38.外へ
「ある意味、ストームさんとやり合うより危険かもしれん」
「なるほど。そういうことかい」
俺たちは今、竜の谷にいる。
元来た道を戻る動きで。
俺の真意を察し、頷きを返すハールーンに対し、ベルベットは……ちょ、待て。
「それがコズミックフォージだろ!」
「たぶんそうよー」
「お手玉にするな!」
「大丈夫、大丈夫」
っと。落ちそうになったじゃないかよ。
コズミックフォージは聞いていた通りの小箱だった。
白銀色の意匠が一切施されていない手の平に収まるくらいの四角い箱。
落としそうになったベルベットの代わりにコズミックフォージの箱を受け止めたところ、意外な軽さに驚く。
アルミかな、これ。
蝶番も無く、無機質で何気なく置かれていたら余りの異質さに目を留めたかもしれない。
箱状のものは、だいたい中に何かを入れるために使う。
もしくは、飾って楽しむかのどちらかだ。
こいつは開くこともなければ、飾り気も一切ない。
そういや、ストームが手紙? を用意しているとか言っていたな。
「ベルベット。羊皮紙か何かも一緒に置かれていたか?」
「うん。これこれ」
「どこから出してんだよ」
「見ちゃったー?」
「見えてないから安心しろ。スライムがちゃんと見えなくしてくれたよ」
胸元から取り出された紙片をベルベットから受け取る。
どれどれ。
『男は願った。絶対安全な場所で暮らしたいと。コズミックフォージが応じ、大迷宮ができあがったのだ』
『安全を脅かす要素は徹底的に排除される。周囲にいた者まで巻き込んで。真理を解き明かすかもしれない賢者を捉え、コズミックフォージに願う者が出ぬよう多数のモンスターが迷宮に招かれた。番人が作られ、完全に完璧な安全を確保する』
『過剰に過ぎる。コズミックフォージの力で絶対安全を脅かされぬよう、願った男は二度とコズミックフォージに近づくことができなくなった』
『男は孤独のうちに餓死した』
なんともまあ……この願った男とやらは何かに追われていたのか、それとも単に魔物に脅かされることのない家が欲しかったのか、真意は分からない。
この男がコズミックフォージに願う前に誰かがコズミックフォージの本質を告げていれば……悲劇は怒らなかったのかもしれん。
ハールーンが閉じ込められ、ベルベットが巻き添えを喰らった。
ストームが番人として呼ばれ、千鳥に関しては詳細不明。
ひょっとしたら番人候補として作られ、番人同士で蟲毒でもするつもりだったのかもな。
ストームと千鳥は争わなかったけど、赤い線の中に入れば千鳥とてただでは済まない。
この悪夢を終わらせてやる。
長かった。1000年以上の時を経て、ようやくコズミックフォージを葬る機会を得たのだ。
必ずや成功させてみせる。待っていてくれ、コズミックフォージによる犠牲者たちよ。
グラハム。君の望んだ結果とは違うかもしれないが、君の残してくれた手記があり、俺はここまでくることができたぞ。
「それで、どこに行くのー?」
「魔獣の森だよ。そこに答えがある」
「ふうん。楽しみにしてる」
無邪気に両手を振り上げるベルベットに微笑ましい気持ちになった。
「ちょっとばかし危ないが、まあ何とかなるだろ」
「え、えええ。そうなのお。首大丈夫?」
「首は大丈夫と思うぞ」
首はな。
この先はあえて告げない方がいいだろう。
いかなベルベットだろうが、行けば嫌でも分かってしまうしさ。
◇◇◇
「ステルス」
姿隠しのスペシャルムーブを使う。ベルベットとハールーンも既に魔法を唱え済みだ。
隠遁をトレースしておけばよかったな。ステルスだとベルベットなら捉えることができるけど、隠遁だと見えないそうだし。
まあ、大した違いにはならないか。
ちゃんと終われば、だけどね。
「ま、まさか。まさか」
「お、気が付いた?」
ブンブン首を振るベルベット。
何やら、うわごとのように呟き始めた。
「嫌。あいつは嫌よおお」
「だったら、ここで休んでいてもいいぞ」
「それも嫌。ついていくもん。私がいないとハールーンちゃんとイチャイチャするし」
しねえよ。
ここは魔獣の森。離れてからそれほど時が経っていないが、妙に懐かしく感じる。
む。来た。
この圧倒的な気配。奴だ。
奴が近くにいる。
そう、俺の目指す場所は暴帝竜だ。
◇◇◇
<コズミックフォージは完全で完璧だ。しかし、この生物だけは理解できぬ。転移の仕組みによる事故なのだろうか。この生物はこの世界の生物ではない。こんなものがいてはならない>
頭の中に響いた、この言葉こそ、コズミックフォージを破壊する大きなヒントだと信じている。
ステルスの効果があり、暴帝竜は俺の姿に気が付いていないようだった。
大きく開けた奴の口に向け。
コズミックフォージを投擲する!
銀色の小箱が暴帝竜の口の中に吸い込まれていった。
食べられないものが口の中に入ったからか、奴はあんな小さな小箱に対し、怒り心頭な様子。
ダラダラと涎を垂らし、黒い塊が口の中に集まって行く。
黒いブレスだ。
しかし、ブレスが吐き出されることはなく、奴の姿が霞みのように薄れ――消えた。
ぽつ、ぽつぽつ。
ザアアアアアア。
頬に雨粒が当たったかと思うと、激しい雨になる。
「雨?」
びしょ濡れになりながらも空を仰ぐ。
真っ黒の雲が稲光を発していた。
「空! 空よ!」
「僕たちは外に出たんじゃないかな」
はしゃぐベルベットと冷静なハールーン。
迷宮には天井があった。
天気なんてものはなく、一日中同じ明るさで床を照らしている。
それがどうだ今は。
雨が降っている。雨が降っているんだ!
つまり、迷宮の中じゃないってことだよ!
周囲の景色に変化はない。魔の森は迷宮が外から取り込んだ地域だったのかも。
「進もう。どっちに進めばいいのか分からないけど。そうだな。死者の大聖堂の方角へ向かうか」
「分かった。確認しつつ、進もうか」
「ごーごー」
激しい雨の中だったが、心晴れやかに森の中を進む。
行く先には何が待ち受けているのか、分からない。だけど、最悪の迷宮の中じゃないのなら、どこだって天国みたいなものだよ。
◇◇◇
ハールーンとベルベットによると、この森は以前ハールーンが隠棲していた森だろうとのこと。
さすがに1000年以上経過しているから、彼女らの記憶と随分異なっているそうだが。
小高い丘があったので、どこに進むか当たりをつけようと上まで登り、景色を眺める。
「どこだここ……」
「僕も君の時代の地理は分からないな。そうだね、王国のあった場所まで行ってみようか」
「道は分かるのか?」
「問題ない。ただし、1000年前の街だけどね。まだあるかどうかは」
ハールーンが小首をかしげた。
ったく。そんな嬉しそうな顔をするなよ。俺だって、ずっとニヤニヤが止まらないんだけどな。
「普通の旅」がこれほど楽しいだなんてさ。
悪意のあり過ぎる迷宮の中じゃないだけで、嬉しいものなんだよ。
地面も、木々も、虫たちも、生かされているんじゃなくて、生きているのだから。
大地を踏みしめるたびに、強く思う。
俺たちは迷宮を脱したのだと。
「どれだけかかるか分からないけど、俺の家族を紹介したい。そこまで付き合ってくれるか?」
「もちろんだとも。君が良ければ、どこまでも」
「私もー」
ベルベットはどこかに置いてきた方が……なんてことを思ったが、彼女を野放しにすると何をやらかすか分からないし。
一緒に行こうとあの時、俺と彼女は誓い合った。
迷宮を出た今となっては盟約も終わったのだけど、彼女が来ると言うならやぶさかではない。
「それじゃあ、そろそろ行こうか」
ちょうど雨もあがったことだし。
キラキラ輝く太陽が、優しく俺たちを照らす。
次の冒険は、自宅まで帰ること。
すぐに終わるだろうと思っていたが、まさか長い旅になるなんて、この時の俺はまだ知らない。