いまさら俺の絵を認めても、もう遅いッ!
見るからに裕福そうな格好をした人々が展示場を行きかっていた。
壁を覆い尽くすほどに展示された絵画たちを眺め、値踏みを繰り返している。だがどいつもこいつも本当の名画を見る目を持っていない。
その証拠に俺の絵を一向に見ようともしなかった。
通り過ぎる奴らは「気持ちの悪い絵ね」だとか「こんな絵は売れないな」だとか言い合いながら通り過ぎていく。
本当に……わかっていない……。いくら裕福だろうと、良い服を着ていようと、良いものを食べていようと、良い生活をしていようと、良い作品を見抜く目を持っていない……。
他人の価値観の押し付け合い。
数人が作品を評価すれば、よく考えもせずに便乗するだけ。
奴らは作品を見ているのではなく、その絵の評価観を見ているのだ……。
ここで俺の作品が認められれば、パトロンがつくのだ。
そうすれば金の心配をしなくとも、好きなだけ絵が描ける。
何としてでも、何としてでも客を取らねば。
主催者に懇願し、何とか作品を展示してもらえることになったのだから。ここまで来るのに、どれほど苦労したことか……。
俺を見くだした奴らを見返してやる機会なのだ。
俺を馬鹿にした奴らを見返してやりたい。
俺の絵を酷評した奴らを見返してやりたい……。
その気持ちを原動力に俺はここまでやってきた。
そして言うのだ、「ざまあみろ、おまえらは見る目がなかったんだ。他人が決めた評価観に流され、自分の目を持たない愚か者。今更俺を認めたところで、もう遅いッ」と。
だが……俺以外の作品には足を止めて観察するのに……俺の作品にはどうして……どうして足を止めてくれない……。あんな作品のどこがいい? あの絵より俺の絵の方が魂がこもっているではないかっ。
どうして誰も認めてくれないんだ……。
誰かに認めて欲しい。
自分がこの世界にいてもいいと認めて欲しいだけだ。
だが、誰も足を止めてくれない……。
やはり……俺には才能がないのか……。
俺より他の奴らの方が才能があるというのか……?
思えば何をやっても駄目だった……。
夢破れ、昔からの趣味だった絵を描きはじめた。
だが……やはり……この世界でも駄目なのか……。
誰も俺のことを認めてくれないのか……。
「素晴らしい絵だ」
強く目をつむり俯いていた俺に、一人の男が声をかけてきた。
白髪でシルクハットをかぶり、ステッキを持った初老の男だった。
「え? 今なんて……?」
聞き間違いだと思い俺は訊き返す。
「実に素晴らしい絵だ」
素晴らしい絵?
俺の絵が?
素晴らしい絵?
そのようなことを言ってもらったことは初めてだった……。
「本当ですか……?」
声が震えていた。
「はい、実に素晴らしい。赤と黄色の色遣いが実にいい。太陽の光が反射した川がうまく調和している」
やっと俺の作品を認めてくれる人が現れたのか……。
この日をどれだけ待っただろう……。
見ている人は見てくれている……。
ちゃんと見てくれているのだ……。
俺は泣いていた。何度も初老の紳士にお礼を言った。
「この絵を買わせてください」
「ありがとうございます……。本当にありがとうございます。俺はいつか有名になります。この絵も価値を上げます。だから、楽しみにしていてください。俺が有名になる日を楽しみにしていてください」
初老の男はやさしい微笑みを浮かべた。
「楽しみにしております。私が保証します。あなたの作品は素晴らしい。いつか必ず、あなたの絵を誰もが認める日がくるでしょう。それまでめげないでください。描き続けてください。そうすれば世界中の人があなたの作品を欲しがるようになる」
「ありがとうございます……。描き続けます。めげずに、これからも描き続けます。だから有名になるその日まで、俺の名前を憶えていてください」
この人に憶えていて欲しい。
俺の名前を――。
「俺は、フィンセント。――フィンセント・ファン・ゴッホ――」
フィンセント・ファン・ゴッホは生前一枚しか絵が売れなかったと言われています。
生前唯一売れた絵はThe Red Vineyard(赤い葡萄畑)という作品。
1890年7月27日の日曜日にゴッホは拳銃自殺を図りましたが、死にきれず友人や兄弟と二日間は会話を交わすこともできたそうです。
それから二日後の29日午前1時半に死去。
37歳の短い人生に幕を下したのです。
彼の作品が認められるのは、彼が死んでからのこと。
彼の絵は現在、億単位で取引される誰もが知る名画となりました――。