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幸せになりたかった僕らは  作者: あさぎ
5.僕らの終わり
15/16

『計画』の失敗

 


 背中からずるりとそれが抜け落ちた。

 地面にぶつかるなり、カランカランと甲高い金属の音を響かせて。


 抜けても痛みは依然続く。

 本来ならのたうち回りもがき苦しむほどの痛みなのだろうが、今の僕はやけに冷静で。

 ここに来る前に飲んできた薬が効いているのかもしれないな、とそう思えるほどには余裕があった。


 ドプドプと流れ出る赤もそのまま。

 しかし、僕を一気にあの世に連れて行ってくれるほどの勢いはなく。


 沙夜はまだその場でくにゃくにゃと揺れていた。

 変わらず笑顔のままで。壊れたままで。




 『計画』は狂ってしまったけど。

 せめて、沙夜だけは何事も無かったように元に戻ってほしかった。


 闇は僕が背負うから。

 罪なら僕が受けるから。


 愛する彼女だけは、また何事も無かったかのように日常に戻ってほしかった。


 普通に生きてほしかった。




 でも、もう無理だ。壊れてしまった心までは直せない。


 僕にはもう、打つ手はない。

 『計画』は失敗だ。


 僕の失敗。僕のせい。




 ならば、せめてもの償い。罪滅ぼし。




「もう、終わりにしようか。沙夜……」


 呼びかけに微かに沙夜の体がビクッと震えた。

 しかし反応はその一瞬だけで、やはり返事は無い。




 僕の心には悲しみだか、苦しみだか、悔しさだか……なんだかごちゃごちゃに混ざり合った感情が押し寄せてきて。

 大声で叫び出したいくらいの激しい昂りに、気づいたら僕は勢いのまま彼女の元へ駆け寄っていた。


 変わり果てた姿が至近距離になり、なんだか僕の失敗を見せつけられているような気分だ。

 ギュッギュッと絞るように痛む胸を片手で抑えながら、下向き気味の彼女の顎をもう一方の手で優しく掬い上げて。


 こちらを向くそのヘラヘラとした人形の顔に、そっと唇を落とす。




 今の僕の視界いっぱいに沙夜の顔。

 あれほど恋焦がれていた、あの女性の顔。


 パサついた伸び放題の髪、焦点の合わない目、水分を失いガサガサの肌。


 それでも僕にとっては十分綺麗だった。

 昔の面影は完全には消えていなかったから、僕の目のフィルターはすぐに以前の姿を映してくれた。


 とても柔らかく、温かい。初めての感触になんだか感動してしまった。

 今まで女性と付き合った事が無かったというのもあるのだろうけど。

 ともかく、僕にとってはひどく衝撃的だったのだ。


 無意識のうちに僕の手は沙夜の体を弄り、柔らかいカーブを撫でていって。

 夢中でその唇を何度も食んで、深く味わって。


 静かな空間に、僕の荒い吐息がうるさく響く。

 カッと熱くなった体は疼き、『その先』を欲していた。




「沙夜……」


 グァーと言葉を遮る太いダミ声。


 振り返るとカラスが同族の死体の上に乗り、なにやら嘴でつついていた。

 僕の視線に気付き動きを止めてしばらく固まっていたが、やがて大きな羽音を立て飛び去っていった。


 準備万端を訴えていた僕の体は、おかげでさあっと静まっていった。







 足元には彼女がさっきまで握りしめていた包丁。

 それはぬるぬると赤を滴らせながら、鈍く光っていた。




「沙夜……どうか、許してくれ……!」




 思い切り突き刺す。


 腹に、胸に、肩に、腕に、足に……

 顔は……やめておく。


 刃が肉を裂く度に大きな悲鳴が上がったが、反射でもがくだけで避けようとはしなかった。


 しゃがみ込むだけで、そのまま。

 くたくたっと人形のように、されるがまま。

 ただそこにいて、僕に切り裂かれていった。


 痛みはあったのだろうか。

 どんな気持ちだったのだろうか。


 頑なに笑顔を続ける彼女の表情からはどうにも読み取れなかった。







 悲鳴はやがて終わり。


 だらんと脱力しきった体を抱きしめる。

 意識を手放したそれは思っていたより重く。


 暗く俯くその顔を持ち上げると、なんとも苦しげで。


 歪んでしまった眉毛、目元、唇。

 それぞれ指で押し上げる。


 何度も元の位置に戻ろうとするそれをグイグイと押し続けて、ようやくいい感じになった。


 彼女には笑っていてほしいから。




 そして、仰向けに床にそっと寝かせる。

 その腕を腹の上で緩く組ませて。



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