第55話「カタメコイメオオメデ」
「ところでさぁ!」
セクハラしていたことなんていざ知らず。僕の胸揉み仄香ちゃんを振り払うと、彼女が大きく挙手して言う。
「へっへっへー。みんなはちゃんとお昼ご飯食べないで……来たのかなー?」
「お腹すいたけど……食ベテナイ……」
「仄香が食べるなって言ってたしねぇ。守ったけど?」
「ほほうっ! それなら良かったぞうっ!」
彼女はそのまま上げてた腕で握り拳を作る。
そう言えば、とっくにお昼の時間は過ぎているなと時計を見る僕。
「あっ、もう二時過ぎかぁ。どうりでお腹ペコペコなわけだ」
そう言うと、仄香はスタッとベンチから降りて胸を張り腰に両手を当てる。
「それじゃあ~あたしにぃ……ついてこぉいっ!」
なんて。意気揚々な仄香を先頭に僕らもまたベンチを離れて歩き出す。
数々の並ぶ繁華街の一帯。列のように商店が並ぶ。
歩いているうちに、こってり系のラーメン屋に行くということは分かったのだが、いくつもラーメン屋の前を過ぎようと、「ここじゃないよー」なんて違うものばかり。仄香なりにみんなで行きたい"特別な"場所とのことだ。
「念のためだけどさー」
横に並ぶ仄香が口を開く。
「ゆずりーん。大丈夫なんだよね? 匂いとか味とかきっついよ?」
「た、多分だいじょうぶ……」
臆するも怖いもの見たさなのか、両手を胸の前で握り、気合いを充填《おく》する譲羽。確かに彼女は胃とか弱そうだもんなぁ。だけれども……。
「なんで僕には心配してくれないの……」
「ゆーちゃんはー、なんかだいじょぶそうだなーって」
「さようでっか……」
僕は全く心配の対象外であった。もしかして女扱いされていないのだろうか。中性ボーイッシュ系を目指してるとはいえ心外である。
そうしているうちに、とんこつの濃い匂いが商店街に立ちこめているのに気付く。
「ここだっ!」
彼女が立ち止まった先。確かに、蒸気の煙がもうもうと風に揺られていて、豚骨の匂いの大元であることが分かる。
「うーっし。これから戦場じゃーっ! 行っくぞう!」
「あ、うん」
「おおー」
食べるだけで戦になるのかな……。
仄香を先頭に、赤い屋根看板の下をくぐる。「いらっしゃいませー」という店員さんの声。しかし、店内には目もくれず、すぐ横の隅へ行く彼女。
「えっ、テーブルに行くんじゃないの?」
「ここはねー、券売機があるんすよー!」
「ババーン」と指をパタパタさせてその存在を強調させてくれる。実に可愛いことこの上ない。
「さてさてー。なんにするー? 中盛り大盛り、トッピングも色々あるよー」
ボタンを指差しながら案内してくれる仄香。しかし……。
「ワカンナイ……」
「初めてだからねぇ」
首を傾げる僕ら。
「まあ、あたしも初めてなんだけどねー」
「えっ? そうなの?」
「そうそうっ。ウワサには聞いてたから、一度来てみたかったんだー」
「へぇー」
なるほど。ユズと同じ流れなワケだ。確かにオタクショップもこってりラーメンも、一人で行くのは心細いし、友だちと行くにしても相手を選んでしまうのかもしれない。
「今日わぁ。三人でぇ……は、じ、め、てぇっ。卒業しよ?」
「色っぽく言うなっ」
「うへへっ」
ペシと叩けば彼女は嬉しそうに笑う。マゾかな?
ともかく。待ち人数は居ないから急いで決める必要は無いのだけれど、いつ後ろに並ぶか分かったものではないし、どの道早く決めてしまった方が良いだろう。
「下調べとかはしたの?」
「したぜっ! だから今宵は挑み挑戦すのじゃー」
「真っ昼間だけどね」
挑み挑戦って意味が重複してるなぁ。僕は心の中でツッコみつつメニューボタンを眺める。意外と種類が多く、「どれにしようかな」と迷ってしまう。
「せっかく豚骨で有名なワケだしさっ。ふたりは、とんこつ醤油とー、とんこつ塩がー、ベストなんじゃね?」
そんな仄香はしゃべっているうちにピリ辛ネギチャーシューを買っていた。
「何よりぃ! あたしはそっちも気になるからですっ!」
「わかったよ、それでいいよ」
呆れて笑ってしまう。
変わらず自分中心な娘だけれど、このくらい可愛いもの。とことん付き合ってあげようじゃないか。
「アタシはとんこつ醤油にする……」
「じゃあ僕は塩ね」
「へいへーい。キミタチの分も買ってあげようかぁーあ? 付き合わせてるのこっちだしさー」
「いやいいよ、悪いし」
「のーせんっきゅーっ」
断る僕とゆずりん。僕のお財布にはちょっと痛いけどね……。奢ってもらいたいところだけれど、友だちに金銭面で甘えるというのはどうにも苦手なのだ。
「トッピングはどうするかなー。味付け卵の天守閣にメンマとネギの砲台を添えて、周りはコーンと海苔で石垣作って無敵要塞作るかなー」
「戦国時代? 内容くどくなりそうだね……。初めてなんだから減らしたら?」
「そうだよねー。あっ!」
言って仄香はトッピングボタンの一つを指差す。
「紅葉おろしって辛いよねぇー。人参だから甘いのかなって思ってると油断するわー」
「ほ、仄香……。紅葉卸しは人参じゃないよ……」
「えっ……。じゃあホントに紅葉使ってるの……?」
「大根なんだよなぁ……」
確かに分かりにくいものだけどね。
トッピングもそこそこに、三人が食券を手にする。簡易的な小さい印刷紙だ。そして先に進む仄香に続き、壁側に三つ空いていた席の一番奥へと向かう。
すると座って間もなく、体育会系の短め茶髪なお姉さんが注文を取りに来る。
「ご注文、承ります。味はお好みございますか?」
「えーっと……」
お好み? そんなのあるの? と、初心者とは言えリサーチ済みなはず……と、仄香を見る。
「カタメコイメオオメデ」
「なにその呪文……」
「グラビデ?」
「いいからいいからっ! 二人は普通でいいよー」
「僕は普通で」
「あ、アタシは麺少なめで、出来ます……カ?」
「出来ますよー。では少々お待ちくださーい」
店員さんは紙の食券にメモすると、立ち去ろうとする……も、
「あぁそれとっ!」
仄香が声を上げた為にもう一度振り向く。
「はい、なんでしょう?」
「椅子って、通路側に座って良いですかー?」
※ ※ ※
「全く、仄香はわがままなんだから。店員さん、笑いこらえ気味だったよ」
「すいてる間は良いんでしょー? こっちのがぁ、二人にっ! 挟まれることが出来る!」
「まあ、そうだね」
両腕で「むぎゅーっ」と潰れるジェスチャーの仄香ちゃん。可愛い。向かい合って二対一で座ることにアンバランスさを感じたのだろう。仲間外れ感あるよね。気持ちは分かる。
彼女が移動した先は四角いテーブルの通路側。つまり、僕と譲羽が向き合ってるのに対し、仄香は壁と向き合っているのである。
そして、箸を手にラーメンを向かいの壁へ向ける謎ジェスチャーを再び始める彼女。
「は……っ! あたしは壁に向かってあ~んしないといけないのかっ!」
「いや僕らでいいでしょ」
なんならその位置は僕らどっちにも"あーん"がしやすくて良い席だと思うけれど。彼女の発想はときどき突飛だ。
そんな風に思いつつも手を休めず、僕は三人分の水をつぎ、ウェットティッシュを配る。
「おおう! あんがとー! 気が利くぜぇ!」
「ありが、トウ」
「いいよいいよ」
こういう気配りも大事なのかなぁと思うから、進んでやらせてもらいたいのだ。ただ、優しい人で終わらないように気をつけたいところだけれど。女同士とはいて、良い人なんだけどねーっていう悲しい失恋は避けたい……。
「いやーすまんなぁー。付き合わせちゃって」
「来たかったんでしょ? 僕は全然大丈夫だよ」
「アタシも……いいよ」
僕らの気にしない様子を見て、「そっかそっか」と仄香。口先ばかりの言葉ではないと感じたようで、うんうんと頷く。
「有名なラーメン屋はパパに連れてって貰ったんだけどさー? この店だけ、ウワサのわりには連れてってくれなかったんだよねー。匂いがキツいから女の子はやめとけってー」
「実際、すごい匂いするもんね」
「とんこつ……」
「でもっ! あたしはラーメンをそこそこ愛する女っ!」
「そこそこかい」
「一番好きなラーメンはカップめん!」
「お店でそれ言っちゃ駄目だよっ」
「やばやば」
流石の仄香も店員さんを気にしてか、声のボリュームを下げる。
「ジョーダンはともかくっ。ゆずりんと同じくぅー? 行く機会を伺っていたのであるぅ!」
「なるほどね」
二人とも、そこそこお嬢さまっぽいからなぁ。通ってる学校もそうだし、人を誘いにくかったのかもしれない。その為の今日だとしたら、三人でというのもまた、意義深く感じる。もちろん、この先の百合ハーレムに向けて。
※ ※ ※
「うっひょおぅああぁ! すっげぇー! ハンパねぇーッ!」
『いただきます』ののち、僕と譲羽がさっそくスープを一口飲んでいる中、出されたラーメンにテンションを上げている仄香。やたらに赤くテカテカとした表面はまるでマグマのよう。
「この! 油の……量っ!」
レンゲですくいその油の層、色の濃さをアピールする彼女。
『カタメコイメオオメデ』という呪文は、麺は"固め"、味は"濃いめ"、油は"多め"、という好みを伝えたものなのだという。だけれども……。
「うわぁ……」
「一口いるぅ?」
「いや、遠慮しときます……」
見るだけで胃が火の海へと変貌を遂げそうだ。炎が吹けそう。
「じゃあ、そっちのスープ飲ませてー」
「待った!」
静止する僕。強い語調に仄香はビクッと驚く。
「あ、そういうの気にするタイプだった?」
"そういうの"とは人の口付けたものはうんたらって意味だろうか。しかしそれとは違う。もっと根本的なこと。
「それだと赤い……辛いスープがこっちに移っちゃうから……ね?」
赤みを帯びたままのレンゲを指差しながら。
「オーノーッ! 抜かったぜ!」
「少しでも辛くなるのは気になるかなぁ」
「うぅー。辛いの苦手人間かー」
「辛いの苦手人間ですー」
そう言って僕は、自分のレンゲにスープをすくい、彼女に差し出す。もちろん、こぼれても大丈夫なように器を下に構えておく。
「ほら、飲みな」
しかし、いつものようにすぐ飛びつくだろうという僕の憶測に反して食いつかない。見ると、両手で頬を包みクネクネと動き出す仄香。
「もぉう……っ。あたしとぉ、間接キスしたいならぁ、言ってくれれば? い、い、の、にぃーっ」
「あれ、飲まないの?」
「ちぇー。つれないのー」
僕が引っ込める素振りを見せると、ブーブーといじけつつスープを口にする。そんな彼女が可愛いからこそ意地悪してしまいたくなるのだ。
当然、この僕が間接キスを意識しないわけは無い。嬉しいんだよ? しかも女子校特有だからなのか、向こうからおふざけレズを展開してくれるだなんて。ハピハピハッピーこの上ない。しかし、こんなところでレズバレするわけにはいかないのだ。向こうが女同士に目覚め、そしてノーマルな僕を必死で落としに掛かるというハーレム構図にしたいのだから。
「とんこつ塩おいしいねー。塩なのにこってり? 深みがあるわー」
「味と油が強いけどね。薄め少なめにしてもらえばよかった」
「そのうち慣れるよっ。慣れるっ」
「ちょっと慣れたくないかなぁ」
彼女はわりかしラーメン通だから大丈夫なんだろうけど。普通の女子にとっては、健康が気になる一杯だ。とくにお腹周りが……。
「さーって! 次はゆずりんの番だぞぉー?」
当然の流れか、仄香は指をわしゃわしゃさせながら譲羽のスープにも目を付ける。その動きなに?
するとユズは、どんぶりを仄香の方へ寄せる。
「勝手に……飲ンデ」
「おおうっ!? ゆずりんが冷たぁい!」
「うそ。飲ませてアゲル」
そう言ってすぐにレンゲを差し出す譲羽。「な、なんだよぉ」と仄香はそれを口にする。ユズも仄香をもてあそぶようになったなぁ。
「オイシイ?」
「おいしいれすっ! なるほど、醤油もありだなー」
と、仄香は満足そうに頷く。
「ほら、百合葉ちゃん……も」
そして、続けざまに譲羽はレンゲ差し出してくれるので、前に寄りかかってくわえにいく。
「うん、ありがと」
僕が口付けると、レンゲゆっくりとななめにして彼女が飲ませてくれる。うん、確かに醤油も美味しいなぁ。もう良いよとアイコンタクトを彼女に向ける。
しかし、飲んだにも関わらず、彼女はまだぐいぐいと押しつけて、
「もっと舐メテ」
なんて言うのだ。
「う、うぇ?」
モゴモゴと疑問を発する僕。
「舐めな……サイ?」
「う、うぅ」
この体勢つらいんだけどなぁ。僕は綺麗にするようにゆっくりレンゲを舐めとる。ねっとりと……なんてのは汚いので、ささーっと。その様子を見て満足したのか、差し出した手をゆっくりと引っ込め、「ふふふっ」た妖しく笑う譲羽。
んんん? ゆずりん、見た目のわりにSっぽいよ? なんだか恍惚としてらっしゃるもん。
「こういうのも……悪くない、カモ……」
「えっ、なんだって?」
「なんでも……ナイ。気にしないで」
ゆずりんの妙な嗜好の扉が開かれたようであった。
会話を挟みながらしばらく。具材は尽きかけ、どんぶりの底もだいぶ見えかかっていた。
濃いのが合わないだけであって、味自体は美味しいのかなーっと思いながら、残り一割をゆっくり味わう。満腹も近く、箸の進みは遅くなってる。
そこで、カツンと箸を置く小さな音。見ると、向かいで「ごちそうさまでした」と手を合わせている譲羽。
「ユズはもう食べ終わったんだ」
「少なめだから……それに、たくさん食べたら太っちゃう……」
お腹周りをさする彼女。確かに彼女の肌はモチモチだからなぁ。今より太ったら大変なことになりそう。いや、今もそこまで太っているわけではないけれど。今ぐらいがちょうど良いのだ。ゆずりんもっちもっちもち。
ともかく、一足先に食べ終わってしまったとなると、暇をさせてはいけないなと、急ぎ最後の麺をすする。僕もごちそうさまだ。
だが、そんな横で、汗をウェットティッシュで拭いながら苦しそうにしている仄香。どうしたのだろう。
「やんべぇ……やっぱきついかも……」
たまに意識し忘れてしまうのですが、もし誰が喋ってるのか分かりにくいという場合は教えてください。




