庇護はいらない
ふぅ、と執務室でウル=リクは一息ついた。
本日は色々と、そう、色々とあったのだ。
まさかの皇都からの来訪者にお米どっちが美味しく炊けるか対決で負けを喫した。
お米文化の発祥であるはずの、イル族が負けたのである。だが、正直、彼の作ったお米は今まで食べたことがないくらい美味しかった。門外不出の技術だろうと思ったがダメ元で教えてくれないかと頼んでみたところ、本人はケロッと炊き方もお米の作り方も教えてくれると言う。むしろイル族が早く美味しいお米を作って流通させろとのたまった。
「全く、とんでもないお子様ですね」
執務室に戻ってからリクはすぐに影の者を放って彼らの素性を確かめようとしたのだが、それより先に皇国と神殿と正体不明の謎の影の者がほぼ同時に別々やってきて、詮索無用を告げてきた。別々のルートのはずなのだが、影同士で知り合いなのか、最初に正体不明の影の者が来た、といったら皇国と神殿の影の者が「ならばなおさら詮索無用だ」と告げた。
さすがのウル=リクも、皇国と神殿と正体不明の者たちを敵に回す気はないし、リクとしてはナリスがあれほどの量のお米の知識をどこで知ったのかが知りたかっただけだし、もし、その知識や何やらを持っている人物がナリス以外にいるのならぜひイルルヤンカシュに招きたいと思っただけだ。なにせ、ナリスという少年はどうがんばっても扱いづらい。あの子供は大人しく他人に使われるような人物ではない。支配者階級特有の空気をごく自然に纏っているし、彼に言われると逆らう気もおきない感じになる。それは一緒にいたもう一人の少年もそうなのだが、ユーリと呼ばれていた少年の方はまだ人間味があるような気がする。だが、ナリスの方はもっと違う感じがした。リクにはその感じを受けた覚えがあった。
「……イェルシ様と似た感じを受けた、ということは、彼はひょっとすると人間ではないのか…?」
世界樹のある精霊の里の番人、緑の精霊。ウル家の人間は生涯に一度、あの里に入ることが許される。そこでイェルシによって選別されるのだ。里とイル族を繋ぐ役割を果たしていけるのかどうかの選別があり、それまでどれほど無能と罵られようがイェルシの認められた場合は一瞬にしてイル族の中での立場が逆転する。リクは幸いにも真面目で通っていたのでそれほど誹謗中傷は受けなかったが、長い年月の中には立場が逆転した瞬間に横暴になった者もいた。もっともそう言った者たちは数年も経てばイェルシから不合格の烙印を押されることになった、という記録が残っているのだが。
「しばらく、ルカを傍に付けるか」
ナリスが人間で有ろうが無かろうが、そのお米の知識はイル族の欲するものだし、彼らから悪意といったものは感じない。むしろ精霊に関係のある人物ならば大事にしなければならない。
『精霊、もしくはそれに準ずるもの、その関係者を守ること』
それがこの地に住まうことを許された時にイル族が結んだ契約の一つだ。
常世の葉は精霊からの目印でもある。イェルシがそれを渡したという事は、本来ならば一族総出で彼らを庇護しなくてはいけない。
「……庇護、いりますかねぇ?」
いらなさそうだ。むしろ、こっちが被害者になりそうな感じを受ける。手を出した瞬間に10倍くらいで返って来た挙げ句に一呼吸置いてからまた報復行動を起こされかねない。
ルカを傍に付ける理由は、彼らを守るというよりは、暴走した身内を守る、という感じの方が強いだろう。変な思いに駆られて彼らにちょっかいをかけたら困るのはこちらだ。どの一族にも暴走しがちな者たちは一定数いる。そういった者たちから精霊が認めた者を守るのもウル家の役割だ。
「我らが神イル=ルカヴェラーダ様、彼らは何者なのですか?貴方様がこの地に導いたのですか…?」
問いかけに答えはない。実際、イル=ルカヴェラーダの声を聞いた者は神殿の内部にもいないのが現実だ。だが、この都市に張られた結界がイル=ルカヴェラーダの庇護を物語っている。そうでなくば、この地に住まうことなど出来なかった。
「どうか我らに加護を」
リクは合掌してイル=ルカヴェラーダに祈りを捧げた。
「ねぇ、ナリス。捕まった精霊たちは見つからないの?」
宿屋で布団の中に潜り込みながらユーリが聞いてきた。今夜の襲撃は無いと思ったのでが、一応、念のためにそれぞれの部屋に結界は張ってある。今日も色々あったので、さっさと就寝をしてしまおうと布団に潜り込んだのだが、どうにも寝付けないユーリがナリスが起きているのを確認して聞いてきたのだ。
「ま、そう簡単には見つからないでしょ。精霊たちを使って目覚めさせる我らが神って誰のことだろうね」
「この都市だと普通はイル=ルカヴェラーダ様だけど、精神を豊穣を司る神様って精霊の力っているの?」
「普通はいらないねぇ。って言うより、そもそもイル=ルカヴェラーダ様だった場合は前提が可笑しくなる」
イル=ルカヴェラーダは別に封印されているわけでも眠っているわけでもない。ただ瞑想しているだけだ、と言われている。神話からすると少なくとも一回は地上に降りているので、道筋は出来ている。後は降りたい放題だ。
「瞑想しているだけの方に精霊を使ってどうの、というのは何か可笑しい。黒ローブたちは復活って言ってたから少なくとも、一度は殺されるか封印されているかってとこだもんね」
「うん。もっと別のことだとすると、明日からこの都市の内部を調べた方がよさそうだね」
「ボクはちょっとリクさんとイル族においしいお米の作り方を伝授してくるから、調べものは任せてもいい?」
「もちろん。どんな昔の文字だろうと読んでみせるからね」
ユーリのスキル”読解”が大いに役立ちそうだった。