世界樹、ユグドラシル
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精霊たちの隠れ里にある庭園は美しい花が咲き乱れていた。
「春の花も秋の花も同時に咲いてるわ」
女性で商売人ということもあってドーラは目ざとく花の種類をチェックしたようで、季節関係なく咲いている花に驚いているようであった。
「そうです。この地は季節に関係なく多くの花々が咲き乱れています。この隠れ里は傷ついた精霊たちの癒しの場でもあるので、どの季節の精霊が訪れても自分たちに合った場所で休息ができるようになっているんです」
にこにこと微笑みながらイェシルが庭園を案内してくれた。精霊の隠れ里に入った時点でセンリはヴェイユの背中から降りて自由に歩き回っている。この里に神獣であるセンリを傷つける者は存在しないし、結界に囲まれているので子猫のセンリでも自由に安心して遊びまわれる。センリが花の匂いを嗅いだりと忙しそうにしているのをヴェイユが父性溢れる目で見ていた。
「ヴェイユ…、マジお父さんだね。イェシルさん、この家は?」
「たまに貴方方のように肉体を持っている方がいらっしゃるのでそういった方たちの為に用意したのです。ナリス様たちもご自由にお使い下さい」
庭園の中にある小さな屋敷は外からのお客様用に用意された家だった。
「たまに来る人がいるの?」
「わたくしたち精霊の友たる方たちは数は少ないですが各地にいますので。中には傷ついた精霊を保護して連れてこられる方もいます」
精霊たちに認められた者のみが入れる隠れ里のようだ。だからこそ、この地に入れる最低限の能力として精霊が視えることだったらしい。
「あちらをご覧ください」
しばらく歩いて庭園の奥に案内されると、そこには巨大な大樹が存在していた。
「これってひょっとして世界樹?」
オリオンがびっくりしたような声を上げた。
「その通りです。これは世界樹、ユグドラシルと呼ばれる大樹です。わたくしたちはこのユグドラシルのお世話をさせていただいており、同時にこのユグドラシルに守られているのです」
イェシルが誇りを持ってそう言った。
「……すごいね。話しに聞いた事はあったけど、ユグドラシルなんて初めて見た」
「私もです。伝承の通り、すごく大きな木ですね」
ドーラとユーリもその大きさに圧倒されたように眺めた。
ナリスは少し首を捻るとユグドラシルに近づいて手を幹に当てた。
「ナリス?触って大丈夫なの?」
ユーリがくるりとイェシルを見上げて訪ねると、イェシルが首を縦に振った。
「ナリス様のご自由に」
心当たりがあるのかイェシルはナリスを止めることもなくただ見守っている。
「うーーん、ユグドラシルに元気がない。濁った魔素が溜まり過ぎてる?でも何で?ユグドラシルはその地の魔素の浄化と循環を担っているはずだ。自らの中にこんな調子を落とすほど溜め込まないはずなのに」
「はい、本来、ユグドラシルが濁った魔素を自らの中に溜め込むことはありません。おっしゃる通り、ユグドラシルは浄化と循環を司る物。濁った魔素を自らの体内で浄化して自然の中に放出することで世界のバランスを取っている大樹です。その浄化量は多く、ユグドラシル自身が不調になることはありませんでした。ですが、ここ何年かこのような状態が続いていてこのままだと常世の葉が枯れて、ユグドラシルも枯れ果てるかもしれないと危惧していたところでした」
よく見ると、ユグドラシルの葉、通称、常世の葉と呼ばれる葉っぱが萎れて枯れてきている。この葉は本来年がら年中緑色を湛える美しい葉っぱのはずだ。ついでに錬金術師や薬師の間では幻の素材と呼ばれてもいる。
「最近、傷ついた精霊がここに逃げ込んでくることが多くなってきたのです」
緑の精霊であるイェシルが近くに咲いていた大輪のバラに手をやると、そこには眠っている小さな精霊がいた。
「この子もつい最近ここに辿り着いた子なんです。ひどく消耗していたのでこうして花の中で眠っています」
バラの中で眠っていたのは羽を持つ小さな精霊だった。
「この子は特殊な道具で捕まってしまったそうなのですが、隙を見て逃げ出してきたそうです。ですが、眠る前に少しおかしなことを言っていたんです」
「おかしなこと?」
精霊を視て捕まえることができる特殊な道具があるのは知っていた。だが作り方や材料が特殊で高価な品物なのでめったに出回ったりはしない。今のところ、精霊を捕まえる道具は一種類しかないので、それを持っているというだけで財力がそれなりにある組織だともいえる。
「どうも、捕まえに来た者たちの中に同族がいるようだ、と」
「精霊が同じ精霊を捕まえてるの?」
「そう感じたそうです」
「へぇ」
精霊が同族の精霊を捕まえるなどというのはあまり聞いたことがない。相性や仲の良し悪しはあるが、基本的には属性が闇だろうが光だろうが同族を害することがないのが精霊だ。お互いが循環の中で支えあっていることを本能で知っているのでその歯車を崩す事はしない。
なのにその精霊が同族を捕まえている側にいる、という証言が出て来た。
「当然ですが、精霊が減ればその地のバランスがマイナス方向に悪くなります。濁った魔素は、本来であればその地のユグドラシルが浄化して循環させるのでしょうが、バランスの崩れ方がおかしかったのか、この地のユグドラシルはこうして濁った魔素を浄化しきれずに弱ってきてしまいました」
ただの精霊に魔素を浄化することはできない。ユグドラシルが枯れていくのを手をこまねいて見ているしかない状況になった時にちょうどナリスたちが来た、ということだった。
「とりあえず、ユグドラシルの方から何とかしようか。ユーリ」
「はいはい。あれをやるんだね」
サラマンダーから魔素を抜いたのと同じ方法。つまりはナリスと仲良くお手々を繋ぐ時間がやってきたようだ。
「神刀”夜”、神意を示せ」
「導きの星と共に、アストラル」
子供2人の手にそれぞれの刀と剣が現れた。今回は夜が濁った魔素を吸い出しナリスが浄化をしてユーリがアストラルから大地に循環させる。ユグドラシルの方はその後に確認をして必要ならばナリスの神力を注ぐし、さらに必要ならアルマを呼び出して何とかしてもらおうと思っている。
「じゃ、やろうか、ユーリ」
「うん」
ナリスがプスッと夜をユグドラシルの幹に刺して魔素を吸い出し始めた。
「魔素がどろっとしてるね。どろっとしすぎててうまく流せてなかったんだ。大丈夫、すぐにボクが流れを良くするから」
ユグドラシルに突き刺した夜にズルズルっと黒い影のようなものが伝って上がってきた。黒い影はそのままナリスに絡みついて行く。
「魔力が少ない俺でも分かるぞ、禍々しいな」
「ユグドラシルは普段、これを浄化してくれているのね。……私たちが軽々しく触れてはいけない大切な樹だわ」
「いえ、お2人とも、普段はあそこまで禍々しい魔素ではありません。もっと軽い内にユグドラシルが取り込んで浄化しているんです。あそこまで濁って禍々しい気配を持つ魔素の塊なんて今まで見た事がありません」
纏わりつく濁った魔素を取り込んだせいかナリスの肌がどんどん濁った緑色に変色していく。
「ナリス、大丈夫?」
「うん。ちょっと今、分析中。もうちょっとしたら流すから」
「無茶しないでね」
「大丈夫。一応、無害化はしてあるから。どうしてこんな塊になったのか確認してるだけ。うーん、発生場所と方法と時期がほぼ一緒なのかな、同じ性質を持つ魔素同士がくっついて一気にユグドラシルに入ってきたんだね。だから、ユグドラシルの方が受け止めきれなかったのか」
通常ならユグドラシルに辿り着くまでに他の浄化作用も相まってある程度は薄くなっているはずの濁りが同時発生することで塊となり、それがそのまま一気にユグドラシルに入ってきたようだ。それも回数を分けて何度も。ただでさえどろっとしているので流れが悪くなるのにそれが時間差で何度も来たせいでユグドラシルの中で停滞していたようだ。
ユグドラシルは魔素の濁りを浄化する最後の場所。ユグドラシルに着くまでに他の浄化作用で消え去る濁りもあるというのにむしろ核となった濁りの塊が各地の濁りをさらに引き寄せて巨大で流れを止めるようなものになっていった結果、ユグドラシルの浄化作用を止めるという迷惑な荒業をやってのけたようだ。
「よし、じゃ、浄化しちゃってから、ユーリに流すよ」
「いつでもどうぞ。導きの剣アストラル、浄化された魔素を正しい循環に導いて」
ズズっという音をたててナリスの中に濁った魔素が入っていき、ナリスの中で浄化された魔素が繋いだ手からユーリへと送られ、それがさらにユーリが持つ大地に突き刺したアストラルから循環の環の中へと返っていく。普段ユグドラシルが行っている仕事を子供2人が変わりにやってのけた。
時間が経つにつれて、ユグドラシルの萎れていた葉も美しい色合いを取り戻していき、先ほどとは全然違う様子を見せていた。
「常世の葉も色合いを取り戻したようです」
イェシルの嬉しそうな声が庭園に響くと、花の中で眠っていた傷ついた精霊たちが次々と起き出して辺りを飛び回った。
『あれー、ぼくたちどうしたのー?』
『イェシル様だー、わたしたち寝てたー?』
『ユグドラシル様が元気になってるー。愛し子様と金の子だー』
『ホントだー、ホントだー』
『助けてくれたんだー、ありがとー』
きゃっきゃしながら精霊たちが飛び回る。
「小さき者たち、愛し子様と金の子に感謝をするのですよ」
『はーい』
精霊たちがナリスとユーリの前に現れては一礼して去っていく。その様子を浄化と循環をしながらナリスとユーリが笑って視ていた。
「ユグドラシルが喜んでいるわ」
世界樹、ユグドラシルがその名にふさわしい堂々とした姿を取り戻したのは、浄化と循環を初めてから一刻ほど経った後の事であった。