支える
その日、フォラスの王エリックは玉座に座り、国境を閉鎖したにも関わらず強引に突破して、なおかつ目の前に現れた隣国の皇女を迎えていた。
レグルス皇国皇女、皇妹アルテミシア。
青薔薇のような女性。
自分の妻である王妃アンネマリーも美しいがアルテミシアの美しさはまた別格だった。
レグルス皇国という大陸最大の国家の古い皇家の血が生み出し育んだ女性は、その微笑み1つで数多の男性を虜にしてきたという。同時に彼女はその剣の腕前でも知られており、姫将軍と慕う者も多い。
「ようこそ、アルテミシア姫。して、何用ですか?」
用件など決まっているがふてぶてしく聞いてみる。どうせ、自分は傀儡なのだから、という自嘲にも似た思いもある。
「まぁ、フォラスの国王殿。わたくしは我が皇国の皇帝陛下の名代として参ったのですわ。国境の突然の閉鎖はどうしてですの?また、わが国所縁の人間までも故郷に帰れないとはどういう了見でして?返答しだいでは、戦争の火種になりかねませんことよ?」
玉座に座る自分を真っ直ぐに見据えてアルテミシア敬語もなしに聞いてきた。まるで、答えなど期待していないかのようだ。
「国境の閉鎖は我が国の指針だ。国境を閉鎖している以上、他国の者が国境を抜けるのに時間がかかるのは致し方のないことだ」
「そう。時間がかかる、というだけで他国の者を不当に拘束していない、というのでしたら構いませんわ。ただし、我が皇国、及びに我が国に所縁ある国に戸籍があるものが1人でも傷つけられでもしたら、レグルス皇国としては戦争も辞さない覚悟がありますの。そのことは肝に銘じて下さいませ」
アルテミシアがにこやかに微笑みながら告げる言葉は皇帝の、ひいては皇国の意志だ。
フォラス王国はかつて皇国にいた人族至上主義が集まって出来た国。もとより皇国からの監視は厳しい。それが今回このような事態になった以上、最悪、国の滅亡にも繋がる可能性はあるのだが、王妃にとってはどうでも良い事なのだろう。表に立つのは国王などの国の重鎮だ。王妃は国が滅びようがきっとかまわない。
「……承知した」
国王としての権限などなく名ばかりの王としてはそう言う以外には言葉がなかった。
「そうそう、言い忘れましたわ。わたくしの愛する大切な方々が今、この国には滞在していますの。もしその方々に危機が訪れましたら、わたくし、たとえその場所がこの王宮内であろうともすぐに駆け付ける所存ですので、ご承知くださいませ」
「そうか。そちらも承知した」
エリックはアルテミシアの大切な方々とやらが誰だかは知らなかったが、王宮内に今現在レグルス皇国の関係者がいないと思っていたので、王都かどこかにいるのだろうと勝手に推測していた。王都内ならば別段問題はないので、むしろとっとと皇国に帰って欲しいくらいだと思っていた。まさか、張本人たちが後宮内でのんきに寝ていたり、息子と一緒に自由自在に王宮内を闊歩して調べものをしまくっているとは思ってもいなかった。
「ただいまー」
「おかえり、ナリス」
妹姫とのお茶会を終えたナリスは、自分たちに与えられた部屋に戻ってきた。本来持ち出し禁止で読むにはお偉いさんの許可がいるはずの図書室の禁書を管理人の自我がないことをいい事にエドワードと一緒に持ち出しまくっているユーリが本を読みながら出迎えてくれた。ナリスを見ると、ユーリは無言で本にしおりを挟んで置いてから、ナリスに近寄って来て急に頭をなでなでし始めた。
「え?なに?ユーリ?」
「んー、何となくこうしないとダメな気がして。ナリス、落ち込んでる?」
「……ちょっと、ね。ねぇ、ユーリ、ボクは君やエド様が好きだよ」
「うん。ぼくもナリスのこと、好きだよ。ナリスと一緒にいると面白いことにいっぱい出会えるしね。それがちょっと落ち込むことでも大丈夫。ちゃんと話そう?」
ジョアンナの状態を視て、母である王妃はますます放置していけない存在であると確信した。場合によってはまだ会ってもいない国王とて殺さなくてはならないかもしれない。そして、妹姫……。
「話して。一緒に悩もう」
「……妹姫、ダメだと思う。送らなくちゃいけない……」
「……アルマ様の許に?」
「うん」
「……エド様に嫌われるかもね」
「そうだね」
ナリスが複雑な笑顔をユーリに向けた。泣きそうな、それでいて苦虫を潰したような歪んだ笑顔だ。
「それが、ナリスが、”アルマ様の愛し子”が下した決断なんだね」
「うん。ついでに王妃も送る」
「王妃はついでなんだね。母親と妹に死を、って死神みたいな感じがする」
「もう、王様もおまけで送っちゃうけど」
「一家惨殺?殺人鬼もびっくりな愛し子様だね」
ユーリが苦笑したのでナリスもつられて小さく笑った。
「あー、もう。ボクはボクのやるべき事をやる!世の中、理不尽なことだらけなんだから、エド様に憎まれてもちゃんとやるよ」
「エド様、そんなに理解がないとは思わないけどね。でも理屈じゃないしなー」
「ユーリの妹さんをボクが送るって言ったらどうするの?」
「……んー、どうするかな。ぼくはナリスのこともよく知ってるからねー。きっと悩む、悩んで悩んで結論を出すよ。でも、それはナリスだけには背負わせないよ。一緒に背負う覚悟はあるよ」
ユーリはナリスが”アルマ様の愛し子”だと知ってからしばらくの間、色々なことを考えていた時期があった。歴代の愛し子は加護をくれた神々より何らかの使命を帯びている者ばかりだった。その使命が国の豊かさに繋がっていた者は国が全力を挙げて保護していたので比較的穏やかな人生を送っていた。だが、その使命が国と敵対することであったり、誰かにとって都合の悪いことであった場合は苦難の人生になっている者もいた。
レグルス皇国の初代皇帝カエサルも軍神レオニダスの愛し子だった。魔道王国でも有力者の家に生まれたという彼の使命は、王国から離れて新たな大地を切り開き、そこに王国に匹敵するほどの国を作りあげて王国に虐げられた者たちを保護することだった。その為に数々の戦争で先陣をきって戦うための軍神の加護だった。愛し子としてはレオニダスの加護があったが、他の多くの神々もカエサルに何らかの影響を与えていたようであった。その苦悩はナリスに見せてもらった日記に生々しく書かれており、かの日記は宰相への愚痴ばかりの日記では無かった。
苦悩が一周してシスコンになっていたが、自分を無条件で信じて支えてくれた妹が大好きだったようだ。その日記を読んで、ユーリもナリスを信じて支えようと思ったのだ。次代の皇帝として自分を支えてくれる人はたくさんいる。ナリスだってユーリを信じて支えてくれるだろう。公人として表に立つユーリと違い、ナリスが”アルマ様の愛し子”であることは秘匿された事実だ。その事実を知りかつレグルスの皇帝となる自分は、公私混同と言われようがナリスに有利になるように物事を進めていけるだろう。
日記を読みながら、自分はある意味、運が良かったのかもしれないとユーリは思った。皇帝で愛し子だったカエサルと違い、皇帝としての役割は自分が受け持ち、愛し子としての役割はナリスが受け持つ。互いに支えあう事が可能なのだ。ちょっと愛し子としてのナリスが規格外すぎるし、まさかのアルマ様の愛し子だが、こうして出会えて友人になったのだ。
「お友達は大事だね、ナリス」
「なにソレ。……ま、大事だけどね」
ユーリに話してちょっとすっきりしたナリスは、今度はちゃんと笑う事が出来たようであった。