第12話「憧れと恋心」
身体の気だるさと戦いながらの午前の授業はようやく終わって。緩みゆく空気の中、クラスメイトたちは早速おしゃべりしたり、弁当の包みを持ったり、教室を後にしたり。僕は僕で座学の疲れを取るために大きく伸び伸び。
「百合ちゃんっ」
そこに、左の席から立ち上がり掛けてくる声。僕のマイプリンセス、咲姫ちゃんだ。
「お昼はどうするぅ~? ここで食べる? 学食?」
いつもはみんなが集まってから決めるというのに、どうにも今日は急かされるように。うーん、タイミングが悪いな。
ちらと見れば、仄香と譲羽はまだ後片付け中だ。しかし、すぐに僕らの元へ来るだろう。そうなってからでは遅い……。
「いや、僕は用事があるし後で! 先に食べてて!」
「えっ? やぁ~んっ!」
なんて飛び出すように立ち上がって席から離れる。もちろん、例の手紙は隠し持って。
早く済ませた方がよさそうだ。
※ ※ ※
僕ら一年生のフロアは四階。その更に上には屋上へ続く階段がある。
『今日の昼休み、屋上前へ来てください』
隠れてトイレで読んだ手紙。きゅっと引き締まっていて凛々しくもどこか丸みのある可愛いらしい文字で、それだけが書いてあった。
指定されたその場所は、普段は人も寄り付かずひっそりとした、鍵の掛けられたドアの前。余りなのか誰かが持ち込んだのか、机と椅子の一セットがそこにあって。
僕が屋上へ続く踊り場に出るとき、その使われぬ席の横に、先客が見えた。荒れていた雲が晴れ、外から光が差し込むその場所で、不安そうに机に寄りかかり俯く少女。足音に気付き僕を見た彼女へ微笑みかけながら、残りの階段をぴょんと飛び越す。
「やあ、おまたせ。手紙をくれたのは君なんだよね?」
「はい。百合葉ちゃんっ。あの、来てくれて嬉しい……です!」
もじもじと、それでも元気よく言ったこの子は知っている。短く切りそろえられた後ろ髪に反して、前髪だけ両目を隠すように長い。いつも僕が教室に入って真っ先に目に入る席の子。最初は僕からだったか、会話は交わさず毎朝『おはよう』とだけ挨拶して、それが習慣化していたのだ。
「翠ちゃん……? どうしたの? 二人でお話しした事ないなぁとは思ってたから、僕も嬉しいけれど」
こんなところに呼び出しだなんて、ただならない事だろうとは分かっているけど、何にも気付いてはいない風を演じる。
僕が言うと、はひっとかあうっとか緊張しまくりで短い声ばかり漏らす彼女。可愛いなぁ。この感じならば、予想は的中だろう。ちょっと的を外れて、お友だちになってください――とかでも構わないけれど。
「きょ、今日はっ。大切なお話がありますっ!」
「……なぁに?」
小首を傾げて優しく問いかける。彼女の頬は染まっているが、目元がよく見えない。
「それはっ」
「大切なお話――の前に、翠ちゃんの目が見えないのは、残念だなぁ」
だから、その言葉を遮って、僕はおもむろに胸ポケットから長い緑色のクリップの髪留めを出して、彼女の前髪を左耳もとまで纏めて留める。
「こっちの方が、ちゃんと表情が見えて可愛いよ?」
「あっ、は、恥ずかしい……ですっ」
目が見えることで露わになった、幼さが強く残る顔立ち。小さいのにクリッとした垂れ目。パチパチと瞬く長いまつげ。より一層赤くなった彼女を見て、僕は満足する。
「で、お話って?」
そこで本題に戻る。俯いたり目をそらしたり、先ほどよりも表情がころころ変わるのが目に見えて可愛らしい。しかし、そこで意を決したのか、彼女は大きく息を吸って僕を見据える。
「実は! わたし……。あなたのことがっ!」
だが、そう彼女が言ったときだった。
響くカツンカツンという足音。彼女はビクッとして口を閉ざす。あんな音、上靴では自然に出ないというのに、明らかにわざとらしく鳴らしながら近付くその音の主。
左手で銀色のウェーブをふぁさっと、それは、龍が立て髪をたなびかせるよう。華やかなのに高圧的で、ただならぬ妖艶さを纏っている……白銀のプリンセス。
「それはいけないわねぇ」
微笑みつつ僕と向き合う彼女を視線で射抜き、その勢いに翠ちゃんは「ひっ」と後ずさる。
「"わたし"の百合ちゃんになんの用かしらぁ~?」
「花園……さん……? どうしてここに……」
「百合ちゃんが居るところなら、わたしはどこにだって行くわよぉ? わたし達の時間に割り込まないでないで欲しいんだけどぉ~?」
その、ただならぬ様相から翠ちゃんも察したのか、怯えた顔から怒りの表情へと切り替える。四畳半ほどの踊り場に三人目が加わって、翠ちゃんと視線をバチバチと交わしだす。
「そっちこそ、なんで邪魔するんです……? 貴女は百合葉ちゃんと特別な仲でもないのに!」
震えつつもキッと咲姫を睨み付ける彼女。その姿はどこか健気で、意地悪な先輩に敵対する可哀想な女の子みたい。
「なぜあなたがそんなことを決める必要があるのぉ? 百合ちゃんはわたしのモノ。それを邪魔するというのなら容赦しないわ」
そんな彼女に向ける咲姫の鋭い微笑みは、仲間内の蘭子に対するものとは全く違う、明らかに敵意を孕んだものだった。
「そ、それでも負けませんっ!」
だが、脚を震わせながら翠ちゃんは返す。
「百合葉ちゃん!」
「は、はい……?」
突然の声に情けなくも気圧される僕。
「わたしは百合葉ちゃんが好きです!」
彼女は言い切った。その純真な勢いに、さすがの咲姫もギリッと歯を鳴らす。そして、強く息を吸って何か言おうとするものだから、彼女の口元に腕を伸ばし手でその言葉を制す。真剣な瞳の翠ちゃんを見る。
「君も僕も女だけど、僕が好きなの?」
「そうです! みんなを優しくまとめあげて……いつも優しく微笑んでる……あなたが好きです! わたしの理想のヒトです!」
「僕ら、会話とかしたことないよ? 友だちになりたいだけとか、憧れているだけとか」
「憧れ……もあります! 百合葉ちゃんみたいにかっこよくなりたい……ですけど! それとは別に、表情とか、声とか、仕草とか……胸がきゅんきゅんしてしまいます!」
なんと……。その純粋な好意に僕も照れくさく、愛おしく思ってしまったり。
彼女は、邪魔な前髪をどけてしまえば、無垢な美少年みたいに小さく整った顔立ちだった。美少年みたいな女の子。つまりそれは実質美少女なのでは? 僕のハーレムに入れてしかるべき存在ではある。
しかし……。
「無駄よ」
対して咲姫は冷たく言い放つ。
「百合ちゃんはあなたを好きにはならない」
何を根拠にそんなことを言えるのか。だが、その言葉には何故か、確固たる自信を孕んでいた。
そうだ。僕の姫様がここまで嫌がるのだ。それならば、新たな火種まで請け負うのは大火傷の元だ。
僕は翠ちゃんの手をそっと握る。ビクッとするも、何かを期待するように僕を見つめる彼女。反して、微笑みなんぞ消えて、細目でねめつける咲姫。これ以上のアクションは危険だ。
「ごめんね。僕は君の気持ちには答えられない」
だから僕は、きっぱりと断りの言葉を告げた。
「そう……ですか……」
落胆する翠ちゃん。安堵する咲姫。相反する感情がここで渦巻いている。
「でも」と続けて僕は、
「友だちには、なりたいな」
笑って、その想いに返した。
掴んでいた彼女の手が、ゆっくりと握り返してくる。彼女は少し涙を浮かべながら笑って、
「は……いっ」
と答えてくれたのだった。
腕を組み足をクロスさせ、不機嫌そうに僕らを見る咲姫。連絡先を交換し終えて、再び握手しながら視線を交わす僕ら。
「じゃあ、わたし達は……友だちですっ!」
「うん。よろしくね」
だが、そこで僕の耳元にそっと口を近づける翠ちゃん。
「でも、諦めてませんから……」
そんな言葉を、咲姫を見ながら言うのだ。髪の毛を逆立てるように怒りに震える彼女。まずいっ! 咲姫が戦争を起こす前に早く撤退だ!
「そ、それじゃあ! 僕らは行くよ! 行こう! 咲姫!」
「……うん」
そんな彼女の手を掴んで、僕らは階段を駆け足で降り始める。そのとき。
「待ってください!」
後ろから引き止める声。振り向けば、真面目な顔で翠ちゃんは僕をじっと見ている。
「実は、百合葉ちゃんは花園さんと付き合ってたり……してるんですか……?」
いつかは来ると思っていた。ついに投げられた質問。あまり訊かれたくは無かったけれど。僕はその質問に、
「どうだと思う?」
秘密めかして答えた。
この返しは我ながら卑怯だとは思った。でも、これで咲姫ちゃんの機嫌も取れるはずだ。横を見れば「ふふん」と上機嫌の咲姫。わかりやすくて結構。でも、やはり彼女の気持ちも揺すぶってあげないとな。
僕は翠ちゃんへ続けて、
「僕をときめかせられるくらいのかっこいい女の子になったら……また来て欲しいな」
と、小さいウィンクてから僕ら二人は階段を下りた。ちょっとクサかったかもしれない。
「ずるいヒト」
「何が?」
「ううん。なんでも」
僕の問いに咲姫は首を振る。
「そ、れ、に、し、て、も。断って良かったのぉ?」
そんな、わざとらしく彼女は訊いてくる。断るようにし向けたのはどっちなのか。したたかな姫様である。
「僕には咲姫が居るからね」
そして蘭子も、仄香も、譲羽も……と心の中で呟く。なるほど、僕はずるいヒトだ。
だが、僕は彼女の好意になびいてしまった。断りつつも、健気に想いをぶつける彼女に希望を持たせてしまった。咲姫も当然、それを見抜いているのだろう。今後、彼女から接触してきても、咲姫が阻むに違いない。ちょっと酷だけれど、そんな咲姫の姿も見たい気もするし、怖いような気もする。だけど、今回の件が、咲姫の想いの起爆剤として役立って欲しい。
けれども……。
僕みたいにカッコ良く……かぁ。
翠ちゃんの言葉を脳内で反芻する。まだまだ全然余裕がないけど、カッコ良く見えてるのかぁ。
内心ニヤケていると、階段を下りた先で廊下の角からスッと蘭子が現れる。
「なんだ、ここに居たのか。仄香が早く食べたいとわめいているぞ?」
「先に食べてて良かったのに。まあいいや。早く行かないとっ」
彼女は何も訊いてこなかった。ホッとしながら僕は咲姫の手を引いて小走りに教室へ。
その間にふと見た蘭子の表情は、考え事をするように難しい顔をしていた。




