”金の皇”
部屋の中には、規則正しい寝息しか聞こえてこない。寝台で寝ているのはレイだ。
フォラスの王妃・アンネマリーは寝ているレイの顔を優しくそっと撫でた。
「まだ、お休みください。始末がついていませんの」
元婚約者は何も答えない。だがそれでも構わない。今、ここにレイがいて自分が自由に触れ合えることが大切なのだ。もう一度、レイを撫でるとアンネマリーは部屋から外へと出た。
「アンネマリー、これからどうするつもりだ?」
部屋の外で待っていたのは夫である国王エリックだった。だが、すでにエリックに国王としての権限はない。それらは全てアンネマリーの元にある。
「国境の閉鎖はして下さいまして?」
「した。だが、すぐに各国から問い合わせがきたぞ」
「そうですわねぇ、各国の大使にはお帰りいただきましょうか。さすがにその方々を害してしまっては国を潰されてしまいますもの。でも、それ以外の方はダーメ。無理に抜けるようならば、血と魔力を提供していただきますわ」
つまりは無理に脱出しようとする者は殺せ、ということだ。
「アンネ!!」
「ああ、そうでしたわ。皇太后様が逃げようといたしましたの。ですから当然、血と魔力を提供していただきましたわ」
何でもないことのようにアンネマリーは言ったが、その言葉にエリックは戦慄した。
「母上を!?アンネ、母上を殺したのか!!」
「一応、あんな方でも魔力はそこそこ持っていらしたからそれなりに役には立ちましたわよ。はい、どうぞ」
アンネマリーがエリックに渡したのは、親指ほどの石だった。一見何の変哲もないような石だが、それが何なのか知っているエリックはその石を見て涙を流した。
「あら、あらあら。貴方でもお母様の事でそんなにお泣きになるのね。初めて知ったわ」
ころころと笑い声を立ててアンネマリーは笑った。夫婦になってすでに15年以上経っているが、夫が母親をそんなに慕っていたとは知らなかった。お互い、利害関係で成り立っている親子だと思っていた。
「貴方もちゃんとわたくしの役に立ってくださいましね」
涙を流すエリックをその場に放置してアンネマリーは王宮の奥深くへと歩いて行った。
シメオンの目の前には不機嫌そうな顔をした綺麗な顔立ちの男性がソファーに座っていた。薄い水色の髪の毛と金の瞳を持つレグルスの皇帝。ユーリによく似た面差しをしているので、ユーリは将来的にはこういう感じに育つのだろう。
「それで、猊下、私の息子はフォラスに行ってしまった、ということですね」
「はい。皇帝陛下。安全は保障いたしますよ。あの方と一緒にいれば問題はありません」
シメオンはナリスに頼まれた通りレグルスの皇帝夫婦に息子さんの誘拐事件についてお知らせに来ていた。
「はぁ。大掃除の間、オウル家に預けたのは確かにこちらだが、なぜ、誘拐されてるんだ?」
「あははは、気にしたらダメですよ。それにユーリくんは大変楽しそうにしているそうですよ。精霊たちが教えてくれました」
「精霊たち、か。ユリウスは精霊眼を持っているから精霊たちとの意思疎通も可能なのか」
「それだけではないようですよ。…精霊たちがユリウス皇子の事を久しぶりに現れた”金の子”だと言っています」
シメオンにそう告げられて、皇帝イオニアスは弾かれたように顔を上げた。
「”金の子”!?精霊たちがユリウスをそう呼んでいるのですか?」
「えぇ。数百年ぶりに現れた”金の子”だそうです。詳細はお教え出来ませんが、ユーリくんと一緒にいる方は”愛し子様”です。精霊たちは”愛し子様”と”金の子”が同時に現れた事を喜んでいます」
イオニアスは、ふう、と一呼吸すると、改めてシメオンに向き直った。
「”愛し子様”の事は、我らの守護神たる軍神レオニダス様より神託がありました。アークトゥルスに今”愛し子様”が滞在している、と。それがどこの誰だかは教えてはくれませんでしたが、ユリウスと一緒にいる少年がそうなのですね。”愛し子様”と”金の子”、いや”金の皇”が決めたことなら、我らは何も言えません。レグルス皇国としては、2人を全面的に支援するだけです。ただ、父親としては複雑でしかありませんが」
まさか息子が”金の皇”になるとは思ってもみなかった。
「一つお伺いしますが、陛下は、”金の皇”の条件はご存じでしたか?」
「いいえ。皇家に伝わっているのは、一族の血筋から”金の皇”と精霊たちから呼ばれる存在が生まれる。その時は皇家の全てを持って”金の皇”を守り支えろ、とだけ。その存在がどうやって生まれるのか、どういう条件が揃えば精霊たちからそう呼ばれるのか、などの詳しい資料は破棄されてすでにありません。ですが、資料を破棄したのは皇家の血族婚を禁止した当時の皇帝ですので、血の濃さが条件の1つではないか、とは思っていました」
ユリウスは知らなかったとはいえ従兄妹同士の間に生まれた皇家の濃い血筋の持ち主だ。兄弟の中でもただ1人、金の瞳を持っている。その金の瞳は精霊眼と呼ばれる特殊な瞳であったし、スキルや属性に関しても破格のものを持って生まれてきた。そして何より、行方知れずとなっていた初代皇帝カエサルが持所有していた”導きの剣 アストラス”の現在の所有者だ。もしかして、という気持ちは少しはあった。
「そうですか、教皇に代々密かに伝えられる書物の1つに”金の皇”の事が描かれた物が存在しています。その本によれば、”金の皇”と呼ばれる存在になるにはいくつかの条件があります。その内の1つはレグルスの金の瞳を持っている事。その瞳が精霊眼、もしくはそれ以上の瞳で精霊たちを視る事ができること。導きの剣アストラスの所有者である事。アパラージタに認められている事。一定数値以上の魔力を持っている事。代表的なところはそんなところですね。精霊たち曰く、ユリウス皇子は全てにおいて満たしているそうです」
金の瞳はレグルス皇家の血が濃い者に出やすい。皇家の血の濃さが条件の1つになっているというのはあながち間違いでもない。
「猊下、正直、”金の皇”とは何者なのでしょうか?」
「分かりません。私たちにもレグルス皇家に”金の皇”が生まれることがある、その存在を守れ、とだけしか伝えられていません。ですが、皇家も神殿も”金の皇”を排除するのではなく、守り支えろ、と伝わっているのですから、邪悪な存在ではないのでしょう。この時代には”愛し子様”もいらっしゃいます。お2人を守り支えるためにも、我らはしっかりとしないといけませんね」
「はい。ユリウスの事は承知しました。アルテミシアがすぐに後を追いましたので、その内に追いつくでしょう。皇妃には私の方から伝えておきます」
「お願いいたします」
教皇と皇帝は顔を見合わせて、子供たちについていつまでも語り合っていた。
「ナリス、もうすぐ着くんじゃない?」
シメオンとイオニアスが語り合っている中、肝心の子供たちは馬車の中にいたが、外の様子はまだこの辺りにいる精霊たちに教えてもらったりしていた。
「ようやく到着かぁー。案外長かったね。アークトゥルスからだとけっこう距離があるんだね」
イスの上に寝転がっていたナリスが起き上がり、「んん!」と言いながら腕を伸ばしたりして簡単に身体をほぐした。
精霊たちの気配はすでにない。このあたりの精霊たちの避難は完了しているようだ。大樹の翁は良い仕事をしてくれたようである。
「王宮に入れたらいいんだけど、無理ならせめて王都には入りたいね」
国境を封鎖しているせいか、ここにくるまでの間、商人や旅人、冒険者といったたぐいの人たちが街道を行きかっている気配は一切なかった。城門さえも閉ざして、人の行き来を押しとどめているようだ。
「こんな感じで閉ざしちゃったら、確実に干上がるのにどうして国境や城門の閉鎖なんてしたのかなー?」
しかも、フォラス王国は国が小さく、収穫できる海の物や山の物は少ない。国境を閉ざしたらまず住民が食料難になるのは間違いないだろう。それでも強硬したのにはそれなりの理由があるはずだ。まさか、ただの思い付きとかだったらどうしよう。意味なくやった事ならば1人でどうにかしろ、とついつい思ってしまった。
何にせよ、どうやら2人は無事にフォラス王国内に入れたようであった。