなったのだ。
それがもう悲しくて苦しくて、堪らないんだとか。
もうすぐ結婚、幸せになれるはずだったのに……!どうしてぇ!どうしてぇ!と彼女は顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっている。
ああ、腹が立つ。ほんとムカつく。
『どうしてぇ!』じゃねぇよ。
その変に作ったような口調もあって余計にイライラする。
本当に嫌いだ、この女。
あんたばかりつらいんじゃない。
アタシくらい人生しんどくなってから言え。
何がそんなにつらいのか。
人生イージーモードのくせに。
いかにも『女』な感じの作り物の雰囲気と悪くない容姿、わざとらしい甘ったるい声。そして、でかい胸。
何も言わずともいつも誰かが助けてくれる。
男なんか特に鼻の下伸ばして我先にと進んで出てくる。
全てが楽々進んでいく。そんな女。
挙句の果てに二人の男を持て遊び。
結局、片方死んで遊びは強制的に終わって。
かと思えば、今度は悲劇のヒロイン気取り。
なんてずるい女だ。
そう思いつつも、ここでは優しい妹を演じて涙を拭う。
心に渦巻く感情をバレないように隠しつつ。
「ふふっ、ありがと。こうやって思いっきり吐き出せるのは沙夜くらいだよぉ、ほんと……あ〜泣いた泣いた。泣いたらなんか喉乾いてきちゃったぁ」
「何飲む?」
「う〜ん、コーヒーかなぁ」
「アイス?ホット?」
「えっと、えっとぉ。どうしようかな……沙夜は?」
「アタシ?アタシはホットにするけど」
「じゃ、じゃあ……私もおんなじで」
「待ってて。今淹れてくるから」
テーブルを離れ、キッチンへ。
用意したそれをコップにいれて、上からコーヒーを注ぐ。
水面に映る私の表情はすぐにふわっと上がった湯気で隠され、見えなくなった。
何事もなかったかのように戻り、お互い一口含む。
「今日のコーヒー、おいしいねぇ」
「……っ、そう?」
慌てて次の一口を口に含み、声の震えを隠す。
「なんか変えた?」
「いや、特に」
「ふ〜ん、そっかぁ。でもぉ、沙夜の事だもん……こういうのにもちゃんとこだわって、良い豆使ってるんだろうな」
彼女は何一つ気づいていないようだった。
そしてコーヒーを飲みながら、とりとめもない話を続け……ふと気がつくと、辺りが暗くなっていた。
外で遊んでいた子供の騒がしい声も、気づいたらもう聞こえなくなっていて。
「あれぇ?もうこんな時間?そろそろ帰るね、ご馳走様」
そう言うなり、彼女は何かに追われるかのように慌てて荷物をまとめ始めた。
言われた時間までに帰らないと、とうわ言のように呟きながら。
今日、彼に殺されるかもしれない。
去り際に彼女はぽつりと言った。
なんだか胸騒ぎがする、と。
何かに怯えるように震える声で。
何か言いたげなそれを遮り、アタシは大丈夫よとだけ言って玄関の扉を閉めた。
最期まで腹立たしい女だった。