光
私は戸口に立っていた。戸口をじっと見つめていた。瞳には表情がなく、ただ、事象をあるがままに映し出しているようであった。
私はそこに何時間も立ちつくした。羅美が許してくれるという甘い期待を抱いて。羅美が許してくれるならば、女主人に対する下僕のような関係でもよかった。しかしそれは期待というより一方的な希望に過ぎなかった。
羅美は大人の女性である。思いつきで行動したり、一度決心したことを簡単に翻したりする、いい加減な人間ではない。簡単に撤回することはなかった。最早羅美にとって、私は単に一つの思い出に過ぎず、現実の男性ではないのだろうか。それならば私はどうすればいいのだろうか。
私にとって羅美は光だった。苦しみと絶望の中で私が道を外さないように導いてくれる眩い光。地球が始まって以来休まず東から登り西へ沈む太陽の光とも、電気エネルギーが発する光とも質の違う、人を癒す光。外見だけではなく、魂からにじみ出ている光。オーラとも霊光とも呼ばれることがある。
堅い意志をもち、内なる炎に燃えている。それは燃料を必要とする火ではなく、それ自身が燃える火である。四方八方に宝石箱を覆したような光彩を放つ。その目も眩むような明るさに、あらゆる一切の松明は消えてしまい、周りのもの全てが真っ黒なビロードで覆われてしまう。
光をまともに見ることは誰にでもできる芸当ではなかった。それでも私は仰ぎ見た。光の中心にいた存在は、汚れ無き博愛の天使。一見すると小柄な少女とも見える。その存在そのものが、注目を要求する自然の力だった。その姿から目を伏せるだけでも意志の力を総動員しなければならなかった。羅美は美しかった。それは疑いなかった。しかし羅美には魅力以上のものがあった。素朴な正直さがあり、理想主義があった。
不安と絶望の日々の中で不意に現れた天使が羅美であった。羅美はこの世のものでないものを映し出す鏡である。未知の世界を次々と浮かび上がらせて私に見せ付ける。私は、ただ見とれるだけであった。人間らしいが、神々しい顔。否、神々しいが人間らしい顔である。
まっすぐな瞳がまぶしかった。眼差しだけでなく、真剣に他人と向き合おうとする、その心がまぶしかった。羅美のまぶしさに比べれば、私のとっておきの笑みなどは常夜灯に見えてしまうほどであった。
私は突然、詩人の語る一目惚れがどのようなものであるかを理解した。顔や姿を初めて見ただけで急に狂った恋に囚われるという話は聞いたことがある。私の反応は客観的に定義することができた。手のひらの発汗、激しい動悸、食欲の減退、注意散漫。それらの症状を確認することは造作もないことであったが、体調不良とその原因は科学的というより形而上学的なものであった。あらゆる直感が、この瞬間を大切にして、羅美がいることを喜び、羅美の放つ光を浴びればいいと言っている。
目のくらむような一瞬のうちに羅美は私にとって自分の体の一部と同じくらい重要な存在となった。生まれた時から羅美を愛していながら、羅美を愛していることを知りもせず、自分の思いの性質も分からず、想いを振り向ける術を知らなかったような気がした。
私はまぶしい光に目を細めながら、羅美を仰ぎ見た。それが羅美の興味を惹いたようであった。羅美は私の眼差しをとらえ、それから戸惑うように一、二度地面に視線を落とした。そして再び、私をひたと見据えたのであった。両目は精彩に溢れ、鋭く輝いていた。
瞳の奥にあるものは存在の大きさを象徴しており、安心して見つめていられた。そこには音もなく言葉もなく、ただ視覚されるものしかなかった。にもかかわらず、羅美の存在そのものを感知できるものが照射されている。私はこの時、羅美とは既に一生をともに生きたように思えた。とっさに自分が羅美のことを身も魂も愛するようになると理解できた。
この時、私の心はまだ崇拝心とは別の場所にあった。しかし、羅美が私の中で崇拝の対象へと変化を遂げるまでに要した時間はほんの僅かだった。否、もしかすると初めて拝見した時から崇拝は始まっていたのかもしれない。羅美への信仰心に対しては、どんなに戦ってみても無駄であった。どんどん大きくなり、私をしっかりつかんでしまった。
天使の歌声、快活な笑い声、微笑み、陶器のような滑らかな白い肌。博愛の精神、小柄な姿、愛らしい姿、そして祝福。私を見つめる眼差しには若々しく素直な光が宿っていた。軽い気持ちでチョッカイを出せるような存在ではなかった。
それどころか私の中には知らず知らずの内に崇拝心が芽生えていった。羅美を見て、声を聞いた瞬間から愛さずにはいられなかった。幸福を振りまく為に遣わされた存在だった。私は第一の戒律を犯してしまった。「あなたは私以外を神としてはならない」という戒律である。
一緒にいるだけで魂が浄化される。そこにいるだけで日々を乗り越えることができる。心も体もその足元に投げ出してしまう。そしていつしか生きさせて頂いている私がいた。これで私は生きていける、自分の人生を信じることができると思うことができた。私の意思や霊感の全ては羅美の目の中から湧いてくるように思えた。私は自らの幸福の全てを羅美への愛にかけていた。
羅美は年上であったが、これも私には理想であった。まさに頭上に君臨する存在として、自然と敬いたくなるからである。要するに羅美は知性であり、良識であり、美徳であり、全ての全の象徴であった。首輪をはめて羅美に綱で引かれたっていい。
羅美と一緒ならば何でもできる。そんな予感がし、全身に力がみなぎった。羅美は私にとっての自由であり、運命であった。恋慕と執着の最中にあって私は同時に感謝も感じていた。女王とも称すべき羅美。これを愛し、これに感謝するには、一つの心だけでは足りないほどの彼女であった。