第23話「エイトビート」
さて、咲姫はギターの練習に専念し始めたし、次に確認しに行くのは……。
咲姫と抱き合ったあと、嫉妬のじくじくと刺さる視線の先を、選ぶそぶりを見せないように考える。仄香はそれなりに叩けているみたいだが、脚のリズムがめちゃくちゃだ。一方で、蘭子は僕にカッコいい所を見ようとばかりに僕をチラチラ見ながら、遅くも丁寧な十六分の細かい指弾きをこなしている。う~ん、そういうキメがちなところ、可愛いなぁ。でもあれだけ弾けていれば、後回しにしても問題なさそう。
「仄香は何か分からないことがあった?」
「いぇーいっ! あたしも分かんない事だらけだぜー!」
ドラムの仄香だった。スティックを両手にかかげ、謎のアピール。
「くっ……」
会話が出来る程度に絞られたベース音の中で、確かに蘭子の悔しがる声が聞こえた。ごめんよぅ……と蘭子に向けて両手を重ねて謝るポーズ。しかし蘭子は拗ねたようにそっぽを向いて、また中指と人差し指で交互に弦を弾いて、ゆったりとした十六分を奏で始める。他の弦にまで移動してるし、なんだか曲っぽく仕上がってるし……。あれなら大丈夫そうだなぁ。むしろ何を教えればいいんだろ。
それよりもっ。今は仄香だ。彼女のドラムに足りない所を見定めなければ。
「仄香は何が難しいの? 僕に理解できる事ならいいけどなぁ」
「うーんとねー。腕で叩きながら脚って難しいんだよー」
「そうなのヨネー。この感覚をアタシはどう伝えたら良いのか、中々ムズくてー」
僕と仄香が首を傾げていると、律華ちゃんも同じように首を傾げる。なるほどなぁ、それは難しそうな難題だ。ドラムの難しさと言ったら、端から見ても、両手両足が自由に動くことに見えるだろう。でも僕は、ドラム上達のための道筋は、理屈だけなら理解できているはず……。
「まずは右手だけでエイトビートを刻む事じゃないかなぁ。仄香の手はせわしないから、まずはゆっくり、ツンツンタンツンツンツンタンツンってね」
「えぇー。そんなまどろっこしい事はしてらんないよー。こうでしょ!」
言って仄香は、ツンタンツンタンと右手両手右手両手とビートを刻む。
「アタシもエイトビートを教えようとしたんだけどネー。それフォービートなのよー。まっ、楽しそうでいいけどっ。ドラムは楽しんでナンボよねーっ」
「そうっ! 速さこそ正義でしょっ!」
「そんな暴走族みたいな……」
上で結んだ金色の前髪をゆるーりゆらーり揺らす律華ちゃんの言葉に調子づく仄香。僕は彼女をツッコミ叩こうとしたら、ドラム椅子に座っているにも関わらずかわされてしまった。叩きながらなのに、体幹がしっかりしてるな……っ。
ん……っ? でもそれってすごいことなんじゃない?
「仄香。今どうやってかわしたの?」
「へっ? そりゃあ適当よー」
「適当なわけあるかいっ」
なんて、もう一回叩こうとしたら、またかわされてしまった。両手はツンタンツンタンとフォービートを叩いてるのに。なんだかすごいなぁ。
「律華ちゃん? ドラム叩きながらツッコミをかわしたりって出来るの?」
問い掛けると律華ちゃんは、人差し指を唇に当てて考えるポーズ。
「んー? 変な質問ねー。なんだろ、初心者はムズいんじゃないのかしらー。そもそもまず、初めたてだってのに喋りながら叩けるのがすごいし、かわすのだって、体が動いても重心が乱れないってわけだしねー? 体がブレない程度にお尻が椅子に重力を掛けてる証拠! 素人の動きじゃないわよねー」
「へへー。あたしのプリティーなお尻をそんなに褒めるんじゃないよー。恥ずかしいじゃーん」
「本当にすごいって話をしてるんだからね?」
律華ちゃんの説明で、クネクネ動いて恥ずかしがる仄香。でもやっぱり手はフォービート。なんなんだこの子は……。
「とにかくさ。仄香は体幹がしっかりしてるし、手もフォービートなら慣れてそうだよね。律華ちゃん、仄香の両腕を掴んでエイトビートを刻ませてあげれる?」
「あーいいわよー。こんな感ジー?」
僕が言って、律華ちゃんは仄香の背中にピッタリくっついて、両腕を掴み、そして、ツンツンタンツンツンツンタンツンとゆっくり叩かせる。
「おおー。これがエイトビート……りっちゃーん、おっぱい無いねー」
「う、うるさいわよっ!」
「うわぁーっとぅ!」
仄香がセクハラ発言するものだから、律華ちゃんの腕はゴム製のクラッシュシンバルの方向に。仄香が握るスティックがゴムの打撃音を出すと共に電子ドラムのシャーンと音が響く。
「ま、まあ? こんな感じに怒りをぶつけても良いわよ? 力任せにならない範囲でネー? 普通のエイトビートなら……口で言うとね、シャーンタンツンツンツンタンツンっと、ずっとループするみたいに続ける練習が良いワっ」
「ほほうほう。分かったぞよー? こうかっ! シャーンタンツンツンツンタンツン!」
「仄香すごいねっ! 出来てるじゃん!」
「合ってる合ってる! やれば出来るじゃないの!」
「いぇーいっ! シャーンタンツンツンツンタンツン!」
と、思わぬところで、クラッシュシンバルの打ち方練習になった。すぐ覚えるあたり、ちゃんと教えればすくすく伸びそうな子だ。直感力が高いのだろうか。
「良い感じだね。全然リズムがぶれてないのがすごいよ。ちょっびり速くなりがちだけどね」
「仄香ちゃーん? もっと落ち着いて叩けるようにしとかないと、あとで苦労するわよー? ゆっくりが理解出来れば、後は指先が追いつくかどうかなんだからー」
僕が半分呆れつつ笑うと、律華ちゃんから指導が入る。そして仄香は抗議のためか、唇を尖らす。
「そうなのー? だって速く叩ければなんでも出来るでしょー? 大は小を得んとすればなんとかだよっ!」
「それを言うなら大は小を兼ねる……か、将を射んとすればまず馬を射よ、のどっちかだね。たぶん前半だろうけど」
「駄目よー? 仄ちゃーん。楽器はむしろその逆! 練習の時はゆっくりのリズムで出来ない事は、速くなっても出来ない! 速く綺麗に叩けるドラマーは、だいたいゆっくりから始めてるのよっ!」
「はぇーなるほどなぁ……名言だなぁ……」
「そうだね……。ギターにも言える事だし、心に刻んでおくよ」
その気迫に押されるみたいに、僕らは上半身だけで後ずさる。けど、なかなか良い事が聴けたものだ。慣れないうちは、速さが上手さだと勘違いするけど、練習は絶対にゆっくりを安定させられるようになっていってみたいな。数学で言えば、シンプルな問題からゆっくりしっかり解くみたいな? 全てに言える事だと思う。
「それでさ、仄香はエイトビートを刻めるようになったみたいだから、それに合わせる脚の踏むタイミングも、仄香の脚を掴んで教えてもらえるかな」
僕が律華ちゃんに提案すると、仄香は「えぇーと」唇を横一線に伸ばす。
「うわー、ゆーちゃんがセクハラ強要してるー」
「せ、セクハラじゃないわよっ! そもそもアタシの好きな子は別に……」
「別に……? 何かなぁー?」
「な、なんでもないわよっ!」
「好きな子が居るんだねぇー? 好きな『子』ってこと、おおむね女子だねー? 誰だろー。ギタボの唄佳ちゃんかなー」
「そ、そんなワケ無いでしょっ!? ホラホラ! 脚の練習もするわよっ!」
だなんて、仄香のツッコミで、律華ちゃんもレズ疑惑が深まった。なるほど、相手は唄佳ちゃんかぁ。普通に女の子同士の恋愛が入り乱れているなんてすごいなぁこの部活は。レズ率高いんじゃない?
僕らも人のことは言えないけどね。でも、同志がいっぱいで嬉しいなぁ。
「ほらほら。さっきみたいに、頭にクラッシュシンバル入れて! エイトビートを刻むのよっ!」
「へいへーい。突然スパルタになったなぁー。何が原因かなぁー。やっぱり好きな子ってのは……」
「さっさとやるっ!」
「うぇー」




