第74話「炭酸苦手」
自販機をあとに、ちょっときまりが悪そうな仄香。じっと手にしたジュースを見つめてる。
「なんだかこの前のお礼が返されてしまったぞよ……」
「まあまあ」
やっぱり先日の自販機同時電子マネーかざしゲームは、彼女の中ではおごったことになっていたのだろうか……。ゆずりんのお金で僕に奢ってくれたはずなんだけど。さては記憶力が弱いね? まあ、恩とか重たくは捉えなさそうだし、僕も構わないけれど。
「別に気にしなくていいよ。友だちって持ちつ持たれつ……でしょ?」
「それ知ってる! 下敷きの中にも儀礼あり! ……んんん?」
「『親しき仲にも礼儀あり』とは違うかぁ」
「あれー」
やっぱり頭は弱いみたい。そんな首を傾げるあほのかちゃんはよそに、僕は教室の扉を開ける。三人とも課題テキストに没頭していたが、咲姫は僕らに気付いたようで静かに手を振る。譲羽の集中力を削ぎたくなかったみたい。気が利く子だ。
しかし、そんな咲姫の気遣いはむなしく、唇を尖らせて首をひねる様子のゆずりん。さては問題につまったね?
ぎゅっと目をつぶって「うやぁーっ」と大きく伸びだした隙に、僕らはアイコンタクトをして、譲羽の後ろに回る。そして、脱力したところで――――。
「はい、差し入れー」
「ひゃああうっ!」
彼女のほっぺにジュースを当てれば、可愛らしい悲鳴を聞けたのでした。涙目で振り返る譲羽。そのパチクリと驚いた赤い顔もまた可愛らしく、僕はもうホックホクの大満足であります。
「ごめんごめん、そんなに驚くなんて思ってなかったよ。ユズも糖分摂取にどうかなって」
ちっともごめんとは思ってなくて、むしろ今度またやってみようかなと思ってるまであるけれど。僕は手にしたボトルを軽くかかげアピール。
お昼にあまり食べられなかったという予想通り「おおお……っ」と一度は嬉しそうにするものの、すぐにしゅんとしょぼくれてしまう。あれっ? どうしたのかな……。
「アタシ、炭酸苦手……。厚意は、受け取れ……ないノ……っ」
顔をくしゃくしゃに歪め悔しそうに。意外と表情豊かだなんて思っている場合ではない。
「ああ残念、配慮が足りなかったよ。苦手な人もいるもんねぇ」
「ごめん、ね……」
「いいよいいよ。僕が勝手にやったことだし。こっちこそごめんね」
飲めないのなら仕方がない。僕が飲もうかなと、キャップを開けたとき、仄香が「ほほうほう」と、したり顔……。何か思い付いたんだろうなぁ……。
「苦手なのー? じゃあちょっとずつ慣らそうよ! 微炭酸だし大丈夫だよー!」
「えっ? いや……」
「振ったらすごい炭酸抜けるしさっ! チャレンジ、チャレンジッ!」
あぁー。それはまずい。オチが読めすぎてしょうがない。しかし、僕たち保護者三人組は、固唾を飲んでただ見守るだけだった。いや、面白いもの見たさではなく、炭酸に慣れてもらおうとね……。
「さあさあっ」というゴリ押しに負け、しぶしぶ仄香の指示に従う譲羽。不満顔でも素直に従うところがまた可愛い。おおっと、決して笑ってはいけないぞ僕……。咲姫と蘭子も立ち上がり準備しつつ笑いをこらえるなんて、イケナイ子たちだ。
仄香に立ち上がらされた譲羽は、教室の後ろ――机のないスペースに連れられ、仄香のジェスチャーにならってシャカシャカ振り出す。仄香が頭も振れば譲羽もヘドバン……その動作は要らないと思う。
「そうっ! そんくらい振ったらもう大丈夫だからっ! ささっ、開けて飲んでみてーっ!」
「う、うん……」
ふらつきつつも、ゆっくりとボトルのフタに手をかける。皆のこらえる笑顔とは裏腹に、謎の緊張感が駆け抜ける。すぐに拭けるよう、ハンカチを手に持っておこう……と思ったら、他の三人も片手に握り締めているのであった……いや、仄香なんてぞうきんだ、いつの間にやら。みんな楽しんでいながらも、しっかりとフォローは欠かさないのであった。
僕と咲姫が顔を見合わせ、コクリと頷く。その瞬間。譲羽がプシュッと開けたかと思うと……。
「う、ウワァーッ!」
お約束通り、ボトルの口から次々と泡が溢れ出すのであった。「貸して!」と僕は噴水の如く止まらぬジュースを口で塞
ぎ、咲姫が「よしよーし」と宥めながら譲羽の手を拭く。蘭子は「君も」と言って僕の手元を拭ってくれ、仄香は「さささー」と口にしながら雑巾掛け。事前から事故が分かり切っていたため、大変手際が良いコンビネーションだった。
「あははー、ごめんごめん! でもこれで飲みやすくなったよ、飲んでみぃ? ゆーちゃん渡して」
「はいはい」
零れたジュースをハンカチで綺麗に拭き取ってもらってから、仄香に従い僕は譲羽に手渡す。ムスッと頬を膨らましていた譲羽が少々とまどいながら、受け取ったジュースを口に含む。含んで……。ハムスターみたいに頬に溜め込んでいるのか、一時停止。そしてゆっくりと喉を鳴らす。
「……うん。パチパチする、けど……飲める。オイシイ……」
「でしょでしょー! この美味しさをわかってもらえて良かったよー! 炭酸飲めないとか人生半分損するからね!」
「いや、一割だって損しないしょ……」
やれやれと。確かに炭酸があるだけでジュースの爽快感は段違いだけどね。仄香ちゃんはなんでも大げさな性格みたいだ。
しかし、そんなオーバー表現にも思うところがあるのか、譲羽は「もう一回……」と再チャレンジ。やはり頬に溜め込んでからだ。きっと炭酸をああやって弱めてるのだと思う。ある意味賢いけど、端から見たら可愛さしかないぞ?
「今後から……ちょっとずつ、倒ス。駆逐シテヤル」
「何を!?」
ゆずりんの炭酸挑戦宣言であったみたい。ともあれ前向きで良かった。
「残りはあげる」と譲羽から受け取り、僕もまた口を付ける。しかし、それをボーッと見つめる彼女。なんだろう。
「んっ? 返そうか?」
「いや……そのまま飲んでて……」
「そう?」
唇を触りながら譲羽はゆっくり元の勉強に戻る。ああ、僕との間接キスを意識してたのかな? そんなのこの前にもこの後にもたくさんあるってのに。可愛いものだ。
そうして僕らは課題の復習に。譲羽には咲姫が、仄香には僕が教えている横で、何故か所在無げな蘭子ちゃん。後ろに隠した指先でもじもじしているのがたまらなく可愛い。だけど、どうしたのだろう。
と、思っていれば、机の上のサイダーに指差し、
「こ、これ……誰のだ?」
なんて。さっきの様子見てたでしょ……。なんでテンパってるの? テンションパニックなの?
「んっ? 飲みたい? 僕と譲羽が口付けたやつだから気にしないで飲んでいいよ?」
「えっ……誰が?」
「僕と、譲羽が、口付けたやつ」
自分と勉強している譲羽に指差して。赤点組二人は必死に問題に取り組んでるようで、僕らの会話なんぞ聞こえてない様子。しかし、咲姫が静かに間違いを指差しながら、横目で蘭子を見ていた。
「そ、そうか。じゃあ、飲ませてもらおう……か」
「そんなかしこまんなくていいよー」
つんと肩を小突いてやれば、ビクッと反応する彼女の様子が新鮮で。何度も突っついてやりたいけど、ここは我慢。ゆっくりと口に運び、直前で手を止める蘭子に微笑みかける。
「どうしたの?」
「い、いや」
「飲んでいいんだよ」
僕が言うと、余計にボトルの口先へと焦点を合わせている様子の蘭子ちゃん。もしやこれは……? きっとそうだ、間違いない。"黒"と見ていいだろう。
「もしかして、間接キス……意識、しちゃった?」
彼女の耳元で色っぽく囁く。すると真っ赤になって身を震わせる彼女。あぁ~可愛い過ぎるんじゃあ~。
「いや、そんなことは……」
「ふふっ、ジョーダンだよ」
またも耳打ちし。「あ、ああ」なんて気が緩んだのか、ボトルを口元から降ろす。しかし、そこに伸びる小さな手。
「それ、アタシが……飲ムッ」
力無い蘭子の手から奪い取り頬袋をまたも膨らます。おおっ? もしかしてプチ嫉妬かな? 単に飲みたくなっただけかもしれないけど。
「そうか」
反応に遅れ残念そうな面持ちであったが、蘭子はすぐにいつものクールフェイスに戻し諦める。まあ下手に修羅場っても困るしねぇ。
ところで咲姫が口元笑いながら目が笑わないという表情で譲羽に勉強を教えていた。今回の意味、彼女にも悟られているのだろうか。小さな嫉妬は可愛いけれど、ハーレムに失敗して多角関係でぶつかり合うドロドロ展開だけは避けたいから、彼女にも要注意だ。
ともかく。譲羽と蘭子も、そして仄香も咲姫も……。僕に意識を向けているのは確実とみた。そろそろ、一つ。全員に一手打ち出してもいい頃合いかな?




