第68話「ハイチュー」
調理実習後の中途半端に残った昼休み。料理で予想以上に疲れたのか、みんなおとなしくしていた。咲姫はレポートを出しに行ってるからそもそも仕方がないけれど、そもそも、常にみんなと行動したいかと言ったらそんなことはない。友達が、好きな人が側にいる安心感と、一人の安心感は別物なのだ。こんな時にまで一緒に居ることを強要してしまったら窮屈だろうし、このくらいが丁度いいのだろう。
そんな風に独りぼっちの言い訳を頭の中で考えながら一人でトイレに行ってみれば、その帰りに仄香が。ちょっと涼もうだなんて連れられ、廊下端の小さなスペースに仄香と座りこみ並ぶことに。静かに過ごせないかもなとおもったけれどそうでも無さそうだ。
「このスペース落ち着きそうだなーって狙ってたんだぁー」
「狭いとこ好きなんだねぇ」
「そー。でも二人しか収まれないし」
「ああ、確かにそうかも」
「ゆーちゃんと、くっつくための場所だよねー」
「そうだ、ね……?」
なんて言うと、途端にニカッと僕に微笑みかける彼女。ちょっぴりドキッとする。どんなにアホの子でも、彼女は笑顔が天使のように眩しい美少女なのだ。
「あたしは慌ただしいのも好きだけど、静かにのんびりも好きなんだよねー」
「うーん、僕も好きかもなぁ。今日は忙しかったし、ひと休みしたかった」
「ええのう、ええのう」
なんて、寄り合う僕ら。彼女と二人きりというのは初めてだというのに、妙に落ち着いている。こういうのも悪くないかもしれない。
「ちょい待ってねー」
などと仄香は言いながら、手元のポーチを開ければガサゴソという音。
「ゆーちゃん、ハイチューあげるよ」
「んー。満腹だけどー?」
「口直し口直しっ。デザートは別腹だしねぇっ!」
「まあ大した量でもないか」
間もなく出てきたのは赤緑紫と、よりどりみどりなフルーツ味が揃うチューイングソフトキャンディーのファミリーパック……それお菓子入れなの? おそらく最初から皆で食べるために用意したものなのだろうけれど。お昼のおやつであった。
「何味がいーい? やっぱマスカットー?」
中をガサゴソとあさり、一通り色を目の前に揃え出す彼女。
「そうだね、マスカットかなぁ」
「わかったー。いま出すから」
そう言い小さな袋を開けた彼女は僕の顔に近付き、マスカット味のキャンディーを口にくわえ……る……っ?
「え……っ?」
「ふぁい……」
も、もしかして口移し? や、やだなぁー。こんなところで~。恥ずかしいなぁ~。でも、他の生徒からは死角で、強いて言うなら僕らのクラス入り口から覗かない限りは見えないけれど……いやいやそうでなくて。確かに食べさせ合いっことかしたけど、セクハラもさんざんされたけど。ここに来て口移しだなんて……そんな急展開が合って良いものなのか……? ちょっとズレれば、唇と唇が……。
うーん。大胆な彼女の考えが分からないような。でも、もともと百合娘だから分からなくもないというか、彼女の中での僕の好感度が不明だ。僕に恋してくれているのだろうか? 違うとしても、友だちに対してここまでする?
僕の自惚れ勘違い? じゃないよな……と、冷静に彼女を見つめる僕。
「な、何してるのかな?」
「いいひゃらーはやふー!」
とぼけて疑問をぶつけるも『早く』と急かす仄香。もし勢い余ってキスしてしまうと、今後の展開に大きく影響しかねないのだ。僕に恋心があると確定されてしまうならなおさら。この行動によって、僕がレズビアンであることの疑いが深まる……。つまりはレズポイントが溜まる……って、そんな事を考えてる場合じゃないっ!
もしや、彼女はみんなで仲良くしている中で、僕を狙っていたのかも……?
平静なんて意識の彼方へ。けたたましく鳴り響く心臓の音。だが、今は落ち着いて。焦らず考えなければ……。
「ふーん……」
誤魔化す様に適当な相づち。真剣に考えるも丁度良い打開策は降ってこない。
「は、はれ? ねーぇ?」
僕が思案している一方で、仄香がしびれを切らす。ぐっと近付かれ壁を背にのけぞる僕。目前迫ってくる彼女の、くわえたマスカットの微かな甘い匂い。
「……ぼ、僕、実はマスカット味苦手なんだよね」
「うぇっ! そんなはふはっ!」
苦し紛れに言う。本当は好きだ、それもかなり。
だが、その場しのぎに上手いこと引っかかってくれたようで「うもぉうもぉ!?」なんて訳の分からない言葉を喋っているのだった。自分で飲み込めばいいのに……。
「さー、他の味を探そー。あ、イチゴじゃん。これ好きー」
「にゃ、なにゅをぉ!?」
「仄香も食べる? イチゴ」
そういって新しく取り出したイチゴのハイチューを包みから取り出す。見せびらかすように目の前で振ってやり、焦らす様にして甘く噛む。
「ふ、ふぉぉ……!」
ギュッと顔をゆがませる仄香は余裕が無く、気が付けばマスカットのハイチューも彼女の小さな口に納まりつつあった。
もういいだろう。僕がマスカット味を嫌いだなんて嫌な嘘をつくのも終わりだ。大好きなものを嫌いと言うのは、精神的に心苦しいのだ。
「マスカットちょうだい」
なんて、ひょいと隙を見て、彼女の唇を――じゃなくてマスカットを奪う。
「んあ――ッ!!!」
叫ぶ仄香を横目に、僕はもっきゅもっきゅと噛み味わう。「うぐぐっ」と悔しがる彼女。ごめんねと言いたいところ。でも、事故であれなんであれ、僕のファーストキスはもう少し特別なものにしたいから。
「大丈夫、僕はマスカット大好きだから。ありがとね」
「そ、そうだようっ。好きなくせに。好きなくせにっ」
「あははっ、ごめんごめん」
ポカポカと叩く彼女に謝罪。おちょくった事に対してだけれども。
しかし今回の事件は中々ときめかされるものがある。だけど、こんなあっさりと攻略されるのも困るのだから。僕の百合ハーレムメンバー達には、それぞれが僕をモノにしようと一喜一憂して欲しいのだ。そんな困難が多ければ多いほど、彼女らの恋心は膨れ上がる。そのためにも、僕もまた本気で相手をしなければ。
「さってっとっ」
立ち上がり振り返った僕。ふと視線を上げると、ドアを引こうとする咲姫と目が合うも、その瞬間、無表情のまま僕から顔を逸らされたのである。
あれっ? 無視された?
暗がりで見えなかったのかもしれない。そう思い僕は座り込んだままの仄香に顔を向ける。
「咲姫も戻ってきたみたいだし、早く戻ろっ」
「う、うん……」
引き上げたか細い手。その手は温かく、脈もドクドクと伝わってくる。
でもその高揚に反して、彼女が冷めた鋭い目を向けたように見えたのは、気のせいだろうか。




