第11話「百合葉の家事情」
夕飯のお皿洗いを終えて、手荒れ防止のゴム手袋を干しエプロンを脱いで掛ける。食器の片づけ終わった食卓テーブルでは、母がスマホでずっと連絡を取っていたようだけれど、僕がイスに付こうとするのを見ると、スマホ画面を閉じて僕の目を見る。
「それで、話って?」
優しく微笑みつつ問いかける彼女。僕は頭の中で立てたシミュレーションをもう一回おさらい。そうして深呼吸して、声を出す心の準備を。
「ギター買いたいから……前借りで二万円を貸して! お願いっ! お母さん!」
「ギター? 二万円……そうねぇ……」
僕は夕食後、食卓に向かい合った母にお小遣いとお年玉の前借りをお願いしていた。本当はお年玉残りの二万円自体が手元にあるんだけど、いざという時の為に取っておきたいのだ。美少女たちとの食事代やら宿泊代やら、飛んでいく要素はあるのだから。
「アンタ、お年玉はどうしたの? 取っておくって言ってたじゃないの?」
案の定の質問だ。でも、しっかりと返す言葉は決まってる。
「夏はいろいろと出費がひどくてさ……。でも、今はギターがどうしても欲しいんだ。お願いっ!」
「珍しく突然ねぇ……。百合葉ちゃん、いつもはもっと計画的じゃない?」
困ったように首を傾げ考えるお母さん。雑誌編集部で記事を書いているバリバリのキャリアウーマンだから、そこまで稼ぎが薄いわけじゃ無さそうだけど、流石に女手一つで育ててくれている人に、お金を要求するのはちょっと気が引ける……。
「でも、みんなでバンドやりたいんだっ。お願いだからっ!」
「まあまあ、ちょっと待ちなさいな。今少しの間だから考えさせて」
と、また手を顎に当てて考えるポーズ。流石は僕の母親だから……と言っていいのか。顔の骨格がしっかりと残っていて、考えるポーズが様になる見映えの良い人だ。目元だけは僕と違ってくっきり二重だけれど、その目も相手を見据える時の力がビシビシと伝わって、自由気まま気味な母親の、不思議な説得力を増すパーツだ。
僕もその力強い目が欲しかったけれど、上品ながらも女タラシなお父さんの奥二重が遺伝されたみたいだ。だから、あまり好きではない遺伝にしろ、僕の目は百合ハーレムに必用な物だったと言えるのかも。僕も女タラシと言えば女タラシだし。ただ、もう相手は決めてるし、僕を愛してくれる分以上に、幸せにしたいと思っている。
と、その百合ハーレムに必用なギターの話だ今は。この前に地震があっただけに……この幸せな生活はいつまでも続かないのだと思うからこそ、なおさら今、楽しめる事に全力で向き合っていきたい……。
がむしゃらなバンド練習、仲間たちとの呼吸が合わなくて苦労するも、無事に学校祭を大盛り上がりさせるバンド演奏を完成させる……。その合間合間にいつものイチャイチャ百合。すごく、そういうのまさに青春百合じゃないか。だから、僕の楽しみの為と言ったらおこがましいれけど、そういう時には母の力も借りたい……。
母はまだ考えている。そりゃあそうだろう。そんなホイホイと僕にお金を渡して良いのかと考えるのは、大人として当然だ。僕が親の立場になっても、しっかりと考えると思う。昔はもっとお小遣いをって思ったけど、この歳にもなってくると、甘やかさない気持ちも分かってくる。
もし、自分の子どもに無闇にお金を与えて、金遣いがダラしなく育ってしまったら、あとあと苦労するに違いない。だから、多少厳しい方が、僕としても安心する……いやいや、僕はマゾじゃなくてね?
でも、そういうしっかりとした母親の背を見てきたがら、僕も高校生ながらしっかりと育つことが出来たのかもしれない。自惚れかもしれないけれど、お母さんの教育のお陰なんだ。
「お嬢様学校に行くのに、学費の免除は必用なのよ? その辺りの勉強は大丈夫なのかしら?」
「大丈夫。1ヶ月分は先まで予習してるから、少しサボってもすぐ追いつけるようにしてある。それに、しっかりとした予習と授業とその後の復習。苦手な所は隙間時間に覚え直して、小テストもしっかりやって、定期テスト勉強も手を抜いてない。これから先忙しくなっても、勉強を最低五回はやるっていう手順は変わらないから、そうそう成績は落ちることは無いと思う」
「なかなか自信満々じゃないの? それは効率が良い勉強法ってやつ?」
首をかしげて聴く母。僕が高校入試勉強の頃の絶賛論理屋中二病時期に、わざと伊達メガネをくいとあげ、『効率が良い勉強法を~』と模索しながら成績を伸ばしていったのを思い出しているのだろう。ちょっと恥ずかしいけれど、でもそういう背伸びした時期を踏まえて今の僕がある。クサい中二病時期も捨てたものじゃない……『僕の才は常に先を見据えるのだ』とか言ってた気がするし、恥ずかしいけれどね。
「そうさ。僕だってそんなに勉強出来なかった所からお嬢様学校の主席で入ったからね……。この僕の勉強法には自信があるよ」
「へぇ……。じゃあ、ギターとやらを買っても、ちゃんと勉強しながら練習するのね?」
痛い所を突かれた。確かにそこは不安なところだ。そこまで偏差値の高くないお嬢様学校とて、主席で居続けるのはかなりハードなスケジュールになる。隙間時間はとにかく勉強だろう。それに、ギターとしかもボーカルを同時に練習するだなんて、大変に違いない。
「もちろん。みんなで楽しい学校生活にしたいんだ。そのためには、勉強も手は抜けないし、ちゃんとギターも弾けないと、全力で楽しめないから」
「なるほどねぇ……」
母はまた考えるポーズ。感触は悪くないけれど、もう言いたい事は言い切った……。これでもダメなら、僕の苦手な感情に訴えるという手に出ないといけないけれど……どうだっ?
「う~ん、まっ。そこまで言うならいいわよ。アンタに限って、買ってすぐ飽きるなんて事は無いだろうし。はい、二万円。大事に使いなさいよ」
なんとっ! 母は側にあった財布から二枚の煌びやかなお札を取り出し、僕の目の前にっ!
「ありがとうお母さん! 分かってもらえて嬉しい! 大好きだよっ!」
僕は輝いて見える受け取りつつ、母の少し皺の増えた手を撫でる。
「そうやって調子の良い事を言わないの……。ただでさえアンタはあの人に似てるんだから……」
「やっぱり、僕の目元ってお父さんに似てるの?」
僕は二万円を大事に仕舞いつつ問う。それで母に嫌な気持ちを与えているのなら、僕としてなんだか嫌な感じだ。同じような立場となっても、結婚しても女にダラしない男というのは、どうにも毛嫌いしてしまう。
「そうねぇ。最初はそれなりに好きだったし、アナタがわたしとあの人に似てるのも嬉しかった。ああ、アナタの事は今でもしっかり愛してるわよ? でも、あの人は遊び人でねぇ……。見た目はしっかりしてるから、みんな騙されるのよ。だから、わたしも騙すようにあの人を騙して切り捨てた。わたし一人でアナタを育てる自信もあったし。家事を手伝ってもらってるし、アナタには苦労させてるけれど、百合葉ちゃんも、お父さんの事そんなに好きじゃなかったでしょ?」
「そうだね……。男という在り方を擁護するばかりで、女の事なんか考えてくれやしない。でも褒め上手で口先は軽くて……。少し、軽蔑する」
「そういう所あったのよねぇ……。欲望に忠実というか、なんというか……。自分の目でしか物事を見れない。でも、なまじ優秀でモテるから、そういう欠点が端からは見えないのよ」
「そっかぁ。僕はお父さんが居なくても、お母さんが居てくれるから幸せだよ? いつもありがとう」
「そう言う所もっ……。う~ん、百合葉ちゃんだがら可愛く見えて許せるわ……。うん、ママもアナタが娘で本当に良かったわ。でも、アナタも大変だと思うけれど、後悔だけはしないように、精いっぱい楽しんどくのよ?」
「うん。全力で楽しむからさ。学校祭には見に来てね?」
「分かったわ。スケジュール空けるようにする」
「約束だからね?」
そう言って、お母さんと指切りげんまん。何歳以来だろうか。そんな気恥ずかしい事なのに、自然とすんなりと小指を出させてくれて。これが青春パワーなのかな。バンドを提案してくれた仄香には感謝だ。
僕ひとりじゃあ、こんなわくわくするイベントを起こせないから。




