第13話「斜陽に迫る……」
放課後。水曜日の放課後。保健室だの勧誘だの告白だので、慌ただしかったこの一日で、ようやく一人になれた僕。しかし、やはり美少女が恋しいと、とぼとぼ静かな廊下を歩く。
咲姫は家の用事。仄香と譲羽は寮の用事。そして蘭子は本日、図書委員の当番を務めているさなか……。
"とぼとぼ"とは語弊があるかな。我がクール系美少女蘭子ちゃんの居る図書室へと、ウキウキ気分で向かっているのだ――なんて、脳内一人ツッコミをしてみる。
「私は鍵当番で最後まで残らないといけないんだ。今日は仕事も多いし、本を読んで待っていてくれ」
それが、図書室に着いて蘭子に声を掛けた矢先の返事であった。僕は結局、"とぼとぼ"と図書室内をうろつく。
以前はカウンターに居る彼女と談笑出来たのだけどなぁ。どうにもタイミングが悪かったようだ。寂しく思いながら、小説の書架に目を通し、適当な物を手に取る。
んっ……? この短編集は噂に聞いたことがあるなぁ。
手に取った本に興味を持った僕はすぐ近くのテーブル席へと赴いて、噛みしめるようにその文章へと飲み込まれていった。
「百合葉。ちょっと後ろを向いてくれ」
「えっ、なに?」
近付いていたことに気付かないほど、僕は読書に集中していたのだろう。突然のことに驚き、本を開いたまま机に伏せて後ろを振り向けば、超ドアップの蘭子フェイス。今にも唇が触れ合いそうな距離だけれど、唐突過ぎて僕は口をぽっかり。唖然としてしまうだけだった。
「私だ」
「……何がしたいの?」
んんんんんーっ!? 意味分からなさ過ぎてすっごい可愛い! いやもう、キザというかナルシストというか、そんなの通り越して謎かわいい! 蘭子ちゃんは謎かわいい!
「少し時間が出来たから、百合葉に構って上げようと思ってな。目の前にこんな美人が居たら、ドキドキしないか?」
「いや、するけど……」
やばっ! 口が滑った!
「ほう……? 同性である私がこんな至近距離に居ると、心臓が高鳴るのか。それはどういう心理なのだろうね」
「あ、いや……。蘭子すごく可愛いし。……見とれちゃ、悪いかな?」
「そ、そうか」
おや……蘭子ちゃんの様子が……? このペースで続けてみよう。
「蘭子ってクールで綺麗系の美人かと思ったら、結構かわいい所あるよね」
「あ、ああ。百合葉がそう感じるのであればそうなのだろう」
目の前で頬を仄かに染める蘭子。相変わらず、可愛いと言われるのには慣れていないのだ。これは立場逆転を狙えるな。
「あーもう。蘭子かわいいなー。よしよーし」
キスする様な体勢を崩し、彼女の頭を抱き寄せ、ポンポンと撫でる。そうすれば、
「や、やめっ。やめないかっ……」
そんな僕の行動が本当に恥ずかしいようで、強く振り払ってしまった。大きくため息をついて居住まいを正す彼女。
「ふう……。そろそろ戻らないと。まだ仕事が残っているんだ。帰りまで待ってもらえるだろうか」
「うん、待ってるね」
手を振って彼女を見送る。
そのクールな背中からも、心が乱れているのがよく分かって、やっぱり可愛いなと思った。
※ ※ ※
パタンと閉じるミステリの文庫本。ああ、まさかのお嬢さまと使用人のヤンデレ百合。裏切ったと思っていた使用人が、最後の最後にはお嬢さまを想っての行動に出る……。うーん、こんな素敵な小説に手を出していなかっただなんて。僕もリサーチ不足だなぁと自分を責めつつも、その不思議な余韻に身を心をうずめていた。
そんなとき、ポンと叩かれる肩。
「百合葉。おい、百合葉」
「えっ……なに?」
「閉館だぞ?」
なんと、もうそんなに時間が経っていたんだ。
「ごめんごめん。出て待った方が良い?」
僕は立ち上がり言いながら、本を元の位置に戻す。
「鍵当番は私だから大丈夫だ」
彼女は手元を僕に見せながら。
「それと、あともう一つ、"やること"が残っていてな……。君も手伝ってもらえるか?」
続けて蘭子は図書室の奥を指差しながら僕に願い出た。その先は本棚に隠れてよく見えない。
「いいよ。そのくらい」
「ありがとう、やはり君は優しいな」
美少女の頼みなら当然、僕は承諾する。逆に、どんな頼みであったとしても、断る理由はあるのだろうか。いや無い。と、頭の中で反語してみたり。
「優しいだなんて……そのくらいお安いご用だって」
「そうか」
微笑みつつも、表情も声のトーンもどこか抑揚の無い彼女。もしやこっちが本当の素で感情が無いのでは――と思うのは流石に馬鹿らしいか。出会った当初の、表面上だけならそう考えても仕方ないかもしれないけれど、僕は彼女の可愛らしい内面まで知っているのだ。確かに最近はセクハラまでしてしまうけれど、ちょっとそそのかしてあげれば、そのクールフェイスはすぐに壊れてしまう。それがまた彼女の楽しいところ。
僕は彼女に言われた通り後に続いて、図書館の一番奥の棚へと向かう。夕普段から温かい色の木の空間が、夕日が差すことでより一層橙色を増して、ロマンチックな空間へと姿を変えている。雰囲気だけで何も考えずに飲み込まれてしまいそうだ。
「で、作業ってのは?」
辿り着いた場所は何の変哲も無い棚。奥まった場所であるため、少しだけ薄暗くなっているが、特に仕事が必要そうな点は見受けられない。本の整理だろうか。
「また、君と二人きりになれたな」
「えっ……?」
耳元でそう囁いた彼女は、僕の両手首を強く握り、身体ごと本棚に強く押さえ付けてくる。二人分の体重を受け、ミシッと軋む本棚。しかし、当然そんな簡単に揺れることはなく、ただ僕を押さえつける壁となった。
「……仕事があるのは嘘だったの?」
「そうさ。君を人目の付かない静かな所に誘導したかっただけでな」
「何を目的に……」
と自分で言って何を馬鹿な事をと思った。つい今朝方、保健室で襲われそうになったじゃないか。静謐な図書室であれば大丈夫などという保証は無いに決まっている。
「さあ。その綺麗な唇を奪わせてくれ」
「ちょ、ちょっと。蘭子……?」
突然の出来事に目を丸くする僕。自分では表情など確認できないが、恐らくそんな顔をしているのだろう。一瞬何が起こっているのか解らなく、目を見開いて彼女をただ見つめていた。
「嫌なら止めるぞ?」
「それは……」
口ごもる僕に構わず、斜陽のなか迫る彼女の顔が、次第に視界の殆どを埋めていく。もう目前に迫っている。キスを要求されている事に気付いても、拒むという考えに至れなかった。
「ほら、ちっとも嫌がってなんかいない。こんな学校じゃあ、女同士のキスなんか日常茶飯事とはいかなくとも、別におかしい事なんて何もないのさ。何が君を素直にさせないんだろうね」
何一つ変だなんて思っていない。むしろウェルカムな位なのだが、こう無理に迫られれば、朝みたいに肉体関係を求められているのでは――と、体が竦み怖くなってしまうのだ。
落ち着け、僕。怖気づいている場合ではない。今、僕は試されているけれど、彼女は咲姫と違って恋愛感情に敏いわけじゃないと思う。何せ、彼女は色々と順番を間違えているような、ちょっと恋愛感覚の抜けた子なのだ。白を切り誤魔化し通す言葉を思い浮かべて、シミュレーションを――よし。
「蘭子は……甘えたいの?」
「……はぁっ?」
見当違いな返答だからか、蘭子は呆れたように口を薄ら開けポカンとしている。力も弱まり少し距離が開いた。いける、このまま押し進めよう。
「友達同士でキスしたがる人は、甘えん坊な気がするんだ。蘭子もそうなのかなぁって」
「……さあな、分からない。キスをしたいからする――では、いけないのか?」
どうやら、欲望の赴くままに――らしい。つい驚いて動揺してしまったが、ようやくいつもの余裕も取り戻せた。あえて受け入れる姿勢を取らないと。
「なら、すれば良いじゃん。最初はびっくりしたけど、僕は嫌がらないよ?」
「嫌……がらないのか……? そうか、嫌じゃないのか……」
うわ言の様にそっと蘭子が目を伏せ呟く。聞き逃したいところだけれど、今はしっかりと拾い、言葉を返す。
「そもそも、嫌ってのはなんか酷くない? 生理的に受け付けてないみたいな。僕は余裕だよ」
「言ってくれるな……?」
「ほら。来るなら、カモンカモン」
茶化しながら誘い挑発する。明るい空気の方が後々のらりくらり冗談めかし易くなるから――という安易な考えの故にである。僕の常套手段だ。
「行くぞ……?」
「別にそんな硬くなる事ないのに。さっさと来なよー」
手首を捕えていた彼女の左手が、僕のあごを持ち上げる。
あぁ~、される立場というのも悪くないなぁー。僕のハートはもはや、バクバクどころか血が巡りすぎてギュルンギュルンな勢い。それでも胸の高鳴りを抑え彼女を急かす。
「ほらほら、はーやーくー」
「……っ」
そんな安っぽい煽り言葉に、蘭子が悔しそうに吐息を漏らす。僕の唇までちょっとの距離しか無いのに、そこで蘭子の接近は止まり、沈黙を続けている。
やがて、僕の中で緊張の糸が完全に切れてしまい――――。
「あははっ! ははははっ!」
笑い出してしまった。半分わざとであるけれど。
「何がおかしい?」
「いやぁ。強引な蘭子も、可愛い所があるんだなぁーって」
「かわ……」
あ、照れてる。目線だけが泳ぎまくりで余計に可愛い。
「こういうの、慣れてないんでしょ?」
僕も慣れてはいないし、普通の女子高生が"こういう"のに慣れているのかどうかすら知らないけれど。
しかし、自分の本心を塗り固める為に、彼女より優位な立場に身を置く。
「私は、よく……分からない」
「それでもただの"ちゅー"だよ? 別にそんな緊張する事ないって」
彼女の肩をペシペシと叩く。そんな彼女は、僕の言葉に思うところがあったのだろう。リードしようとしていた蘭子は後退りし、表情をむっと固めまま、夕紅よりも赤く頬を染めている。
「キスなんぞ、唇と唇が合わさるだけだと思っていたのにな……。こんなにも動揺するなんて……」
「別にじゃんじゃん甘えてくれたっていいのに。友だちなんだから」
一度開いた距離からまた近付いて蘭子を抱き締め、頭をポンポンと撫でる。彼女の体温が上がったのが僕にまで伝わってくる。
「君に……甘えても良いのだろうか」
「もちろん。大体の事だったら受け止めてあげるよ」
セクハラは厳しいけどね。でも今はどこかシリアスな雰囲気。ここは嘘でも大きく強がろう。
「じゃあ、甘えついでに一つ、聞いてもらえるか?」
「んっ……?」
僕に抱きしめられたまま、気合いを入れる様に「スゥーッ」と息を吸う蘭子。
どんな告白だろなぁ。誤魔化せるかなぁ――と思いつつ、無碍にする訳にはいかないので、心の準備をする。
「私はな……。最近、レズビアンだと思い始めたんだ。冗談ではなくさ」
「えっ……? ああ……」
そりゃあ、あれだけやっていればね……。もちろん気付いていたけれど、少し驚くフリ。彼女に回していた手を離し、また距離を置く。
「君はクソレズと評してくれたが、あれは場のノリでだけじゃなく、本心な気がする。百合葉に触れ合って、百合葉をセクハラして……。毎日、君と一緒に居るだけで心がザワつくんだ」
更に、ほぼ"告白"なセリフを受ける。
「だから朝みたいに身体に迫ってみたり……でも、違うよな……。考え直して、なに馬鹿をやっているんだと、恥ずかしくなる。でも、理性じゃあコントロールしきれないところもあって……。私は、どうすれば良いのだろう……」
そして可愛らしくも、純粋な迷い。
そうか、随分ぶっ飛んでいるなぁと思ったけれど、あれは迷走のひとつだったのか。嬉しい事に僕のもくろ見どおり、彼女は恋する乙女へと変貌を遂げたのだ……。愛おしくてたまらない。
しかし、まだまだ想いを受け止める時期では無い。その心を疼かせるのが僕限定である事を問い詰めれば、完璧な"告白"が成立するので控えておこう。僕らは同性愛者なのだ。しかも、百合ごっこなんて比較的多い女同士。男同士に比べて誤魔化す術はいくらでもある。
「まだ良く分からないんでしょ? いちゃいちゃして身体の関係まで行って、でもやっぱり友だちでしたっていう例もあるみたいだから。ゆっくりと、自分の気持ちを整理すると良いよ」
だから僕は、イエスでもノーでもない、曖昧な返事をした。
「私がレズビアンだったとしても、嫌いにならないでいてくれるのか?」
「当たり前でしょ? 僕を誰だと思ってんの」
そうしてヘヘンと腰に手を当てて得意げに見せてみたり。
「仄香だってあんなんだし、みんなも受け入れてくれると思う。無理に隠さないでさ。もっと素直になっちゃいなよ」
「そうか……。無理しなくとも、変に思わなくとも良いのか……」
もう既に隠してないと思うけどね。でも、彼女にはもっと頑張ってもらわないと、咲姫も本気を出してはくれないのだ。最近の彼女の嫉妬っぷりを見れば、良い刺激になっているのは一目瞭然。修羅場は嫌だけど、二人にはいがみ合ってでも、僕への想いを強めて欲しい。
「そんなに確かめたいんだったら、いつでも僕を、キスの実験台にするのも良いよ? リトマス試験紙みたいに」
だから、僕は冗談めかしつつ彼女を挑発してみるのだ。
「喩えが上手いのか下手なのか微妙だな」
僕の提案に蘭子はクスッと笑いながら返す。
「そうなんだよー。上手いこと言うの下手なんだよー。蘭子何とかしてよー」
続けざまにワザとおどけて、空気をやんわりと軽くしてゆく。シリアスのままだと彼女はどう爆弾を投下するか分からないし。
「じゃあ、私がボケをやるから、とりあえず、君がツッコミをやればいいんじゃないか?」
「いいね。でもレズジョークは勘弁だよ?」
「ははは。それはどうだろうね」
これで話はまとまったのだろうか。お馬鹿さんなことに、彼女は肝心なことをしなかった。彼女の告白は、『レズビアンかもしれない』という事だけだったのだ。
でもなんだか、嬉しい。彼女の気持ちには気付いているし半分騙しているのは分かっているけど、それでも頭がフワッとしてしまいそう。これで本当の告白まで受けていたら気持ちが羽ばたいてしまうんじゃないだろうか。思わぬところからの告白に咲姫の嫉妬。嬉しいこと続きで僕の心臓は不安定に揺れているままだ。
そうして。僕は調子の戻った蘭子から軽めのレズジョークを受けつつも、夕方の黄昏に藍色が溶け出し広がる中で、図書室を後にした。
その不調が恋の病か身体の病か分からないままで。




