第32話「申請完了」
放課後の喧騒が鳴り響く。
それは部活動であったり、どこかで残っている生徒の談笑であったり。それぞれが幾重にも反響して、誰もいない廊下の静けさを奪っていた。
その中を一人、歩く僕。
おそらく大丈夫だ。なのに、大きな不安こそないはずなのに……それでも胸がざわついてしまう。そんな落ち着かない感覚に身を埋めている。
やがて間もなく辿り着いた目的地。コンコンと、どんなときでも威圧感が重たくのしかかるようなドアを叩く。職員室の扉だ。
「失礼します」
ガラッと開けてから一言挨拶。僕の声を聞いてか、ドア近くの席に座る担任が、クルッと椅子を回転させて僕に向き直る。厳粛な雰囲気のわりに気さくな相手だと知った今でも、教師と一対一というのはやはり緊張するものだ。
「やあ、藤咲。部活動の件かね?」
「はい。五人集めました」
「おお、そうか。でかしたぞ」
機械のように淡白な事実を述べると、期待通りとも言う表情で、しかニカッと彼女は笑う。
その笑いは、生徒の願いを叶えてやる――というよりは、自分の子どもの成長を見届ける母親のような柔らかさのようで。その一瞬で、不思議と心の重たさは拭い去られてしまった。
「やはり、写真部ができることは先生にとっても嬉しいことなのでしょうか?」
この人にも思うところがあるのだろうか――と、落ち着きほぐれた心が興味を抱いていた。気になり訊ねてみれば、はははと平手を横に振る先生。
「ああ、まあ……。つい嬉しくてね……。確かに君からの設立願いではあるが、心の底で待ち望んでいたのだよ」
「再設立を?」
「そうだともさ。そりゃあ、入学式や学校祭など、イベント毎にカメラマンは居るが、この学校の日々を映し出してくれる人間は居ないからな」
先生はそう言うと、手振りとアイコンタクトで部活動申請用紙を差し出すように促す。無言のまま受け取るとその部員一覧を眺め、満足そうに頷いた。
「おや、面白い面子じゃないか」
「どうなんでしょう……。部員に気になる子でも?」
「まあ……な」
目を細め怪しい浮かべられる怪しい笑み。いや、どちらかというと、用紙を透かした奥を見つめるように。仄香と譲羽が気になるのは確かだろうけど、もしや咲姫か蘭子にも何か気持ちがあるのだろうか。
「偶然か必然か……いや、わたしが仕掛けたようなモノだしな……」
「えっ?」
「いや、なんでもないさ。気にしないでくれ」
そんなこと言われてしまえば、余計に気になるものだけれど……。疑念の目を向けていると、「ちょっとだけ話しておこう」と軽く頷き彼女は僕と深く視線を交わす。
「実を言うと、昔……部活が存続していた頃に色々あってね。まあどっちにしろ卒業とともに部員が居なくなるのは明白だったから、廃部は免れなかったが、そのトラブルは教師の耳にも入っていたんだ。だから、立ち上げに渋られるかもしれないと……。まあ詳しくは話せないが、そんなところさ」
曖昧に語られる過去。しかし、懐かしむように目をつむった彼女の顔は、愛おしい人を思い出すように。写真部の生徒にも思い入れがあったのだろうか。
まあ、そりゃあそうか。顧問だし。
「だが立ち上げられるだろうさ。最初に君が来たときから、この申請は絶対通してみせるだけの自信はあった。部員も部員なだけにな?」
「鳳さん……ですよね?」
「そうだな。なんと言ってもそれだ。学園長の娘が居るとなれば下手に断るとことも出来ないし、写真部という真面目な体裁があるのだから、ゴネれば通る」
「ご、ゴネるんですか」
お調子じみて言うものなので、僕はやや苦笑い。
「悪いことをするわけじゃないんだから、そう心配しないでくれ。確かにトラブル無くとも潰れてしまうような部活だが、潰れた直接の原因はただ人数が足りなかっただけ。また再開出来るというのは嬉しいものだよ」
「人が……集まらなかったんですか?」
「というか寄せ付けなかった……というべきかな。色々噂もあったし、立ち上げたメンバーでの仲間意識が強すぎたんだ。まあ仲良くあるのであれば、問題ないと思ったが……」
そこで区切る先生。次の言葉を探しているみたいだ。内容からして仲間割れがあったようであるから、軽々しくは語れないのかも。話を逸らしておこう。
「先生は、写真の指導とかなされるんですか?」
訊くと少し目を開き驚きつつも平常の面持ちに戻る。
「私か? 自分でも笑ってしまうが、私だって初心者向けのカメラを持っていたくらいで、大したことは無いさ。そもそも、そんなに部活に顔を出さない。好きに活動して欲しいんだ。技術を得れば、誰でもそれらしい写真が撮れるが、無知のまま、これが良いと思って撮った写真には、その生徒ならではのセンスが現れるからね」
「なるほど」
自由というのはそれはそれは嬉しい限りだ。自由に出来るのなら、百合ハーレム作りとしては重要なポイントでもある。
「この学校からの景色、裏庭などの植物園、そして生徒たち。他には無い魅力があるからな。技術じゃなくて心で感じ取ってくれる生徒が欲しかっただけなんだ……」
一息吐いてからまた続ける彼女。その横顔は物寂しそうに映った……。僕はただ、百合ハーレムの私利私欲に使わせてもらいたいクソレズなんです……。なんて、口が裂けても言えない雰囲気である。
でも、学校周りをみんなで撮り歩くというのは悪くないかもしれない。興味自体はあったし、新しい趣味の開拓と思えば楽しいことずくめだ。先生の期待には添えられるだろう。
と。そこで、先生は思い出したように時計を見る。
「おっと。長く語ってしまったな。間もなく職員会議だ」
「ああ、すみません……タイミング悪くて」
「いや、むしろ逆だ。これで部活の話も出来るから、下手をすれば明日には部室開放かもな」
部室解放まで? それは助かるけど、そんなにすぐに申請が通るものなのだろうか……。
「早くないですか?」
訊ねると先生は嫌みたらしく片口の端をつり上げて笑う。
「確かに驚きもあるだろうが、一応、生徒の自主性とやらを尊重する学校だからな。申請などあれば迅速に対応するし、教師たちも"お金持ち"のお嬢さん方の機嫌を損ねたくは無いのだろう」
「ああ、なるほどですね」
やたらと強調するので、ハハッと愛想半分にも笑ってしまった。意外と内部情報をさらりと話してくれるな……この先生とは仲良くなった方がお得かも。
そう思っているうちに背後のドアからせかせかと教師たちが入ってくる。周りを見れば、座っていた先生方も準備を始めていた。
「ほらほら、教師が集まってきた。君も早く帰りたまえ」
「わかりました。失礼します」
そう言って僕はお辞儀をし、職員室の扉を引き開ける。別れ際の先生の熱いの眼差し。その期待と不安を秘めた瞳が脳裏に焼きついてしまう。しかし大丈夫、僕は写真だって楽しめるさ。
ドアを閉めた先。誰もいないのに響く共鳴音。高鳴る鼓動。廊下の喧騒は先ほどよりも気にならなくなっていた。
さあて、これでみんなを楽しませるプレゼント……舞台が整った!




