フォラス王国からの脱出
明けましておめでとうございます。早く、マスク無しの生活に戻れますように。
「レイノルド、セバス。そなたたち、ナリス様を連れて早めにこの国から出ろ」
「この国から、ですか?それはこの国以外ならどこでも良い、ということですか?」
黒い髪と瞳になったレイノルドがそう聞くと、アルマはうむ、とうなづいた。
「そなたにかけられていた呪術を解いた以上、かけた術者は対価を支払った。そなたの弟とこの国の王は今頃意識でも失っているんじゃないのかな。目覚めれば解呪に気づき、そなたの所に来るであろう。それにナリス様をこの国で育てていくにはいささか教育環境も悪そうだ。王侯貴族がその役割も理解せず、ただ威張り散らす国など環境が悪い」
アルマの言葉に2人は首を垂れるしかなかった。いつの頃からか、この国の王侯貴族は選民意識が強くなっていた。神によって選ばれた王侯貴族、その下の下等なる民草。いつからだろう、そう声高に叫ぶ者たちがいて、誰もそれに反論しなくなったのは。いくらおかしいと言っても、おかしいのはお前だ、と返された。
実際にはどうだ。生と死の神アルマがこの国をすでに見捨てている。神に選ばれているどころか、神に見捨てられている。創造神スーリーとてそう変わらないだろう。
「私は誕生と終焉を司るものだ。それは何も生命のことだけでは無い。国とて同じだ。国の興亡には基本関わらぬが、この国が終焉に近づいていることはわかる。国がどのように生まれ、どのように終わるかは人間たちが決めること。この国ははたして自滅するのか、滅ぼされるのか、それとも再生の道をたどるのか」
ナリスを抱っこしながら、アルマはそっと瞳を閉じた。
思い出すのは、彼の妻のいた王国。
国が誕生した時の国王の言葉と思い。長い時が経ち、初代王の思いは形骸化し、その国の王族として生まれた彼の妻の言葉に耳を傾ける者は皆無となっていった。そして最後はほぼ自滅に近い形でかの国は分裂し、地上から消え去った。滅びる過程で生死の境をさ迷っていた彼の妻は、望めば地上に帰してあげたのだが、それを望まず全てを背負って死の国へと下る決意をした。そんな彼女を一生懸命口説いたのも今では良い思い出だ。
「アルマ様、では我らは早急にこの国より出た方がいいのですね?」
レイノルドの言葉に目を開き、アルマは答えた。
「そうだな。なるべく早くこの国を出ろ。行く当てがないのならば、隣国の神殿に避難してもいいぞ。行くのならば神託は下ろしておく。それとレイノルド、そなた、名を改めよ」
「名、でございますか?」
「そうだ。レイノルド・ウォルフ・ラグナは解呪と共に消え去るのだ。新たな名は私がつけよう。今この時より、レイ・シュッツァー・オウルと名乗れ」
オウル、生と死の神アルマの傍らに常にいるとされるアルマを象徴する鳥。
加護をいただき、その名を与えられた以上、レイノルド、否、レイは完全にアルマの眷属となった。レイはアルマ直属の配下の者であり、アルマに仕える神官たちより高位の者となったのだ。
「念のためステータスのセカンドネームは隠しておけ。普段はレイ・オウルと名乗るがよかろう。ナリス様も普段はナリス・オウルですね」
腕の中の赤子に優しく語りかけるその姿はとても絵になる光景、眼福の極みともいえる。
レイに与えた名、シュッツァー。それは守護者の意味を持つ。その名を与えられたレイは文字通りナリスの守護者だ。
国が腐ってきているとはいえ、騎士団長の地位は彼の実力で勝ち取ったものだし、解呪され元に戻ったレベルは80を超えている。今現在、世界中を見渡しても、レベル80を超えている人物はそう何人もいない。
ましてレイはアルマの眷属となった。その恩恵として、レイの身体は若さを保ち続けることがで出来るだろうし、今まで無かったスキルや魔法も生えてきているだろう。
全てはナリスを守るためだ。
「セバス。そなたにも我が祝福を。そなたの主はあくまでもレイだ。だがそのレイは我が眷属。そなたもまた、我が意を実行し得る者でなくてはならぬ」
「は。心得ております」
セバスはアルマの眷属に仕える者。臣下の家人だ。主が主人である神の意を叶える存在であるならば、当然セバスもその意を全力で叶えなければならない。それらは全て主の評価に繋がる。主がアルマに認められる、それがセバスの誇りになる。
「レイ様、私が至急王都に出向き、ナリス様の出生届、レイ様との養子縁組届、並びにレイ様とナリス様のラグナ辺境伯家からの絶縁届を出し、貴族籍より籍を抜く抹消届の手続きをしてまいります。これで正当な届け出になりますので、誰も文句を言うことは出来なくなりますし、正式にこの国の貴族とは無縁の存在になります」
「絶縁届などいつの間に取ってあったんだ」
「ヴァル様は単純明快な方ですから。もしものためにこちらに来る前に正式な書類をいただいて参りました。喜んでお書き下さいましたよ」
いくらラグナ辺境伯の地位を得て、レイに呪術をかけたとはいえ、ヴァルは心のどこかでレイのことを恐れていた。それが正式に辺境伯家から籍を抜くのであれば、もはや家督を奪われる心配も無い。ナリスに関しては、最初から「いらない」と言っていたのだ。こちらもあっさり書類を書いてくれた。
出生届は必ず出さなければならないし、出せば不自然なことが起これば弱みになる。だが、兄の下に養子に行き、2人まとめて貴族籍から抜ければその後はラグナ家とは無縁の存在になる。2人に何が起ころうとラグナ家とは関係が無くなるのだ。ヴァルとしてはそれを願ってもいたようであった。そんな単純な思考回路の持ち主なので、セバスは色々とやりやすかったし、書類も問題無く準備出来ている。
問題は王都がこの地より遠いことだ。
貴族関係の書類は必ず王都の貴族院に届け出なければならない。領地が遠い家もあるので、すぐに出さなければならない、という事は無いが、出来れば王と辺境伯が原因不明で倒れていてゴタゴタが続いている間に全てを済ませてしまいたい。王都へ行くには、セバスの全力を持ってしても7日ほどはかかる。そこから正式に受理される期間を考えると、少なくとも、今から10日ほどはかかってしまうだろう。
その間に王と辺境伯が目を覚まし、呪術の解除を知れば、すぐさまレイに対してなんらかの行動を起こしてくる可能性がある。
幸いここは辺境。いくつかの国と国境を接する場所だ。レイとナリスはすぐに国境を越えてもらい、自分は後から合流する手はずを整えなくてならない。
「レイ様、時間があまりございません。ギルドカードはお持ちでしたね」
「昔つくったのがあるが、更新はしていないぞ」
「では、すぐに近くのギルドで更新を……、いえ、新しく作り直しましょう。少しでもレイノルド様としての痕跡を消していかなければ。そうなると他国で新しく作り直した方がいいですね。では、ひとまず私が身分証明書を発行いたしますので、それでお2人で国境を越えてください。その間に私が王都にて手続きをして参ります」
「王都までは遠いぞ。お前は大丈夫なのか?」
セバスがレイノルドを主と定めていたことを知る者は少ないとは言え、レイノルドがいなくなればその手続きに動いたセバスには必ず嫌疑がかかってくる。腐っても王都の騎士団は有能だ。王の言葉で騎士団が動けば、セバスだとて危うい。
「私の方は何とか致します。王とヴァル様が倒れている間に事を進めなければなりません」
「ならば、もっと良い方法があるぞ」
そう言ったのはナリスをあやしていたアルマだった。
「今回だけ特別に私がセバスを王都まで送ってやろう。王都にある我が神殿にならそなたを転移させられる。それと、身分証明書とやらだが、これを持っていけ」
そう言って渡されたのは、レイ・オウルとその息子、ナリス・オウルの神殿が発行した正式な身分証明書。それも発行者の名は当代の教皇の名だ。
「アルマ様、これはいったい」
「今さっき発行させた。我らが愛し子の危機だと言ったらすぐに書いてくれたぞ。これを持って国境を越えれば、問い合わせ先は教皇だ。何かを聞きたくともさぞかし時間がかかることだろうな」
麗しいお顔が意地悪そうに微笑むが、それさえも見惚れてしまう。
「荷物は、そなたのスキルにも無限収納ーインベントリーがあるようだし、ナリス様の隠しスキルに”箱庭”というのがある。これはとある場所にあるナリス様専用の家だが、許可が有れば誰でも入ることが出来る場所でな。当然、ナリス様はそなた達に許可は出している。その場所に行くにはナリス様が指定した扉のようなものが必要だが、旅の間ならば、テントの入口を指定しておけばいい。許可有る者には箱庭への入口、許可無き者にはただのテントへの入口にしかならん」
未だ声さえも聞いたことがないはずの神より身分証明書発行を求められた教皇様はさぞかし混乱されたことだろう、アルマ様はナリスのためなら惜しみなく行動する。だが、こちとら無事に国境を越えられるか否かの瀬戸際だ。下手に神の力で国境を越えてしまうと、正式な手続きをしてなかったとして後々問題になることがある。神の介入とはいえ、面倒ごとは避けるに限る。
後はセバスが王都で諸々の手続きをして、国境を越えた先の国でレイとナリスの住民登録とギルドカードの発行を行えばひとまずは安心できる。旅の間の安全地帯の確保も”箱庭”があるので問題は無い。
「セバス、俺たちは一度フォーマルハウトに入ってからレグルスに抜ける。教皇様の身分証明書があればあの国では保護対象になる」
フォーマルハウト神王国は特に神への信仰が篤い国だ。他国との国境は開いているが、国王を教皇が選ぶほどに神殿の力が強く、また、ただ権力を求めようとする者たちや凶悪な犯罪者たちなどは何故か入国出来ないという不可視の結界を持つ国。教皇になるにはこの国に入国できることが絶対条件の1つとして存在している。商売人等は不当な利益を上げようと思わなければ普通に商売は出来るし、この国にしか存在しない貴重な薬草も数多くあるため、冒険者たちの出入りも多い。罪を犯している者でも、この国を覆う不可視の結界が認めた者ならば何の問題も無い。名を上げるのは良いが、それに相応しくない者が権力を持つことを許さない国。レイやナリスが望めば一生匿い続けてくれるであろうが、それではナリスが自由に生きることが出来ない。ただの通過地点として利用させてもらうが、身分証明書を見せながら門番に一言、フォラス王国からの問い合わせが来た場合は「覚えていない」と回答してほしい、と言っておけばいいだろう。国境は多くの人が行きかう場所なので、いちいち覚えていない、そう言ってもらえれば正式に国境を通過しているかもしれないが印象に残っていない、それで済む。
「レグルスの皇都アークトゥルスにある宿屋『風の子亭』を待ち合わせの場所に致しましょう。あそこは我が一族の者が経営している宿屋ですのでいざとなれば命がけでお2人をお守りいたします。知らせは出しておきますので、どうかそこまでご無事にいらしてください。私の方は、別のルートを使いアークトゥルスまで参ります」
ナリスをアルマに預けっぱなしのまま、レイとセバスは必要最低限の物をそれぞれのインベントリに放り込み、旅の支度をして準備を整えた。このあたりは元軍人と万能執事だけあって手慣れたものだった。
「用意は出来たか?レイ、セバス、何かあれば我が名を呼び祈れ、そなた達の声は私に届くようにしておく。さて、ナリス様、しばしのお別れです。いいですか、今回みたいな無茶は禁止ですからね。ナリス様こそ何かあればすぐにおっしゃってください。いいですね」
赤ん坊にしっかり念を押して、アルマはレイにナリスを渡した。
「レイ、ナリス様を頼むぞ」
「は。我が命にかえましても」
片手でナリスを抱き、もう片方の手を握り締めて胸元に持って行き軽く頭を下げる略式の騎士の礼をする。
「では、セバス、行くぞ」
「は」
こちらはアルマに向かって45度に腰を折った。そして次の瞬間には2人の姿は森の家から消えて行った。