第14話「百合葉の風邪」
「あんたすごい熱があるじゃない……。お母さんはもう行くけど学校には連絡しとくから、しっかり休むのよ?」
それは、僕が寝坊したとも気付かないで唸っている内に、お母さんから掛けられた言葉だった。
朦朧とする意識の中で、僕は38度の熱があることを知らされた。うーん、かなり高い。
僕が起きて色々と準備をするのは朝六時だ。一時間もしない内にお母さんは慌ただしく出勤してしまうのが日常であり日課であったが、珍しく起きてこない僕を心配して様子を見にきたのだという。
小学校を卒業するとき、仕事面以外はだらしなく更には浮気性でもあった父親から、養育費がわりにマイホームを奪って離婚。その後は女手一つで僕を育ててくれたお母さん。そんな母の苦労を考えると、今日だって朝ご飯とお弁当は作ってあげたかったけれど、立ち上がることもままならない。深夜なんて、這うように階段を下りてトイレに向かったものだ。かなり重症なのだろう。
「ほんと……馬鹿だなぁ」
何という体たらくだろう。確かに昨日から前兆はあったけれど、こんなにも高熱を出すだなんて……。百合百合な事件続きで、不調に対して身体の感覚が鈍っていたみたい。
ああ、美少女達を一日でも早く僕に心酔させないといけないのに……。彼女らを楽しませないといけないのに……。
などと悔やんでいたら、いつの間にか、玄関の扉が閉まる音。会社へ向かったのだろう。また終電近くまで帰って来ない。ならば今日一日はゆっくり休んで、せめて今晩のご飯は用意して……あげた、い……。
ピンポーン。
ピンポーンと。
何かが鳴っている。また、
ピンポーンと。
三度目で僕の意識が覚めた。もしかしたら、もっと鳴っといたのかもしれないけれど。家のインターホンが鳴っていることに気が付いてから、行くべきか否か悩んでみるも、四回目が鳴って、これは何か重要な来客なのだろうと、僕は階段を降りる決意をした。
朝の世界がグルグル回るような頭痛は消えて、ただ身体がだるいだけ。これなら倒れるようなほどではないかな。歩けそうだ。
でも息を吐くのはつらい。頑張って声を張り上げ「はいはーい……」と、ゆったりした動作で玄関の鍵を開ける。口に出してみて初めて、これは喉風邪じゃないんだなぁと思ったり。意外と声は掠れていない。
そうして、チェーンは掛かってないまま、ドアを開けてみれば……。
「百合ちゃあぁ~んっ!」
「さ、咲姫……っ?」
飛び込んできたのはマイスウィートプリンセスの咲姫ちゃんだった。ああ~見ただけで元気が出て……ふらふらするぅ~!
「百合ちゃん大丈夫なのぉ~っ!? 先生は風邪だって言うしぃ! 全然連絡とれないしぃっ! まったく、心配したんだからぁ!!!」
「ご、ごめん……電池切れてたかも……」
ポカポカと叩かれたのち、両肩を掴まれて胸に頭を押しつけれられる。携帯なんて放置しっぱなし。昨日家に帰ってからはそのまま眠り込んでしまったのだった。制服がシワになるからと、ふらふらながら頑張ってパジャマには着替えられたけれど。
「わざわざ様子を見に来てくれたの? ありがとね、咲姫」
「そうよぉ! だって"わたし"の王子さまが居なかったら、さびしいものぉ……っ」
ぐずる咲姫の頭をよしよしと撫でる。これではどっちが病人か分からないな。しかし、羽が生えた様に重たかった身体が少し軽くなるような気分。ああ、ポカポカ温かいなぁ……あれ……? これは倒れちゃうんじゃない?
「そういえば、よく僕の家が分かったね。教えてないでしょ」
「いつも別れるのはそこの道でしょお? 曲がっていく場所は知ってるし、それですぐ近くなら探せるかなぁって!」
「ああ、確かに……」
キラキラした目で見上げる咲姫。それでも見つかるかどうか分からないのだから、大した根性だなぁと僕は感心したり。
そこでふと彼女は、じっと僕と僕の身体を見比べる。
「カエル……百合ちゃん意外とかわいいパジャマ着てるのね」
「そ、それはいいから……」
※ ※ ※
どうしてもという咲姫を、部屋に案内してひと息つく僕。やはり身体の具合は悪いものだから、彼女に許可を取って僕は横になっていた。
「プリントは助かるし、咲姫に会えて嬉しいけど、でも……大丈夫? もし風邪が移っちゃったら困るよ?」
「わたし、ぜんぜん体調くずさないのよぉ〜。ビタミンとか栄養バランスと睡眠とかの体調管理しっかりしてるからねぇ〜っ。そ、れ、に……っ!」
そして、指先をくるくるりんっと回して、
「百合ちゃんの風邪なら……移してくれても……」
恥ずかしそうにそう言うのだ。
「えっ? なんだって?」
「ううん、なんでもないわよぉ」
だが、僕がとぼけてみれば、微笑んで何事もないように。そして続けて「そういえばっ!」と彼女は話題を切り替える。
「ご飯はちゃんと食べた? その様子じゃあろくな物食べてないでしょ?」
「……。っ咲姫ちゃんママ……」
「だから! わたしはそんな歳じゃありません~っ!」
むぅっとむくれて「心配してるのにぃ……」と呟く彼女。ごめん。でも、その問い掛けはどうしてもママなのだ。嫌がるのは分かっていても、そんな彼女が可愛くて、ついつい言ってしまう。
「それでっ! ご飯は食べたのぉ!?」
ベッドの僕に詰め寄って訊ねられ、気持ち後ずさる。鳴りこそはしない、でもいつもよりへっこんだ空っぽのお腹をさする。
「そういえば、昨日の夜から何も……食べてないかな……」
「駄目じゃないそれじゃあ! 今から作って上げるから! キッチン借りるわねぇ~!」
「自由に使っても良いけど……わざわざ作ってもらうなんて悪いよ」
「だーめっ。あなたは寝てなさい?」
完全にママだった。
そうして。「お米から炊かないとねぇ~」とか、「お野菜は食べられそう?」とか色々質問したのち、具材の見え隠れしたエコバックを片手に彼女は一階へと降りていった。作る気満々だったみたいだ。恋愛とか関係なしに、僕は友だちに恵まれているなぁと心暖かく思う。




