第57話「妹属性」
触れる空気は肌を冷たくなぞるようにヒリッと寒く、陽が山陰へ隠れるように傾き始めたころ。街には白くひんやりとした霧が急に濃くなってきた。夜から明け方には現れることがあるけれど、こんな時間には珍しい。
「なんか、のーむのえいきょーで電車遅れてるらしいんだけど、のーむって何?」
「大地の精霊、『ノーム』が永きに渡る封印から目を覚ましたみたい……。霧が濃いのもそのせいかも……早く契約して怒りを鎮めないと……」
「それはやばいっ! 地震も起きちゃうのっ!?」
「ノームと契約せし我、天地を揺るがす……」
なんて、譲羽は左右に揺れて『揺れ』を表現する。
「たしかにー。ゆずりんおっぱい揺れてるねー」
「――ッ!? の、のーせんきゅー……!」
「うっへぇ!」
譲羽のビンタをもろに受けた仄香。嬉しそうである。揉んではいないにしろ、なんてたくましい変態なんだ……。
待ち時間はそんなに長くなく、数刻遅れで来た電車に乗る僕ら。霧でぼやける西日に妙な幻想間を抱き眺めつつ、電車の中で三人壁に寄りかかる。
帰路に向かって回った車輪もようやく軌道に乗り出しひと呼吸。仄香はニンマリと僕らの顔を覗き込む。
「いやぁーはっはー。今日は色々楽しかったねぇー」
「色々ありすぎた気がするけどね」
「ぬぁにぃーっ? あたしと居て楽しくなかったと申すかぁ!」
「はいはい、楽しかったよ」
言いながら撫でれば「うっへっへー」と彼女。常に場をかき乱す張本人ではあるけれど、彼女が居なければここまで思い出深くはならなかっただろう。彼女を撫でる手にやんわり気持ちを込めてしまう。
「仄香ちゃんばっかりズルイ……アタシも撫でな……さいっ」
なんて。見ていた譲羽も僕に頭を差し出してくる。どちらも撫でられたがりの妹属性なのだろうか。可愛いものである。
元気いっぱいな仄香と対照的な譲羽も譲羽で、守ってあげたくなるポジションだ。ドジやらホンモノのお馬鹿やらで可愛さマックス。しかし、この関係は主人と従者? それとも飼い主とペット? 彼女を守れるのなら僕はそれでも構わないけれど、同じお馬鹿でも仄香とは違い読めない部分もある。
僕らは話しているうちにも、列車はガタンガタンと大きくも小さくも揺れて、それが完全に止まるたびに人が乗り降りし、三人の口は一時停止。僕は床で休ませていた本の山を邪魔にならないように持ち直して、また置くという繰り返し。袋の口が閉じきっていないのもあって、女の子二人が向かい合ってる表紙が丸見えだから、人目に付かないようにしたい理由がある。まったく、油断ならないシロモノを預かってしまったものだ。
ところで、この百合漫画の中には、なかなキワドイ作品もあるのだが、大丈夫なのだろうか。帰ったら二人で読もうと言っていたし。年頃の女子二人がベッドに寝転がりその危ういシーンを共に眺め……漫画のまねをしようと妹属性二人によるイチャイチャ百合百合展開が……? うーん、僕のことを忘れて二人の世界に入られでもしたら、どうも釈然としないなぁ。百合好きとしては本来ならばウェルカムであるものの。
「うわぁーっと」
「およよ……」
次の駅に着くというアナウンスが流れ列車は速度を緩め始める。僕たちは慣性によって後ろに引っ張られるが、荷物分も上乗せされなおのこと体重が二人より重い僕が彼女らを手と体で支える……彼女らが小柄なだけですし。僕は全然軽い方ですし。
「おおう、あんがとねゆーちゃん。でも、もうすぐお別れじゃ」
「お別れ……悲しみのセレナーデ……」
「そうだね」
慌ただしくもこんなにはしゃげるなんて夢のようだなと一日を回想してみる。しかし、そこで生じる疑問。
「僕はこれで居なくなるけど、二人ともこれ持てるの?」
「あっ……」
言うと、忘れてたと言わんばかりに二人が口をあんぐりと開ける。可愛いな……。
「ちっとばかしきついっかなー」
「二人で半分ずつ……」
そう言って、片方を持つ譲羽であったが、
「ぷるぷるしてるよ……」
「袋が破けちゃいそうかも……だっけっどっ!」
人差し指をチッチッチッと横に振り、キリッと眼孔を鋭くして笑う仄香。
「だいじょーぶっ! こういうときのためのタクスィーだよ!」
「お金もったいないよ?」
「ふっ、甘くみるでない。我らにはお金があるっ!」
「アルッ」
言って荷物をゆっくり置いた二人はカバンに入っていた財布から万札を取り出す。……その金遣いが逆に怖いんだけど。
「ま、まあ今回は仕方ないね」
「そうだよー。便利な物は使わなきゃっ!」
「使わなきゃ……損」
「使わな損損孫悟空!」
「う、うん……。そうかもしれない」
お嬢さま方の感覚は分からないね。でも、小柄の女の子ならその位の方がちょうど良いのかも。
「なんならまわるときもタクシーにすれば良かったねー」
「店に寄るごとに降りてはまた呼ぶんでしょ? 面倒だよ」
「しっかーしっ! それではつまらんのです! やっぱ歩きが一番!」
僕の話は全く聞かずであった。全く、自由な娘だ。
「そもそも、タクシー乗り場まで距離は歩けるの……」
「あ……そっかぁー」
やはりお馬鹿であった。
「改札まで持っていこうか?」
「のんのん! そいつは悪いからご遠慮だぜ!」
「のーせんきゅー」
チッチッチーっとまたも人差し指振る仄香に顔の前で大きくばつ印を作る譲羽。どちらもやっぱり可愛い。
「うちらの力が合わさればーどうってこと無いのを思い知らせてやるぅー」
そう言って荷物を下から抱える仄香。譲羽にアイコンタクトする。
「へいっゆずりん!」
「ほのかちゃんっ」
仄香が抱え持ち上げた荷物の持ち手を、譲羽がすかさず持って力を分散させる合わせ技。なんで通じ合ったんだろう……。
「なるほど、それなら千切れないかも」
「歩きにくいけどねー。ふへへっ、二人のっ! 初めての協同作業っ! してくるぜぃっ!」
そして百合ネタは欠かさない彼女であった。
「そっかぁ。気をつけてね」
「次会うときは……いつになるかなっ」
「悠久の刻を経て、アタシたちは星の宿命のもと、再び巡り会う……」
「おおうっ! ランデブーしちゃうー?」
「糠星の川を超えて……出会うサダメ……」
「そんなに遠くないから。すぐ明日だから」
この子らは別れの一つで変わったものだ……なんて呆れていれば丁度ドアが開く。降りるお客さんに並んで振り向く彼女ら。
「そんじゃーねー!」
「さようなら」
「うん、バイバイ」
別れの挨拶を終えて二人はホームに降り立つ。まもなくドアは閉まり、走り出す電車。そこにふと、胸の奥にスッと寂しさを感じ始めたときだった。窓の向こうでは小走りで僕に手を振り続ける二人。後ろに置かれた荷物は崩れかかっている有りさまで。
「ふふっ、可愛いんだから」
ひとり微笑み呟く僕。しみじみと、良い子たちに出会えたなと自分の運の良さを噛み締める。
咲姫と蘭子ももちろんだけど、あの子たちとはまた違う楽しさ。仄香も譲羽もおちゃらけタイプの女の子だと思う。二人のタイプは正反対だというのに。
もちろん、僕の百合ハーレムメンバーの一員になってもらうことに変わりはない。今日の様子を見れば、少なくとも友情の中でも好感触なのでは? 二人とも百合娘っぽいところがあるから拍車がかかっているのかもしれないけれど、これからもお互いの仲の良さを保ちつつ、彼女らのハートをぎゅっと掴んであげるのだ。




