羅美
羅美に会う以前にも、私は恋愛をしたことはあった。しかし、それは会わなくなれば気持ちが薄れる、という程度のものだった。羅美との経験は、それまでのものとは全く違っていた。
スタンダールは『恋愛論』において、雷撃の恋の存在を説いている。一目見た瞬間に雷に撃たれたように恋してしまうことを雷撃の恋という。理由も何もない。相手の人柄、容姿、身分、何れも関係ない。とにかくあっという間に恋してしまう。それこそ真正の恋であるとスタンダールは主張する。
私を襲ったものは正に雷撃の恋であった。体の芯が溶岩に変わり、花火が打ちあがった。羅美を見て感じた強烈な情熱、全てを焼き尽くす熱狂は今まで経験したことがないものであった。しどろもどろであったが、私は羅美に優しい笑みを浮かべさせるほど熱烈な言葉を口にした。
急流に引かれるように互いの中にのめり込んでいった。それでいて心穏やかな日々には救われるばかりであった。もっと深く相手を知りたいと思った。相手の中に埋もれている自分自身を知りたかったのかもしれない。相手の存在によってそれぞれが輝いていた。
生まれた時からの知り合いのように思われ、絶対に分かれることができないような気がした。お互いを欠くことのできない自分の一部として、自己の中に根付かせたいと思う気持ち。二人の間には勝利も敗北もなかった。二人は分かちがたい相棒であった。二人は常に同じ側にいた。二人の間には見えざる紐帯が確かに存在した。
羅美との生活は天国だった。相性はとてもよかった。息の合った同志であり、理解し合える相手であり、鏡に映った自分のようなものであった。一卵性双生児のように精神が感応しあった。一緒にいるだけでウキウキと楽しい気分になれた。羅美と一緒にいると、私の中の何か根源的で喜びに満ちたものが解放される。
その思いは羅美も同じであると私には分かっていた。二人は互いに並びあい、地面の下で根を交え、空中で枝を交え、香りを交えている二本の木のようなものであった。目くるめく幸福感に圧倒されながら、二人の愛に終わりが来ることはあり得ないと確信していた。
羅美にはエレガントという形容は当てはまらない。エレガントという言葉からイメージする女性はクールで物事に動じることはなく、スラリとして、時に尊大である。しかし、羅美には、それ以上の美点がある。羅美は血の通った女性である。情熱的で、時に手を焼くことがあっても、いつも生き生きとしてバイタリティに溢れている羅美が好きであった。
羅美を見ているだけで楽しかった。「美人は三日見れば飽きる」は嘘である。いくら好きでも、ずっと一緒にいると飽きてしまう人もいるが、羅美は違った。一緒にいる時間が長ければ長いほど、羅美は異なった魅力を見せてくれる。一人になりたいと思ったのは数回くらいしかない。
二人は共に語り、共に笑い、共にいたわりあった。羅美には何でも話すことができた。二人でたあいのないことをしゃべり、当意即妙の言葉や甘い言葉を何度も繰り返した。二人でゲームする時間も好きだった。羅美の木漏れ日のような笑顔に接し、包み込むような声を聞くたびに心がワルツを踊った。
思い入れたっぷりな眼差しを交わしながら、服装の色について議論したり、文学作品について意見を述べあったりする時など、他人にはそれと察することのできない身振りや溜め息が混じっていた。羅美の学識の広さにも驚嘆させられた。驚くことばかりであったが、私はそれを日々の糧と思うようになった。私の不意を突く羅美の能力の虜となっていた。
傍から見ると和やかでない雰囲気もあるが、そのような場合でも文句がつけられないほど自然であった。遠慮なく口論している時でも、そこには辛辣さも怒りも混じっていない。美女は何を言っても、どんな仕草をしても魅力的だった。羅美が微笑する度に私は喜びに酔いしれた。
羅美の表情はきつめで、タフであろうとしている。しかし、その見せ掛けの下には誰より優しい心を持っており、一緒にいると面倒見が良くて頼りがいがあった。いつも傍にいて世話を焼いてくれた。夜もなく昼もなく心配してくれた。優しく慰められるほど、羅美が女神に思えた。ジェンダーに囚われた時代遅れの人間ならば情けないと嘆息するかもしれないが、優しい姉としてたくさん甘えていた。
「姉のように守ってくれる人がほしかった。そういう人が必要なのです」
その羅美から追い出されてしまった。私にとって死刑宣告にも等しい。羅美と一緒でなければ、たとえ宝くじの一等に当選したとしても何になろう。世界中の人間がひれ伏したとしても、羅美がいなければ私にとっては無価値だった。羅美を愛し、愛される人こそ幸福である。その幸福な生活が突然終わってしまった。
羅美からはたくさんのものをもらった。愛や夢、喜びそして命と数え切れない。何一つ恩返しできず、お礼も言えないまま終わってしまった。自分の愛が足りなかったのか。子供が火遊びをするように愛と戯れていただけだったのか。
二人は元々、生まれた場所も育った環境も違い、年齢差もある。むしろ、これまで一緒にいられたことを恩寵と思うべきかもしれない。恋というものは甘い幻に過ぎないのかもしれない。それでも、それを失うのは命を失うことに匹敵する場合もある。
羅美なしの人生なんてあり得ない。羅美の代わりなんて絶対に見つからない。羅美のように私の心を躍らせ、刺激し、震わせてくれる女性は二人といない。これほど私を虜にする女性は羅美以外に考えられない。
私は全身の神経が震えるような溜め息をつき、開かれない扉に向かって一礼し、冬の街をトボトボと歩いていった。夜空には満月に近い月が輝いている。涙の滴るにまかせた後、やがて涙も乾いた。風がビュウビュウ吹いて、私の心をなでていった。苦悩が胸を締め付け、思わず喘ぎ声を発した。絶望という言葉は今の私の状態を指していた。愛されていると信じ、幸福の絶頂に到達すると思っていた矢先、失意のどん底に転落していた。
様々なことが頭に浮かび、何かを思うと途端にその何かが現れる。羅美の姿が繰り返し現れる。優しく、暖かく、雌鹿のように目を輝かせて。何でもない羅美との会話の一語一語が磨かれた宝石のように貴重に思えた。親しみに満ちた沈黙、満足。私の心の中には二人で過ごした何でもない時間が砂金のように輝きながら積もっていた。
羅美への激しい恋心が自分の胸に忍び込んできた日を呪うべきだろうか。しかしそれはできなかった。幸福な日々がビデオを再生するように頭の中にくっきりと明滅していた。胸の思いには、一つとして追憶でないもの、愛惜でないものはなかった。
私は秋の日暮れのような表情をしていたに違いない。おまけに雨まで降りそうだった。心の中からは色々なものが剥落していき、大きな穴ができてしまった。あるべきものがそこにはなく、やるせない穴がぽっかりと開いている。私はその穴に呑み込まれてしまった。
「恋人に捨てられたら異世界に飛ばされました」2話掲載直後にNAROU_ANALYZERに分析されました。平均よりも助詞が多いという結果になりました。平均と比べるとフィラーが少ないです。