第99話「鈴虫の鳴く夜の誘い」《追加》
昼に比べて、ずいぶん涼しい夏の夜。
太陽が出てる間はまだまだ暑かったのに、今では夜風が心地よいくらいだ。鈴虫がりりりぃんと鳴いて、秋も近付いて来てるかなと感じる。
そんな中、急に蘭子の声が聴きたくなって、電話してみた。
「やあ蘭子。いま電話しても大丈夫?」
『ゆ、百合葉……い、いつでも大丈夫さ。お風呂であっても、トイレ中であっても』
「トイレは困るなぁ」
それは流石に変態チック。でも、変態蘭子ちゃんなら半分本気なのか? と疑ってしまう。
「蘭子、なんか声が上擦ってるよ?」
『いやなに……。ちょっと百合葉のことを考えてたモノだから、驚いてしまって……』
「……へぇ~僕のことを~。それはちょっと嬉しいなぁ~」
と、言ってからなんだか違和感。こういう時ならもっと、キザな言葉でも飛び出しそうなのに。嫌な予感が……。
『そうなんだ。これから、脳内百合葉の下着を、ゆっくりと脱がそうとしていたところで……心臓が止まるかと思った』
「……変態、スケベ」
『いやいや。愛しの彼女を思い浮かべて自分を慰める事の、どこが悪いと言うんだ。私は百合葉に会えなくても、妄想内の君を愛そうとしていただけだぞ?』
なんの躊躇いもなくそんなセリフを吐かれてしまって、僕は恥ずかしくなり、すぐに返す言葉が出せなくなった。
「せ、せめてさ、そういうのはもっと遅い時間に始めて欲しいよ。まだ十時前だよ」
普通はどのくらいの時間にやるものなのか知らないけど。
『なんだ、私を遅くまで寝かせないつもりか? これで、みんなの前で、百合葉のせいで寝不足だと言う意味深なセリフを堂々と言えるぞ』
「やめてね? 寝不足になってもやめてね?」
『本当の事になるのに?』
「いや、本当の事にしなくていい……。僕は止めないから、アンタの自由にして……」
『じゃあ、自由に百合葉で妄想するからな?』
「好きにしてよもう……」
どう転んでもセクハラだった。でも、付き合ってる以上は全くもって問題のない話。僕が潔癖すぎるだけなのだ……果たしてそうか? 普通のカップルはこんなにもセクハラを受けるのだろうか?
『そういえば、何か用があったんじゃないのか? もしや、私の夜に付き合ってくれるとか?』
「いやいやいや、そんな事ないから。……普通にさ、蘭子どうしてるかな~って。まさか変な意味で僕のことを考えてたとは思わなかったけどね」
『当然だ。私は常に百合葉の事を考えている』
「うっ……バカ……」
セクハラの合間でド直球に口説くもんだから、僕はつい赤面してしまった。
『今のいいな。ツンデレっぽくて。もう一回言ってくれ。色々と捗る』
「何がはかどるのかなっ!?」
いや、変に追及しちゃダメだ……。またセクハラの流れだ……。
『なら……百合葉。明日の昼、予定は……入ってないか?』
「……どうだと思う?」
『……なぜ曖昧にする? 空いてるか空いてないかで良いじゃないか』
「うーん、蘭子次第で、空くかもしれないし? 空かないかもしれない」
『おちょくってくれるな……。じゃあ、私の為に空けろ』
「……ふふっ。まあいいよ」
余裕ぶって言ったけど、こういう強引なセリフが聴きたかったのもあった。いや、おちょくりたかったのが一番かもしれない。
「良いか? 良いんだな? それで、私と、で……デートに行こうじゃないか」
「へぇ、それだけ?」
『それだけとはなんだ……も、もしかして……ラブホとか……行けるのか?』
『行かないよっ! そっちのそれだけじゃないよっ! いや、誘うだけなのに随分どぎまぎしてるなぁと思って。何かあるのかと』
『な、なんだ。私はいつも通り普通だぞ。普通に、デートに誘ってるだけだ。悪いか』
「あーはいはい」
うわぁあああああああああああああああああ!!
蘭子ちゃんがっ! かっわっいっいっ! はいっ!
蘭子ちゃんがっ! かっわっいっいっ! はいっ!
なんなのそのレズ童貞丸出しな誘いのド下手感は! 普段はクールに決めてるイケメン女子だけに、くっそ悶えるんですけど!? ああもう、毎晩悶えるように録音しておけば良かった……。
いや、それ、僕の声で捗るとか言っちゃう蘭子と変わりないじゃないか……。僕も変態なのか……?
「それで? どこ行きたいの?」
『……むぅ』
「ど、どうしたの蘭子……」
『正直、ラブホ以外考えてなかった』
「アホかい……」
どれだけ僕とベッドインしたいんだか。気持ちは嬉しいのだけど、僕はそういう性欲にまみれたデートよりも、もっと日常的なモノを愛したいのに。
まあ、そんな不器用な彼女も、たまらないほどに愛しいのだけれど。
『この夏、みんなで満喫し過ぎて、百合葉と二人で楽しむという事を、性的な事以外、考えて無かったんだ……』
「性的な事はともかく……まあね。楽しかったもんね」
『ああ……楽しかった。ひと夏の思い出。初めての体験』
「なんか意味深にしてない?」
『そんな事はないぞ。百合葉が変な事ばかり考え過ぎなんじゃないか?』
「もう知らんわ……」
これもお決まりの流れである。
『でも、変な事は抜きにしても、本当に楽しかった。充実した夏だった。こんなに楽しかった夏は休みは初めてだ。それでも、これだけ満足しても、私は、百合葉に会いたいんだ。ちょっとでも離れたら、すぐに会いたくなる 。私、変じゃ……ないよな?』
少し、心配そうに……いや、確認するような言葉。その気持ちが嬉しかった。僕も同じ気持ちだったから。
「僕もね、蘭子に会いたかったんだ。こんなにも一緒に楽しい夏を過ごせたのにね。まだまだ会いたい。でも、どこ行くかどうかも、誘うかどうかも決まらないまま、電話しちゃった。別にいいでしょ?」
『……いいな。すごく、いい』
「ねっ?」
なんの意味もない確認だった。お互いに不器用で、ついつい言葉が多くなってしまうけど、また一つ、心が繋った気分だ。
「とりあえず、図書館に予約してた本が届いてるから、ついでに勉強していく?」
『なんだ、ついでって。私とのデートは二の次か。今まで思い出に浸っていたのはなんだったんだ』
「あはははっ。いいじゃん、どうでも良い事でも付き合ってよ」
『……そうだな。そういう意味のなさに楽しさを求めるのも、良いのかもしれない』
「意味がないって何さー。僕は楽しみにしてた本が届いてウキウキだっていうのにー」
『自分でどうでも良いって言ったんじゃないか……せめて私と会う事も楽しみにしてくれよ……』
「嘘だよ。蘭子に会えるのが、一番楽しみ」
『……私もだ』
だなんて、なんのとりとめもない言葉を重ねて……。僕は彼女との通話を切った。




