執事の主
お休みの間に勢いで出来るだけ書いていけたらいいな、と思います。
ナリスを連れた執事は、領都から少し離れた場所に広がる森の道をごとごとと馬車を操りながら進んでいた。
時折、盛大にため息を吐きながら遠い目をする。
ここは辺境伯家の領地内にある広大な森の1つ。良質な薬草なども生えているため、駆け出しの冒険者などが入口あたりはうろついているが、奥に行けば行くほど危険な魔獣の住処となっている。黒の森ほどではないが魔素の吹き溜まりもあり、何年かに1回はAランクの魔獣が出てくる。今向かっている通称「森の小屋」と呼ばれている小さな家は、そんな森の中に建てられた目印であり、避難所にもなっている家だ。冒険者たちはだいたいその家を目印にして、そこから先を危険区域と認識していた。もし強力な魔獣に出会っても、その家までたどり着ければ家の周りに張ってある魔獣除けの結界によって生き延びることができるのだ。そんな無くてはならない家に今現在住んでいる人物を思い、執事はさらにため息を吐いた。
「ただでさえ、あの方は大変だというのに、さらにナリス様を…旦那様は未だにあの方のことが憎くて仕方ないのですね」
生まれて間もないナリスに気を使いながら馬車を進めていくと、森の道がだんだんと細くなり、やがて目的地である小さな家が見えてきた。周りが少し開けてはいるが人気のない不便な場所に建っているこの家に、執事は何度も内密に訪れていた。
職業柄、それなりに腕に覚えはあるが、どちらかというと対人系の武の持ち主である執事にとって思いがけない攻撃をしてくる魔獣たちは苦手意識があったが、森に通ううちに対処法もそれなりに覚えた。この森の小屋には彼の大切な人、本来なら自分が仕えるべき主人となるはずだった方が生活をしているので、不自由はしていないか足りないものはないのか、と何かにつけて訪れては様子を見ていた。自分が行けない時は息子たちに様子を見に行かせていたりもした。息子たちには自分が魔獣の対処に少し苦労したので、若いうちから冒険者をさせて魔獣との戦闘も経験させている。馬車を停止させると、大事そうにナリスを抱き上げてコンコンっと扉を叩いた。
「誰だ?」
「セバスです。レイノルド様」
執事ーセバスの言葉にしばらくしてから扉が開いた。
中から現れたのはラグナ辺境伯と同じくらいの年齢の無精ひげを生やした男性だった。その顔色は悪く、目の下には大きな隈があるせいで病人にしか見えない。
男性に招き入れられて入った家の中は簡素な造りになっており、入ってすぐの居間には台所と机、イスがあるのみだった。奥の部屋の寝室は使っている気配があるが、客間の方は使用していないようで扉が閉まっている。本来ならこんな小さな家で暮らす方ではなく、領都や王都にある屋敷で暮らすべきはずの方。
「レイノルド様、お加減はいかがですか?」
「見ての通りだ。何も変わらん」
そう言うとレイノルドはごほごほと咳き込んだ。セバスが近づこうとするのを手で制し、机の上にあったコップで水を飲むとイスに座った。
「それで、どうした?その子は何だ?」
「ヴァル様の4番目のお子様で、ナリス様とおっしゃいます」
「ヴァルの?」
ヴァル・イエル・ラグナ、自分の弟。王都を追われ辺境に帰ってきた自分にさらに追い打ちをかけ、辺境伯の地位を奪った者。恨まなかったといえばウソになるが、もはや自分にはそんな感情を持つ気力さえ無い。弟とはまるで違うアイスブルーの瞳で赤ん坊を見て、ハァとため息を吐いた。
「ヴァルとは全く色味が違うな。疎まれたのか?」
「はい。間違いなくヴァル様と奥方様のお子様ですが、生まれた時より疎まれておりまして、目立ったスキルも称号もございませんでしたのでこちらに連れて行けと」
「属性は?」
「水と風のみだそうです」
セバスのその言葉を聞いて、レイノルドは片手で顔を覆って乾いた笑い声を上げた。
「相変わらず火属性至上主義か。王都に行けば他の属性でヴァルを圧倒する存在もいるというのにな。井の中の蛙め」
かつて火属性以外の属性でヴァル・イエル・ラグナを圧倒してみせたレイノルドは幼い頃から火属性のみに強い拘りを見せていた弟に侮蔑を含んだ声を上げた。
火属性を持ち合わせない自分をあの弟はずっと目の敵にしてきた。かつてはそんな弟に歩み寄ろうと努力もしたが、学生時代にあきらめて距離を置いてからは会話すらまともにしたことが無い。そんな弟に思うところは色々ある。だがセバスの連れている赤ん坊に弟の面影は一切無いし、自分も含めてラグナ辺境伯家にこのところ続いている金の髪色もお家芸ともいえる火属性も持ち合わせていない。
捨て子を拾った、そんな風に思えば子育ても悪くなさそうに思えた。森の中は世俗の煩わしさから解放されていて静かで良いのだが、毎日変わらぬ日常に退屈はする。何より1人でいると下らぬことを考えてしまうこともあるし、身体の不調が激しいときにはいっそう、と思ってしまう時もある。
「赤ん坊など育てたことは無いのだが」
「失礼ながら私めがお教えいたします」
元々レイノルドは優しく子供好きの青年だったので、断られることは無いだろうとは思ってはいたが、いかんせん彼をこんな場所に追いやった1人である弟の子供だ。それに今のレイノルドは身体の不調のこともある。セバスとしては、あの父親の下で育てられるよりはレイノルドに子供を育ててほしかった。あわよくば、その子が彼の生きる気力となってくれるのならばなお良いと考えたからこそ何も言わずに連れてきたのだ。
「レイノルド様、ナリス様は赤ん坊にしてはとてもおとなしいお子様です。他のお子様に比べたらとても育てやすい方だと思います」
「初心者にはちょうど良い子なのかな」
久しぶりにレイノルドの優しい笑顔を見たセバスは、やはり連れてきて良かった、と思っていた。
一方、育てやすいと評されたナリスは情報収集と称して遠慮なく神羅万象の瞳を発動させていた。
名前:レイノルド・ウォルフ・ラグナ
種族:人間
年齢:32歳
ジョブ:前ラグナ辺境伯の嫡男、前フォラス王国第3騎士団団長、魔法剣士(呪いにより封印中)
LV:82(呪いによりDOWN)→32
魔法:氷属性LV:70(呪いによりDOWN)→20、水属性LV:50(呪いによりDOWN)→10、聖属性LV:30(呪いによりDOWN)→5
スキル:(呪いにより封印中)(剣技、剣舞、武技、薬師、無限収納ーインベントリー、精霊の瞳、酒豪、薬物耐性、毒耐性、魅了耐性)
称号:(呪いにより封印中)(氷の魔法剣士、精霊の友)、奪われし者
(あれー、この人、ボクがうっかりやりそうになったことをやられてるよ。使用不可とかスキル破壊とかじゃないから、呪いをかけた術者の力が足りなかったのかな。十中八九あのおっさんだろうけどさ)
レイノルド・ウォルフ・ラグナ→前ラグナ辺境伯の嫡男で、本来ならラグナ辺境伯になるはずだった人物。その剣技と氷の魔法は他の追随を許さず、端正な顔立ちとバランスの良い身体付きから”氷の騎士”とも呼ばれ淑女の皆様に大変人気があり、22歳の時、王国最年少で騎士団の団長になった。彼には愛する4歳年下の婚約者がいたが、その婚約者を結婚の直前で当時の王太子が無理やり奪い王太子妃にした。王太子は彼の婚約者を奪うだけでは飽き足らず、彼に濡れぎぬを着せて騎士団長の地位をはく奪し王都を追放した。報復を恐れた王太子は、火属性を持たぬレイノルドがラグナ辺境伯になるのが許せず辺境伯の地位を欲しがったヴァルと手を組み、レイノルドに呪いをかけその戦闘能力さえも奪い、彼を辺境の地へと追いやった。呪いにより能力の大半を封じられ、身体も蝕まれているため常に病人のような状態で過ごしている。
本当ならナリス様の父親第一候補はこの者でしたが、ご覧の通りの状況となってしまいましたので、やむなく弟の子供に転生させました。相性的にも人間的にもこの男の方がよかったのですが…
(……ハードな人生を歩んでいらっしゃる様子だし、仕方ないんじゃないかな)
婚約者を権力者に奪われ、濡れ衣を着せられ、失意の内に実家に戻ってみれば自分を嫌っている弟に家督を乗っ取られ、挙句の果てに”呪い”をかけられているせいでだいぶ能力が封印されている。
でも生来の面倒見の良さと性格の良さは変わらないのか、憎い弟の子供でも育ててみようと決意したらしく、今も熱心にセバスから抱っこの仕方とミルクの作り方を習っている最中だ。
「違います、レイノルド様。もう少しミルクは冷ましてください。あぁ、ほら抱っこの仕方も危なっかしいです。ちゃんと支えてあげてください」
「ま、待てセバス。よし、こんな感じか」
子育てのエキスパートである執事より厳しく抱っこの仕方から叩き込まれている元王国最年少騎士団長はこのまま父親業を始めるつもりでいるようだった。
(どんだけ人が良いんだか…)
まぁ、嫌いじゃない。怪しい手つきで口に入れられた哺乳瓶からミルクをいただきつつナリスは男をじっと見つめてみた。
「どうした?そんなにじっと俺を見ても、何も面白いことはないぞ」
赤ん坊の視線にちゃんと答えてくれているし、自分を見る目は優しさに満ちている。
どっかの父親とは大違いだ。
「お、順調に飲んでくれているな。こんな感じでいいのか?セバス」
「はい、レイノルド様。飲み終えたらゲップをさせてあげてください。ナリス様はお腹を空かせていたようですね。申し訳ありませんでした。私がもっと早くに気付くべきでした。こちらに来ることを優先させてしまっていたばかりにお腹が空いていらしたことに気が付きませんでした」
「いや、セバスが早めにあの屋敷から出してくれたおかげで安心してミルクが飲めるんだ。ナリスだとて文句は言わないよ」
あのまま屋敷にいたところでまともなミルクが出てくるとは思えない。最悪、毒入りミルクでも出された日にはこんな小さな赤ん坊の命など簡単に失われてしまっていただろう。
(文句言うよー。そんな物騒なお屋敷に1人で放置しないでよ)
毒が効くか効かないかは別として、好んで毒入りミルクを飲む気は無い。
「レイノルド様、しばらくは私もこちらに滞在させていただきます。ナリス様のお世話のこともありますし、いくらおとなしい方とはいえ夜泣きなどされた場合の対処はお1人では大変でしょう」
「いいのか?屋敷はお前がいなくても大丈夫なのか?」
「心配はございません。後を譲ろうと考えて仕事を任せていた者がヴァル様にご満足いただけるようになってまいりましたので、そろそろ引退させていただこうかと思っていたところでございます」
セバスの言葉にレイノルドは苦笑した。
仕事を完璧にこなせるようになった、ではなくて、ヴァルが満足する仕事ができる執事。
「……お前のお眼鏡にかなう者は出てこなかったか」
「レイノルド様が辺境伯となられたのならば、息子たち共々お仕えするつもりでした。レイノルド様ならば一族挙げてお仕えするつもりでもおりました。ですが、ヴァル様では我が一族の者がお仕えする気はございません。ヴァル様がご満足される執事、それだけで十分でございます」
旦那様、と呼んではいるがセバスはヴァルの事を一切認めていなかった。
先代の辺境伯とてセバスは自らの主として認めていたわけではない。セバスの主足りえる存在がいなかったから、その出自を隠して繋ぎとして仕えていたに過ぎない。だからこそ、家がつぶれない程度に常識的な意見は言ったがそれ以外のことは一切言わなかった。
主が快適に過ごせるように屋敷の内外のことに気を配り、手を煩わせる事のないように情報を収集して動き、時には命がけで主を守り、間違いを犯そうとするのならば怒りを買おうとも反対意見を言う。
誰よりも主のことを理解して一番近くで仕える、だからこそセバスの、いや、セバスの一族の主判定は厳しかった。執事がその一族の者であるというだけで主人の価値が上がる、そう言われるほどに有能な一族。例え王族であろうともその基準が変わるわけではない。
だが、一族きっての執事と言われたセバスが主として認めた人物は、多くのものを失いこの地に追いやられた。レイノルドが望めばセバスはヴァルから辺境伯の地位を奪うこともできたし、その名誉も回復することもできた。ただ、レイノルドがそれを望まなかっただけで。
疲れたのだ、と主はつぶやいていた。この森に住み始めた当初のレイノルドは、放っておけば食事も満足に出来ぬほど全てを諦めていた。年月が経って少しはマシになっているが、まだその傾向は強い。セバスが未だにラグナ辺境伯家に仕えているのは、レイノルドの世話をするためとレイノルドを守るためでしかない。今回のことは良い機会なのだ。ヴァルには前々から、今の執事候補に引継ぎを終えたら引退するとは伝えてあるし、その事で何かを言われたこともない。
セバスは今度こそ、何があろうともレイノルドに仕えようと心に決めていた。
前は間に合わなかった。だからこそ、今度は傍にいたいのだ。
ーもう二度と後悔はしたくない。