第56話「展示は昼休憩」
「水滴の写真めっちゃ綺麗でしたー」
「夕暮れの教室とかねー。良かったですー」
「ありがとうございまぁ~す! 本人に伝えておきまぁ~す!」
咲姫ちゃんの元気可愛い接客で、僕は目が覚めた。ああ、マイプリンセスの立派な働きっぷり……良い……。っと、ぐうたら寝てる場合じゃなかった。
静かになる教室。いつの間にか、BGMとして美術館ばりにクラシックが流れていた。それはもしや、咲姫ちゃんお気に入りなヴィヴァルディのヴァイオリンソナタでは? でもここ写真の展示だから、ちょっと違くない?
まあそんなのどうでもいいか。
「おっと。私の眠り姫が起きたみたいだ」
「違うわよぉ蘭ちゃん。わたしの眠り王子よ~?」
「じゃあ私の眠り姫で咲姫の王子か。無事解決だな」
「解決してないわよっ。百合ちゃんが完全に起きる前に、目覚めのキスで起こさないとぉ~」
「いや、もう起ききってるけど」
僕は大きく伸びをしながら言う。二人きりなら本当にキスで目覚めて良かったんだけど、三人居る中で片方とキスだなんて、修羅場になるに違いない。今度は私、今度はわたしと……。エッチなのは嫌いだけど、キスも3P出来れば良かったのにね……。う~ん、風紀が乱れてますねっ!
「よく寝たなぁ。どのくらい寝てた?」
「三時間ほどだ。その間、百合葉の寝顔を堪能できて、私は何度トイレでこの想いを晴らそうと思ったことか」
「一回も行ってないじゃないの蘭ちゃん……」
蘭子の下ネタに咲姫ちゃんもドン引きの様子。そんな中で、蘭子は僕に近付いて臭いを嗅いでくる。
「くんかくんか……ハッ! これは百合葉の寝汗の臭いっ」
「くんかくんかするんじゃありませんっ! この変態!」
「変態も何もあるか。百合葉が濡れ濡れなままでは、風邪が悪化してしまうんだぞ……。これはペロペロして拭ききらないとっ」
「どう考えても変態だわっ! 余計悪化するわっ!」
「蘭ちゃんは相変わらず変態さんねぇ~。それじゃあわたしは普通に百合ちゃんの体を隅々まで拭く係ねぇ~。汚い菌は除菌しないとぉ~」
「おっ? どっちが変態なんだ? 咲姫が隅々まで拭くなら私は隅々まで舐めるぞ?」
「どっちにせよ変態だよっ。自分で拭いてくるよっ!」
変態度は蘭子の方が圧倒的に上だけどね。でも咲姫ちゃんとて、僕を脱がせて隅々まで拭こうというのだ。それはとても怖すぎる……ぐっ、考えると身震いが……っ。
* * *
逃げるようにトイレに行って、僕の体を汗拭きシートで拭き終わる。体をミントの香りですっきりさせて展示教室に戻ってみれば、仄香と譲羽が帰ってきていた。たこ焼きやらワッフルやらで、ビニール袋がいっぱいだ。
「いぇーい! ゆーちゃん元気になったー?」
「お陰様で。ぐっすり寝れたから、だいぶ体も楽になったよ。ベッド作ってくれてありがとね」
「それは良かった良かったー!」
仄香は軽く両腕を交互に上下させて、元気踊りーとか言って踊りだす。かわいい。
「それとー。ゆーちゃん遅れてごめんねー! おばけ屋敷とか行ってたからさー」
「おばけ屋敷、仄香ちゃん……驚き過ぎて可愛カッタ……。今度はあたしが驚かすとか意気込んで、結局また驚かされるノ……」
「あーっ! 言わないでよゆずりーん!」
「へ、へぇ。それは楽しそうだね。それで?」
何ソレ詳しく。抱きついたかどうかとか詳しく。ほのゆずしてたかどうか詳しく。
「そんでねー。メイド喫茶とか縁日とか巡ってたのー」
「仄香ちゃん、他の女の子に可愛いとか付き合ってよとか口説いテタ……。浮気……」
「じょ、ジョーダンだってそれはー! バラさないでよー」
「へぇ」
ちょっとゆずりんそれも詳しく。ある意味、ほのゆずのカップリングが出来上がっているように見える。浮ついた彼氏に詰める彼女の図だ完全に。しかし、仄香の浮気については僕はなんにも悪く言えなかった。多分僕も、学祭で気分が浮ついてたら口説いて回ると思う。それを咲姫と蘭子にチクチク嫌みを言われるのだ……。さっきの女の子はなんなのかなぁ~? とか、私というものがありながら……とか……。ああゾクゾクする……。いや僕はマゾじゃないよ? その嫉妬愛に震えてるだけで。
と思っていたら、ぐぅと僕のお腹が鳴った。
「やば。お腹ペコペコだ」
「やだぁ~。百合ちゃんったらぁ~」
「ほいほーい! じゃあすぐ食べよーよー」
咲姫ちゃんにツッコまれ少し恥ずかしかったけれど、仄香がすぐに食べ物に話を逸らしてくれた。割と空気読むんだよね、この子。
教室のドアに、展示はスペシャルお昼タイムなどというちょっと謎な文言の貼り紙を付けて。余った机を並べて僕らは仄香たちが買ってきた食べ物を並べる。カラピスやらコーラやらのボトルも並べる。それを、どこかで手に入れたのか、人数分の紙コップに注ぐ。
「ゆーちゃん何飲むー? 風邪引きさんだから、爽快美茶のがいいかなー」
「そうだなぁ。どうしよう」
仄香に言われ、僕は机の上に並べられた五百ミリのボトルを見る。全部、一人で飲み切るには多く見えるけど、みんなで分けるとなったら、不思議と飲めそうな気分だ。
僕は乾いた喉とぼんやり気の抜けた脳に何が欲しいか考える……。
「いや、フォンタオレンジがいいかなー。酸っぱいのが欲しいんだ」
「酸っぱいものが欲しい……? まさか百合葉、私の子を妊娠したのかっ」
「違うわよねぇ~百合ちゃん~? わたしの赤ちゃんよねぇ~?」
「なんで既に僕が抱かれたていになってるのかな……? ちょっ二人とも! 中指しまいなさい中指!」
そして動かして見せるのやめなさいっ! 下品でしょっ!
それに、咲姫ちゃんも中指だけで妊娠させる能力でも持ってるの……? それもう自分一人で妊娠できない? いや、蘭子もそんなの持ってるワケはないんだけどさ。
「へいへーいっ! 下ネタはいいからさー! 早く食べちゃおーよっ!」
仄香がそれぞれのコップにドリンクが注ぎ終わり、食事を催促する。僕に気を使ってくれてるのか、彼女も食べたいのか。どっちもかもしれない。
「はぁーい! それでは無事に劇もライブも終わってー? かんぱーい!」
「それって学祭が終わってからやるものじゃないの?」
「いいの! 真っ最中でも! はいっ! お腹すいた! かんぱーい!」
「かんばい……?」
仄香以外疑問に思いながら紙コップを軽くぶつけてドリンクを飲む。トゲトゲしい炭酸に柑橘の酸味がぶつかり合って、寝起きには良い刺激……。シュワシュワと糖分が体全体に染み渡る……。
「やー! たこ焼きぬるくなってるー!」
「ハッシュドポテトも……あんまりサクサクしてナイ……」
「ワッフルは冷めても美味しいわよぉ~?」
そんな風に、みんながそれぞれ食べる美味しいとか微妙とか。机の上をワチャワチャさせながら言う。
騒がしい廊下。いつも過ごしているはずの学校で、この非日常感。お祭り感。でも、どこか日常的。
ハーレムを作るなんて馬鹿げた妄想だったかもしれないけど、中学の頃まで暗かった自分が、モテようと頑張って、今、こんなにイベントを楽しめるだなんて、思いもしなかった。ハーレムを作って良かった……。
そう思うと、ちょっと涙が出そうになる。でも、そこはなんとか耐える。こんなところで泣いたらカッコ悪いもん。
「みんなありがとね。劇もバンドも、みんなが一緒じゃなかったら、ここまで楽しくならなかったよ」
「もぉ~。それも終わってから言うものでしょ~?」
「そりゃあそうなんだけどさ。僕、みんなに囲まれて、今、最高に幸せで楽しいなって。しみじみ思ったんだ。風邪だから感傷的になってるのかな。あはは」
咲姫ちゃんにトーンと肩を叩かれる。でも、僕は言いたい事をこの場で言った。
「まあねー。あたしもチョー楽しくてサイコーよっ! そーゆーのってさー。やっぱ思ったらすぐ言った方がいいよねー。ギャグだってすぐ出さないと腐るんだからねー」
「なんなの? 僕の発言はギャグと同レベルだったの?」
あははっとみんなの笑いが重なる。蘭子も笑ってる。ユズも自然な笑いをしている。
「まあ、百合葉の言うとおり、私も楽しいな」
「そう……ネ……。青春のメモリーを皆で刻んデル……。イイ」
「青春のメモリーか。言葉がクサいけど、良いな」
と、蘭子と譲羽の感性が共鳴しているところで、また僕のお腹がぐぅと鳴ってしまった。
「ああもう。良い話が台無しだよ」
「全く~。百合ちゃんは欲しがりさんなんだからぁ~。はいあ~ん、食べさせてあげるわねぇ~」
「なんだと? 百合葉にあ~んするのは私だぞ。咲姫邪魔だどけ」
「ダメよぉ~? 早いもの勝ち~。それでずっとわたしの番~」
「くっ。じゃあ意地でも振り向かせてやる。じゃあ百合葉、こっちを選べ。ハッシュドポテトも上手いぞ」
「そんな同時に食べられないよっ」
またあははっと笑い声。午前中はあんなに大慌てだったのに、学祭中なのに……。こんないつもみたいにのんびりと過ごしていいのだろうか。
でも、それもまたイベントごとなのだろう。僕はこういうひと時も大好きだったり。
忙しい中でこそ、いつもの日常が映えるのだ。




